原発作業員の素顔を記録した写真集について以前、お伝えしましたが、被写体の男性は作業員である前に被災者でもありました。
東日本大震災による原発事故で故郷を奪われ、一時帰宅をしても自分の願いとは違う思いに駆られると話します。
小川篤さん
ことし3月まで、福島第一原子力発電所で作業員として働いていました。
【小川篤さん】
「自分らの地元を地元の人間が自ら行かないでどうする?という気持ちの人も中にはいるんです。その中の一人だった」
小川さんは作業員が置かれた現状を話し続けています。
【小川篤さん】
「こないだ大々的にニュースで取り上げられたアラームを鉛で遮蔽する業者がいたって話ありましたけど、ああいうことをしなきゃいけない状況に陥っているっていう風に思ってください。年間被ばく量まで達してしまったらこの先どうやって生活していっていいんだろう、いうところまで精神的に追い込まれているんです」
小川さんも4ヶ月の間に20ミリシーベルト弱の放射線を浴びました。
【小川篤さん】
「避難所には入れ替わり立ち替わり色んな人来てくれてましたね。その写真見てます、しょっちゅう見てます。
警戒区域に想いを馳せれば馳せるほどむなしくなっていくのは事実ですね。去年1年ぐらい経ってからどんな想いになってるかなぁと思いながらいましたけれど、こんなむなしい気持ちとか虚脱感とかにさいなまれるとは思わなかったですね」
富岡町の人々が暮らす仮設住宅を時折訪れます。
ふるさとのために仕事がしたい、しかし思うようにいきません。
どうする事も出来ない自分へのいら立ちがつのります。
先月、小川さんは富岡町の自宅へ一時帰宅しました。
震災発生後3度目です。
【検問】「はい、OKです、どうぞ!」
【小川篤さん】「地元帰ってくんのにアレやられるとストレスたまりますよ」
全面マスクのトラック運転手が行き交う世界。
目に見えない放射性物質は確実に存在しています。
【小川篤さん】「こっちの外側で波乗りよくやっていた」
破壊されたまま取り残されるふるさと
自宅近くの海岸線には福島第二原子力発電所がそびえたっています。
この町にはおよそ1万5000人の暮らしがありました。
【小川篤さん】「ここが家です」
小川さんはここで母親と二人で暮らしていました。
母親も郡山市でひとり避難生活をしています。
【小川篤さん】「これは帰宅出来ないですね、ひでーな、こりゃ」
いつもきれいに手入れしていたという庭には雑草が生い茂り、ススキも生えていました。
【小川篤さん】「家じゃないですよ、廃墟ですよ」
室内は地震発生から2時間後に避難したそのままの状態です。
小川さんが16歳の時に父親が建てた家でした。
【小川篤さん】
「ここで生活してたんだなっていうのを、まあなんとなく思い出しに来るって感じですかね。なんか絶望とかむなしさとかそういうの、なんすかね、くやしいっていう気持ちにもなれないです。なんか感情が湧かないですね」
【小川篤さん】「おー、元気?」
【同級生】「元気、元気!あーよかった」
同級生との偶然の出会い。
震災発生以来、初めての再会でした。
原発事故は人と人とのつながりを引き裂きました。
【小川篤さん】
「本当に今、日本の国土の中でこういう場所が存在するっていうのは日本の皆さんにもしっかりと認識していただきたいですね。ネガティブになるとかじゃなく本当の事だし本当の有様なんで」
日本全国の原子力発電所周辺30キロ圏内にはおよそ480万人の暮らしがあります。
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