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胡錦涛政権の10年とは
11月8日 19時12分

胡錦涛氏は政権のスローガンに「科学的発展観」という言葉を掲げてきました。
経済成長一辺倒だったやり方を見直し、環境などに配慮しながら持続可能な発展を目指すもので、人間本意で調和のとれた社会を構築すると訴えたのです。

進まなかった政治改革

国民の間では地方レベルで政治改革が進むのではないかとか、言論の自由が拡大するのではないかといった期待が高まりました。
しかし、2003年に新型肺炎SARSの感染が拡大した際は情報が隠ぺいされ、批判を受けました。政治改革や司法制度改革もほとんど手つかずで、国民の政治参加は進みませんでした。
胡錦涛政権はむしろ、政権批判につながる言論や政治活動を厳しく取り締まるケースが目立ちました。おととし、服役中で中国の民主化を訴える人権活動家の劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した際には、授賞式の前に劉氏を支持する弁護士や作家らを次々と拘束して国際社会から厳しく非難されました。一方で、この10年、中国でもインターネットが普及し、今では5億人以上が利用するようになりました。
特に中国版ツイッター「ウェイボー」では、政治問題や社会問題に対する国民の不満が瞬く間に広がり、政府も無視できない存在となっています。

複雑化する格差

胡錦涛政権の下でも中国経済はめざましい成長が続きましたが、一方で貧富の格差も拡大の一途をたどりました。
政府は都市と農村の経済格差を解消するため、農民に課されてきた農業税を廃止したり、農村からの出稼ぎ労働者にも都市の住民と同じような行政サービスが受けられるようにする改革案を打ち出したりしました。
しかし、都市に住む人と農村に住む人の所得の格差は3倍を超えているうえ、最近では内陸部の農村でも、工場で働ける人と働けない人の間で所得に差が出始めるなど、格差の問題はむしろ複雑化しているという指摘もあります。
こうしたなか、共産党の幹部やその親族が、特権を利用して汚職や不正な蓄財に走るケースが後を絶たず、国民の不満は高まる一方です。

輸出依存からの脱却は

胡錦涛政権は経済構造の転換にも取り組みました。
外国からの投資と輸出に依存する構造から脱却し、国民の購買力を高めて内需を拡大することを目指しています。
具体的には、最低賃金の引き上げや社会保障の充実を通じて国民の消費を促したり、国内の消費者向けに付加価値の高い国産ブランドの開発を後押ししたりしました。しかし、2008年のリーマンショックや長引くヨーロッパの信用不安など、国際的な要因にも見舞われ、一連の経済政策は思うような成果をあげていません。

アキレス腱の民族問題

胡錦涛政権は少数民族の間で高まる政府への不満も抑えることができませんでした。
2008年にはチベット族による暴動が発生。
翌年の2009年には新疆ウイグル自治区で、ウイグル族の漢民族に対する不満が暴動につながり、中国政府の発表で200人近くが死亡しました。

大国になった一方で

このように政治面や経済面で様々な課題を抱えながらも、中国は胡錦涛政権の10年間で世界の大国への道を歩みました。
2008年には悲願だった北京オリンピックを開催。
おととしには上海万博を開催し、GDP・国内総生産で日本を抜いて世界第2位になりました。
国力の高まりとともに国民の大国意識が高まる一方、官僚の汚職、持てる者と持たざる者の格差、それに少数民族の不満など、社会の安定を揺るがしかねない問題はますます深刻化し、習近平政権に持ち越される形となりました。

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