朝日「慰安婦」特集を嗤う
自らが主張した「従軍慰安婦=強制連行」説を「狭い視点」と言い、「全体として強制」があったと主張し始めた朝日新聞の特集記事。しかし、その内容はというと、論点のすり替え、事実の歪曲に終始し、朝日が作り上げた「従軍慰安婦」が虚構だったことを際立たせただけだ。
日本政策研究センター所長 伊藤哲夫
『明日への選択』平成9年5月号
三月三十一日の朝日朝刊に掲載された「従軍慰安婦」特集には、正直いって驚かされた。何と二面ぶち抜きでの大特集――。それだけではない。この特集に加え、更に「歴史から目をそらすまい」と題する社説、そして肝心の一面には、特集面掲載の河野元官房長官インタビューの要旨紹介――といった徹底ぶりなのである。最近盛り上がりを見せる「従軍慰安婦=強制連行」説否定論に居ても立ってもおられず、総反撃に出てきたという図式だろう。
とはいえこの特集、そうした朝日の必死の意図にもかかわらず、結果としてはいよいよ彼らの墓穴を深めることにしかならなかった、というのが筆者の感想である。いかに巧妙に論点をすりかえ、資料解釈をねじ曲げ、自らの主張の正当性を強弁しようと、所詮これまでの虚構の上に、新手の虚構を積み上げるという程度のことしかできなかったからである。以下、ここではかかる朝日特集の中心的主張を徹底分析し、その致命的な矛盾・誤りを明らかにしてみたい。
◆「強制連行」は中心的課題ではない?
まずこの特集を見て、誰もが最初に驚いたのが、以下のような主張であった。彼らはこの社説の冒頭、こう主張したのである。
「旧日本軍の従軍慰安婦をめぐって、日本の責任を否定しようとする動きが続いている。……これらの主張に共通するのは、日本軍が直接に強制連行をしたか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向だ」
わが目を疑うとはこのことだが、これまでマスコミの先頭を切って「従軍慰安婦=強制連行」説を振り回してきた当の朝日が、そんなのは「狭い視点」でしかない――といい始めたのである。最近ますます明らかになってきた「従軍慰安婦=強制連行」説の旗色の悪さに、「このままではヤバイことになる」と思ったか、問題は「強制連行」の有無などではない、と彼ら一流の論点のすりかえに出てきたわけだ。
「そのような議論の立て方は、問題の本質を見誤るものだ。資料や証言をみれば、慰安婦の募集や移送、管理などを通して、全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らかである」
批判者たちのいうように、ひょっとすると軍による「強制連行」はなかったかも知れない。しかし、問題はそんな「狭い」所にあるのではない。「全体として強制と呼ぶべき実態」があったかどうか――そこにこそ真の問題がある、ということだ。例えていえば、強姦という重大犯罪があったかどうか――そんな話はどうでもよい。痴漢でもいいセクハラでもいい、ともかく全体として「女性への人権侵害」と呼ぶべきものがあったかどうか――それが問題なのだ、という話だといえよう。
しかし、これはちょっと飛躍した話なのではなかろうか。強姦と痴漢・セクハラは、犯罪の動機、罪の軽重という面からいっても大いに異なる。それと同じように、「強制連行」と「強制と呼ぶべき実態」というのは、根本的に問題の次元が違う話である筈なのだ。それをどうして一緒になどできるというのか。
それだけではない。この「強制連行」というのは、何よりもまず朝日が主張し始めた中心的問題ではなかったか、ということである。つまり、他に先がけて朝日がこれを問題にし、あれやこれやと煽り立てたからこそ、この問題は今日見るほどの大問題となったのだ。それを今になって「狭い視点」とは、一体何という無責任な言いぐさだろうか。論点のすりかえ・歪曲はお手のものの朝日とはいえ、これではちょっと話があくどすぎはしないだろうか。
その意味で、ここではまず何よりも、朝日のかつての報道ぶりを明らかにする必要があるといえるだろう。「過去をしっかりと見つめよ」という朝日自身、いかに自らの過去をしっかりと見つめる必要があるか――。それをまず、動かぬ証拠をもって示す必要があるということだ。
◆朝日はこれまで何を書いてきたか
そこで、まず第一に紹介すべきは、平成三年の八月十一日の朝日報道である。これはソウル発・植村隆記者の手になるものだが、「従軍慰安婦」報道の原型を形作ったともいえる象徴的な記事である。
〈日中戦争や第二次世界大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り作業を始めた。……テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。〉
一読してわかるように、ここで朝日は〈「朝鮮人従軍慰安婦」は「女子挺身隊」の名で戦場に連行され〉と明確に書いている。つまり、「従軍慰安婦=女子挺身隊=強制連行」という後に韓国でも一般化される図式を、ここではあたかもそれが厳然たる事実でもあるかのごとく示しているわけだ。
※ちなみに挺身隊とは、国家総動員法に基づき、若い女性を軍事工場などへ動員した時の朝鮮半島での呼び名。慰安婦とは全く無関係のもの。
しかし、問題はそれだけではない。重大なのは、この「従軍慰安婦=女子挺身隊」という報道は、植村記者の完全な創作でもあったということである。なぜなら、この元慰安婦だったという女性は、後に日本政府を相手取って補償要求の訴訟を起こす金学順という老女なのだが、彼女の生い立ちと「女子挺身隊」などというものは全く関係ないものであったからだ。彼女は十四歳の時、ただ家が貧しいがゆえにキーセンハウスに売られたのであり、十七歳になった時、義父に連れられて日本軍の慰安所にいったに過ぎない。にもかかわらず、それを植村記者は、わざわざ〈「女子挺身隊」の名で戦場に連行され〉と書いたのだ。何という歪曲ぶりであることか。
次に紹介しなければならないのは、平成四年一月十一日の一面トップに掲載されたスクープ記事である。この記事自体は「慰安所 軍関与示す資料」との煽情的な見出しとともに報道されたものだが、防衛庁の図書館から、日本軍が慰安所の設置や慰安婦募集の監督・統制をしていたことを明らかにする資料が見つかった、というものだ。しかし問題なのは、そこに付けられた解説記事の方である。彼らはここで「従軍慰安婦」なるものを解説し、次のように書いているのである。
〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる。〉
つまり、植村記者の記事から半年後、同じように「従軍慰安婦=女子挺身隊=強制連行」なる事実無根の図式が繰り返され、確認されているということなのである。むろん、この図式が「軍関与」の見出しとともに報じられたとなれば、当時読者の慰安婦問題への認識に与えた影響は想像に難くない。つまり、まさに慰安婦とはそういう悲惨きわまりないもので、それに何と軍が直接に関わっていたのだ!――ということに話は一気にいってしまった、ということなのである。
更にこれにダメを押したのが、吉田清治なる「詐話師」を持ち上げ、そのニセ証言をあたかも勇気ある証言でもあるかのごとく報じた一連の記事である。例えば、平成四年一月二十三日夕刊・「窓・論説委員室から」というコラムで、彼らはこう書いている。
〈記憶の中で、特に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。
吉田さんと部下、一〇人か一五人が朝鮮半島に出張する。総督府の五〇人、あるいは一〇〇人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。
一つの村から三人、一〇人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の一〇〇人、二〇〇人になれば、下関に運ぶ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られていった。吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九五〇人はいた。
「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」
……マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。それが心配になってたずねると、吉田さんは腹がすわっているのだろう、明るい声で「いえいえ、もうかまいません」といった。〉
千人もの半島の女性を、まさに「奴隷狩り」でもするかのごとく戦場へ送ったと語る悪魔のような人間を、この記事はまるで英雄でもあるかのように持ち上げているのである。許すべからざる女性の敵も、朝日の報道にプラスとなれば、まさに生来の善人でもあるかのごとく扱われるという話だろうか。日頃朝日のいう正義だとか人道というものが、いかに御都合主義的なものでしかないか――この記事は何よりもそれを雄弁に示しているとさえいうことができよう。
とはいえ、このデタラメ記事によって、朝日の「従軍慰安婦=強制連行」路線が確立されたのも事実である。また一般の読者も、それが動かし難い事実であるかのごとく認識せしめられたのも事実といえる。「狭い視点」どころか、これが「従軍慰安婦」問題の基本イメージとされてしまったのだ。
その意味で、果たして朝日はこうした一連の記事をどう考えるのか。それがまさに今、問われているのだといえるだろう。この朝日特集では、彼らはこの吉田証言を「間もなく、この証言を疑問視する声が上がった」と記すのみである。つまり、過去の報道には「知らぬ顔の半兵衛」をただ決め込むだけなのだ。これは報道機関としての自己否定ではないのだろうか。
◆一体どこが「強制」なのか
ところで、次に問題にしたいのは、この特集における朝日の論証ぶりである。彼らは冒頭でも述べた「強制と呼ぶべき実態」なるものを論証すべく、様々な資料を引用する。しかし、その使い方が余りにも意図的で、デタラメだということなのだ。そのいくつかの例を紹介してみよう。
まず冒頭、彼らは軍が慰安婦募集に深く関わっていたことを示す資料として「軍慰安所従業婦募集に関する件」(一三年三月)なる通牒を取り上げる。その中に、(臀犬惑標軍が統制し、担当者の人選を周到にする。∧臀犬垢訝楼茲侶兵と警察当局と連携を密にする――との文言がある所を取り上げ、この慰安婦の募集には軍が深く関わっていたのだと主張するわけだ。
しかし、これは余りにもデタラメな引用である。この通牒には、この部分とともに前段があり、それこそがこの資料の眼目だというべきものであるからである。その肝心な前段部を朝日は意図的に無視するのだ。以下、該当部分を引用してみよう。
「慰安所設置ノ為、…之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ…」
つまり、民間業者が軍の名を使って慰安婦を募集したり、誘拐まがいの事をしていたり……という現状があるということなのである。当然、そんなことは警察の立場からいっても、軍の立場からいっても、無視して済ませるものではない。それゆえ、軍としてはそれを取り締り、統制しなければならない、ということであるわけだ。
つまり、たしかに軍はこの募集段階に深く関わった。しかし、それは関わりは関わりでも、悪徳業者を統制するための「善意の関わり」であったということだ。この点を、敢えて無視して引用しているのが、この朝日の特集だということなのである。何という悪質な資料操作かといわざるを得ない。
続いて朝日は、軍や官憲による「強制連行」に関連する資料として、インドネシアや東チモールでの事例を挙げる。「強制連行」云々は「狭い視点」だが、しかしその「狭い視点」に限っても「強制連行」はあったのだ、と今度は朝鮮半島以外の例を引っ張り出してきて強弁するのである。
しかし、その出所はといえば、戦後日本軍人の戦争犯罪を裁いた連合国側の一方的な尋問調書だというのだから驚く。――この調書によれば、現地在住の女性を無理やり慰安婦にした事例がある。あるいは、現地の村長などに命じて慰安婦を提供させた事例がある。だから「強制連行」は事実なのだ、と彼らは主張するわけだ。
とはいえ、もしそうだとしたら、これほど問題のある主張もないだろう。調書にあることが全て事実で、検察側のいうことが全て正しいのなら、そもそも裁判など存在する必要だってない筈だからだ。それだけではない、日頃「自白偏重の裁判が冤罪を生む」といってきたのは、そもそも朝日であった筈なのだ。にもかかわらず、このような敵への報復としてなされた軍事裁判の、連合国側による尋問資料までもが全て正しい、などということになるのだとしたら、それはまさしく「朝日の自己否定」という他なかろう。
ともあれ、朝日が「強制連行」の資料として出せるのは、そこまでだということでもある。元慰安婦の証言、連合国側の尋問調書、軍事裁判の判決……、そこには全て裏付けをなす資料が致命的に欠落しているのだ。
ついでに、ここで一つだけ触れておけば、日本軍人がジャワ島セラマンで、オランダ人女性二五人を強制的に慰安婦にした、というバタビア軍事法廷での記録は、多分当時の状況からいえば事実ということになるのだろう。しかし、そこで同時に強調しておかねばならないのは、軍本部が当時その不祥事を知るに及ぶや、即座にその慰安所を軍命令で閉鎖させているというもう一つの事実である。一部軍人がそのような不祥事を犯したのは事実としても、それを軍本部は絶対に許しはしなかったということなのだ。つまり、一部軍人による不祥事と、軍全体の意思に基づく「強制」は、明確に峻別して論じられなければならない問題だ、ということなのである。
これを資料により補足しておこう。例えば、陸軍省深田軍医少佐の「蘭印衛生状況視察報告」には、「現住土人は愛撫し誠実をもってわが方に信頼感を抱かしむる様言動に留意する要あり。……かりそめにも強姦等を行い日本軍紀に不信を抱くことのなき様厳重留意する要あり」という言葉がある。つまり、軍本体としては占領地軍政を成功させるためにも、絶対に不祥事を起こしてはならないのであり、彼らが組織として慰安婦への強制を行うなどということは、そもそも軍行動の本質からいっても考えられないことでもあった、ということなのである。にもかかわらず、朝日にはそうした軍の本質への洞察がない。ただ馬鹿の一つ覚えのごとく「強制連行があった、あった」と書き立てるだけなのだ。
一方、思わず笑わされてしまうのは、慰安婦への日常的な「強制」の実例として、何と「外出の制限」を挙げていることである。曰く―「フィリピンの軍政監部ビザヤ支部イロイロ出張所は、利用規定で、慰安婦の外出を厳重に取り締ることを定めた。『慰安婦散歩は毎日午前八時より午前十時』と明文化し、散歩できる区域も地図つきで示していた。こうして慰安婦たちは兵士や将校の相手をさせられた」云々……。
しかし、こんな制限が「強制」の実例などになるのだろうか。自由に散歩することが軍事上危険であれば当然地域は制限されようし、営業時間が決められていれば散歩時間も限られる。それに何よりも、戦地では防諜上の必要があったのだ。ここでは、その何よりの証拠を挙げてみる。慰安婦どころか、当の兵隊にだって「外出制限」が厳然としてあった、という事実である。
同じフィリピンにいた「吉江部隊日々命令」は以下のごとく定めている。
「1、外出ハ一般ニ一二、〇〇以後トシ必ズ二名以上同行スルモノトス 2、民家ニ立寄ルヲ禁ズ 3、外出散歩区域別紙第一ノ如シ……」
時間制限のみならず、区域制限も同じようになされていたということである。にもかかわらず、これをもって朝日は、やはり兵隊の日常生活にも「強制」はあったというのだろうか。
◆朝日の言う「強制」の主体は誰なのか
いずれにせよ、これが朝日特集の中心的な主張だといえる。論点のすりかえ、資料の歪曲、誇張……等々、その手口の狡猾さには呆れる他ないが、しかし所詮は虚構は虚構以上のものたり得ない、ということでもあろう。
最後に、もう一つだけこうした朝日の手口について触れて終わりたい。
「借金で縛られたり、だまされたりして慰安婦にされた人がかなりいる。強姦され、暴力を振るわれ、あるいはそのような目にあう仲間を見るなどして、抵抗をあきらめざるを得なかった人もいる。逃げようにも、そこは見知らぬ異国の地だったことにも留意しなければならない」
朝日社説はこのように書いている。しかし、一歩譲ってこれが事実だとしても、それならこうした慰安婦たちに、かかる暴力を加えた「主体」は一体誰だったのかということなのだ。その「主体」は、果たして軍なのか、あるいは一部軍人なのか、はたまた民間業者なのか――朝日はそれを明らかにする責任があるということだ。
とはいえ、朝日は多分それをなし得ない。この「主体」を特定すれば、その瞬間に朝日の全論理は崩壊する他ないからである。「業者」たることをぼかしつつ、可能な限りそれを軍と見せかける。――この手口が、完全に無効になる他ないからである。
虚構の上に築かれた「従軍慰安婦」論――。その完全崩壊の日はすぐそこにきているのだと筆者は思う。(日本政策研究センター所長 伊藤哲夫)
〈初出・『明日への選択』平成9年5月号〉