1 二番機 [2012/10/27(土) 00:16:28]
僕らがいずれ、大人たちを追い越していくように
あの小さな手もいつの日か、僕らを追い越していく
翼を失う日が来ることを、恐れてはいけない
2 二番機 [2012/10/27(土) 00:21:56]
***
懐かしい景色が見えてきた頃、車のラジオが午前5時を告げた。
「あと、どの位?」
後部座席に乗っていた私は、運転席の彼女に訊ねる。
「どうして?」
「少し酔ったみたい」
「大丈夫? あと少しで着くとは思うけど」
「何とか」
夜と朝の狭間に浮かぶ薄い雲を見ながら、私は答えた。出発した時に比べて、空にもだいぶ明るみが出て来た。空の淡いぼんやりとした色合いが、いまの私の気持ちとどこか良く似ていた。この空、飛んだら綺麗だろうな。
「それにしても」
彼女はハンドルを左に切りながら言った。私を気遣ってのことか、少し緩やかな操作だった。「あなたでも乗り物酔いする事があるのね。ついこの間まで、毎日空の上で無茶苦茶に飛び回ってた人なのに」
「空は自由だから、酔うことはないよ。道路もないし、信号で止まる事もない」
「分からないなぁ」
サイドミラーに写った彼女の口元が緩む。
何が? と聞き返そうとしたけど、今はそんな気分にはなれなかった。
また少し、空の明るみが増した気がする。地球が何の疑問も抱かずに自転している証拠。地球が無知なお陰で、世界はうまく成り立っている。あの頃の私たちも同じだった。
3 二番機 [2012/10/27(土) 00:23:34]
***
「着いたよ」
程なくして、車は止まった。私はすぐに車から降りて、肺を新鮮な空気で満たした。地上がこんなに気持ち良く感じられる事なんて殆ど無かった。また一つ、空が遠くに離れてゆく。
着いたのは四方を山に囲まれた小さな田舎町。そのちょっとした丘の上に建てられた、白い一軒家の前だった。
「何も変わってない」
私は呟いた。灰色の郵便受けに付いた傷から、玄関の置物に至るまで、何一つ。あの日々から。
「正しくは変わりに変わって、今の姿に戻っただけだけど」
彼女が訂正した。科学者というのは、小さなミスを日課の様に訂正したがるものだ。
「どんなに似ていても、この家はもう、私の家では無い」
「そうね。……どうする?」
「何を?」
「会いに行く? “次の子”に」
「いえ。やめとく。その子はまだ物心も付いていないだろうだから、会っても無駄だよ」
2、3羽の雀が、鳴きながら飛んでいた。夜が終わる。
「わかった。じゃあ、戻ろう」
「あ、でも……」
再び車に乗ろうとした彼女を、私の声が呼び止める。
「彼には、会っておきたいかな」
「彼?」
「アナブキの“次の子”」
4 二番機 [2012/10/27(土) 00:25:23]
「ああ。彼は十七だったから、今は……、六歳かしら。望みはあるかも」
「ええ」
それが彼に会いたい主な理由ではなかったけれど、とりあえず頷いた。
「でも、何処に住んでるのかが、分からないわ」
「それは大丈夫。島に居たときに、彼の履歴書には目を通したから。よかったら、私に運転させて。昨日からずっと運転してるから、疲れてると思うし」
本当は自分で運転した方が酔わないから、だけれど。小さな嘘を簡単につける程には、私も大人に慣れた。
「じゃあ、お願い」
彼女は運転席のドア開けて、どうぞ、と、紳士のように私を迎えた。
エンジンが唸り、二人が乗った車が振えた。プロペラの音は聞こえない。
「何処まで行くの?」
後席の彼女が私に尋ねた。
「少し遠いよ。中部の方だから、着くのは夕方ぐらいかな」
「本当に? じゃあ、たっぷりお話が出来そうね」
「眠ってたほうが良いと思うけど」
車のラジオが朝日と共に、そっと午前六時を告げた。
5 二番機 [2012/10/27(土) 00:27:34]
***
彼女が眠ることはなく、高速道路に入ってからずっと話し続けていた。
始めは私の島の思い出話。海が見えた頃には私たちが出会った日の話に飛んで、いつしか、話題は彼女自身の話へと移っていった。彼女の科学者としての研究に関して。
「いつだったかはもう分からないけど、この戦争が始まった時、人類は社会学的に、ある意味で一つの完成を迎えたの。管理された緩やかな戦争が、人間のフラストレーションをうまく発散させて、しかも戦争による人間社会への影響は最低限に押さえられる」
「“人間”社会は、ね。私たちは違った」
「ごめんなさい、そういうつもりは……。そう、適性検査の影響も大きかった。人間は二つに分けられる。これは、太古の昔からそうだった。一つは、平穏を求める人間。もう一つは、人生に戦いを必要とする人間。幼い段階で二つを分けることで、同じ世界に両者を上手いこと共存させた」
「今までは二種類の人間が社会にごちゃ混ぜだったから、平和な世界は有り得ないものだった」
彼女の説明に補足を加えた。
前を走る大きなトラックが遅かったので、私は隣の車線に乗り換え、それを追い抜いた。
6 二番機 [2012/10/27(土) 00:29:21]
この白い車線みたいに、人工の境界というのは、大抵はっきりとしている。逆に、今朝、故郷でみた夜と朝の狭間みたいな自然の境目は、ぼんやりしているものだ。
じゃあ、彼女が言った二種類の人間の境目は、どうなんだろう。
「今だって戦争が行われてるわけだから、平和ではないんだろうけど……」
彼女は続けた。「それに限りなく近いわね。この仕組みによって、みんな幸せに過ごせる社会が実現した。でも、どんなものにもデメリットは存在する。この仕組みも、例外ではなかった。ただ、それが表に出なくなっただけ」
そうか、じゃあ私たちは裏側という訳か。
彼女は完全に無意識なんだろうけど、逆にその方が、深く突き刺さる事もある。矛先をどこに向けていいか分からないからだ。完全な平和が実現しても、人々は満たされることがないから、結局、どんな形にしろ別の新たな紛争が始まり、平和は自ずと崩れ去ってしまう。
いつの世も、人には矛先を向ける場所が必要だった。
7 二番機 [2012/10/27(土) 00:31:57] sage
「デメリットって、例えば?」
ただ、今の私がそうしたみたいに、その矛先自体を理性で丸める事も出来る。彼女はわざとじゃないし、それを指摘することで空気を不味くしたくも無い。これはきっと、大人のなせる業なんだと思う。
子供から大人への境目はぼんやりとしていて、とても不安で、とても苦しかった。でも、ぼんやりした境目は、自然のもの。誰だって同じ。私たちネルクに限らないし、この時代にも限らないこと。
それだけのこと。
たった、それだけのことに気が付いて、
辛い現実を乗り越えられれば、
次へ進むことが出来る。
空ノ鳥島での3年間が、それを私に教えてくれた。
「デメリットかぁ……。色々あるけど、一番大きいのは、やっぱりあれかな。世界が全体的に完結し始めたこと」
「そうだと思った。それがあなたの研究内容だったもの」
「ええ、ネルクのお陰で、その確信的な裏付けが……。ごめんなさい、この表現は不快かしら」
「ううん、大丈夫」
自分のこの言葉に、嘘は含まれてないと思う。
「よかった。とにかく、いろんな場面で進歩がなくなったの。一見、世界は常に変わっていて新しくなっていくように見えるけど、実はそうじゃない。輪になった道を進むみたいに、ループして繰り返されている。同じ人が、数十年後にまた生まれたり。地域や分野によってその周期は異なるみたいだけど、一番短いのがあなた達だった」
「永劫回帰」
私は言ってやった。このあたりは、まだまだ子供。「ニーチェが現代に生きていたら、きっと喜ぶだろうね」
道路の左脇に、緑色をした標札を通り過ぎた。
「びっくり。あなたがそんな言葉を知ってるなんて」
「そう? ……次のサービスエリアで、少し休憩しよう」
「そうね」
私は、再び車線を変えた。
こんな日がずっと続いてくれるのなら、そんな世界でも悪くないかな、と思いながら。
8 二番機 [2012/10/27(土) 00:33:05]
***
だから、寝てた方が良いって言ったのに。
高速を降りて目的の街までたどり着いたころ、彼女は後席で既に深い眠りに落ちていた。ずっと話していて、よほど疲れたんだと思う。実のところ、私は途中から彼女の話を適当に受け流していたから、そこまで疲れていない。悪いことをしたかな、と少しだけ反省。
海沿いの小さな街だった。西の空は既に夕焼けに染まり始め、夜が来るのを待っている。
私は穴吹から聞いた思い出話を元に、例の公園を探した。丘の上にあって、そばには小さな森があり、遊具はブランコと砂場だけ。そして何より、街全体と、海と夕日が見られる公園??。歩道を歩く親切そうな老夫婦に訊ねて、その公園を見つけることが出来た。
とても景色の良い公園だった。海には紅い夕日が沈み、夕焼け色に染まる街が一望出来る。
車から降りて、もう一度生で観る。風に乗って運ばれる、微かな潮の香り。綺麗だ。彼の心に強く残っていたのも頷ける。
今は車の中で眠ってる彼女にも、後で見せてあげたい。
ポケットから、私はツールナイフを取り出す。私が島に配属されたての頃、荻野さんから貰った物だ。
9 二番機 [2012/10/27(土) 00:35:07]
「もう五年前、か……」
荻野さんの形見を見ながら、その頃を思い出していた。いろんな感情が、無音のうちに再生される。彼に寄せていた、密かな想いも。彼が墜とされた時の、張り裂けるような気持ちも。
あの頃から、随分遠くへ来てしまった気がする。
この公園に居ると、穴吹の思い出の中にいるような、不思議な気分になる。
いや、実際にそうなのかもしれない。だって、ほら――――。
「こら、ジョン! 待てぇ!」
坂の下から、私に向かって一匹の犬が走ってきた。それを追いかける彼……、いや、一人の男の子。
ジュンと呼ばれた犬は私に近づいて、私にジャレついてきた。私は屈んで、背中を撫でてあげた。
やがて、男の子は息を切らしながら、ジュンに追いついた。
「はぁ、はぁ……。ありがとう……、おねえさん……」
「いいえ。可愛いワンちゃんね」
私は出来る限り自然な笑顔で答えた。
「全っ然かわいくないよ。僕の言うこと全く聞かないし」
「あらあら、それは大変ね」
私は彼の目を見た。夜空みたいに透き通る瞳。夕焼けと私の姿を中に写している。
間違いない。この子だ。
10 二番機 [2012/10/27(土) 00:47:24]
「綺麗だね」
彼は街を見渡しながら、私に言った。悲しくなるほど純粋で無垢な瞳だ。
どうして、そう感じてしまうのかな。
これからこの瞳が見つめる多くのことを、知っているから?
彼の頬を夕日が真っ赤に染め上げ、三つの影は(ジュンも入れて)地面に染み入るように長く延びている。
「ええ、ほんとに……。あ、そうだ」
「何?」
「君にあげる物がある」
「僕に?」
「手を出して」
まだ何も汚れていない小さな両手を、彼は広げて見せた。
先ほどの軍用ナイフを与えて、そっと包んだ。こんな小さい子にはまだ危ない代物かなと、少し躊躇った。でも、私がこのツールナイフを彼からもらった時に聞いた話によれば、これで良いはずだった。それに男の子なら、こういった物に少しは憧れを持ってるものだと思う。
案の定、彼はとても喜んだ。何度もお礼を言いながら、それをしげしげと眺めている。
日も暮れてきて、電灯にポツポツと明かりが付き始めた。そろそろ家に帰らないといけない、と彼。
「バイバイ!」
小さな手を振りながら、彼は笑ってみせた。ああ、彼のあの笑顔は、この頃と変わってなかったんだなぁ、と私は思った。
「じゃあね」
私も手を振り、最後にこう付け加えた。
「次は君の番だよ、ユウ」
「え? 何で僕の名前を?」
この質問に対しては、私はただ、微笑みを返すだけだった。
END
11 二番機 [2012/10/27(土) 00:56:37]
あとがき
ブロウクン・ウィングズ
Broken Wings もがれた翼たち
新本編との関連性は60%ぐらいはあると思います。《旧》とは5%未満。ただ、自分でも本編がどんな話になるのか、未だによく分からないので断定も出来ません。
それでも大体は、この短編があの物語全ての帰着点になっているのだとお考え下さい。