「慰安婦」問題 概略年表
●はじめに
91 年、日本で初めて元「慰安婦」金学順さんが名乗りを上げてから 17 年の歳月が過ぎました。しかし、「慰安婦」問題を始め、加害者と被害者の間での和解に至ることができず、日本の戦後責任問題は混迷を極めています。そこで、ここでは「慰安婦」問題の経過について振り返り、今後の「慰安婦」問題について考えてみたいと思います。
●1988 年〜 1990 年
民主化の進んだ韓国で、今まで声を上げることができなかった「慰安婦」の方々が、自らの名誉を回復するために立ち上がり始めました。そして、その結実として 1990 年には挺対協が結成されました。
1988 年
2 月 韓国教会女性連合会の尹貞玉ら三名が、福岡から沖縄まで慰安婦の足跡を追う調査
7 月 韓国教会女性連合会、「挺身隊研究会」設置
1989 年
1 月 韓国女性団体連合が昭和天皇の葬儀への弔問使節派遣に反対する声明書発表。「挺身隊問題」にも言及して日本に謝罪要求
1990 年
1 月 尹貞玉氏、「挺身隊取材記」を『ハンギョレ新聞』に連載
6 月 参議院予算委員会で本岡昭次議員が慰安婦の実態調査を日本政府に要求。
参院予算委員会で労働者職業安定所局長、「民間業者が軍と共に連れ歩いている状況。調査は出来かねる」と答弁
7 月 韓国で挺身隊研究会(現・挺身隊研究所)結成
10 月 韓国の 37 女性団体が日本政府の答弁に抗議する公開書簡を提出
11 月 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)結成
●1991 年〜 1994 年
元「慰安婦」金学順さんが日本を告発することで、日本で大きく「慰安婦」問題が取り上げられるようになりました。日本の政治家だけでなく、市民や知識人などを巻き込み「慰安婦」問題についての議論が盛り上がりました。その中で河野談話が出され、また、慰安婦問題解決のための措置が模索されました。
1991 年
4 月 参議院予算委員会で本岡昭次議員が韓国女性団体の「公開書簡」への回答求めたのに対し、谷野作太郎・外務省アジア局長は「調査したが手がかりになる資料がない」、若林之矩・労働省職業安定局長は「当時の担当部署は全く関与していなかった」と答弁
8 月 金学順さんが世界で初めて元「慰安婦」名乗り出て日本を告発
12 月 元「慰安婦」 3 人が韓国人元軍人・軍属とともに、日本政府の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。政府が朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について調査を開始
1992 年
1 月 『朝日新聞』、軍の関与を示す史料が防衛庁防衛研究所図書館で発見されたと事図書館で発見されたと第一面で報道。
加藤紘一官房長官、「軍の関与は否定できない」と談話発表
訪韓した宮沢喜一首相が、盧泰愚大統領に慰安婦問題に対して公式謝罪
2 月 日朝国交正常化交渉で、日本政府が慰安婦問題に関し、朝鮮民主主義人民共和国に謝罪表明
7 月 宮沢内閣(加藤紘一官房長官)、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」(第一次調査結果)を発表。政府の直接関与を公式に認めたが、強制連行を立証する資料は発見されなかったとし、「補償に代わる措置」検討表明。
韓国政府、『日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告書』発表。慰安婦の募集などで、威圧的な雰囲気による方法や事実上の動員があったと指摘。
8 月 第一次「挺身隊問題解決のためのアジア連帯会議」がソウルで開催。被害国の韓国・台湾。フィリピン・香港などと日本の市民団体が参加(以後、日本、フィリピンなどで開催)
10 月 韓国・仏教人権委員会、元慰安婦の共同生活施設として「ナヌムの家」開設。
12 月 韓国・釜山などの元「慰安婦」、元女子勤労挺身隊員 10 名が、山口地裁下関支部に提訴。
1993 年
4 月 フィリピンで初めて元「慰安婦」と名乗り出たマリア・ロサ・へソンさんらフィリピン人元「慰安婦」が東京地裁に提訴。
在日の元「慰安婦」の宋神道さん、東京地裁に提訴。
6 月 韓国で「日帝下日本軍慰安婦に対する生活安定支援法」制定。 93 年 8 月より元「慰安婦」に一時的に生活費など支給開始。
8 月 宮沢内閣(河野洋平官房長官)、「いわゆる従軍慰安婦問題について」(第二次調査結果)を発表。
河野官房長官「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」発表。河野官房長官、談話で慰安婦の募集、移送、管理などが「本人達の意志に反して行われた」事認め「お詫びと反省の気持ち」を表明。
1994 年
1 月 オランダ人元「慰安婦」・捕虜など東京地裁に提訴。
8 月 村山首相、問題解決のため国民参加の道を探る考えを表明
9 月 与党三党・戦後五十年プロジェクト発足
11 月 ICJ (国際法律家委員会)が報告書を発表。「慰安婦」被害者には個人補償請求権があると結論。日本政府に行政機関の設置、立法措置、仲裁裁判に応ずべきと勧告。
12 月 連立与党の戦争謝罪国会決議に反対し、自民党内に「終戦 50 周年国会議員連盟」(会長・奥野誠亮)が発足
●1995 年〜 2000 年
「慰安婦」問題が盛り上がりを見せ、その盛り上がりは「女性国際戦犯法廷」に結実しました。しかし、一方で、「自由主義史観」研究会が発足するなど、右派の巻き返しが起こりました。また、慰安婦問題解決のための措置として「女性のためのアジア平和国民基金」が発足しましたが、問題が多く、それへの対応をめぐって「慰安婦」問題の解決を目指していた運動の中で対立が起こりました。
1995 年
1 月 日本弁護士連合会、「従軍慰安婦問題に関する提言」をまとめ、政府に提出。立法措置などにより、元慰安婦個人に補償するように求める。
「自由主義史観」研究会の発足準備スタート。
6 月 衆議院本会議で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」採択
五十嵐広三内閣官房長官が、「女性のためのアジア平和友好基金」(仮称)の事業内容、基金の呼びかけ人を発表。
7 月 「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)発足(理事長は原文兵衛・前参院議長)。
韓国・挺対協など内外 43 団体が基金発足に反対する声明発表。
1996 年
1 月 クマラスワミ特別報告官、国連人権委員会に慰安婦に関する報告書提出、日本政府に国際法違反の法的責任を受け入れるよう勧告( 2.6 報告書の内容が公表)。
「自由主義史観」研究会、『産経新聞』に「教科書が教えない歴史」連載開始。
3 月 ソウル、マニラ、台北各市長が日本政府に被害賠償を促す書簡を発送。
自民党「終戦 50 周年国会議員連盟」が「明るい日本・国会議員連盟」(会長・奥野誠亮、事務局長・板垣正)と名称変更決定( 6.4 結成総会。奥野会長が記者会見で「慰安婦は商行為」「強制連行はなかった」と発言、教科書の記述を批判)
4 月 国連人権委員会、クマラスワミ報告書全体に支持決議採択。
7 月 自由主義史観研究会、中学校教科書からの「慰安婦」記述削除要求など、歴史教科書批判を全国規模で展開することを決定。
8 月 アジア女性基金、フィリピンの元慰安婦に償い金を支給する手続きを開始。
9 月 「日本を守る国民会議」が教科書からの「慰安婦」関連記述の削除を求めて、 1 ヶ月の全国横断キャラバン開始。
10 月 韓国で「日本軍“慰安婦”問題の正しい解決のための市民連帯」発足。アジア女性基金に対抗し、被害者支援の募金活動開始( 1997.5.21 解散)。
12 月 「新しい歴史教科書をつくる会」創立記者会見。
1997 年
1 月 アジア女性基金、非公開のうちに韓国の元慰安婦 7 人への償い金支給を開始。韓国政府、「支給を強行したことは遺憾」とコメント。
「つくる会」設立総会
2 月 元「慰安婦」の姜徳景さんが死去
5 月 「女性・戦争・人権」学会発足
「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」を統合して「日本会議」
8 月 元「慰安婦」マリア・ロサ・へンソンさん死去。
12 月 元「慰安婦」の金学順さんが死去。
1998 年
4 月 「関釜裁判」で山口地裁下関支部が、日本国に対し、元「慰安婦三名」各人へ 30 万円の賠償金支払いを命じる判決。
6 月 VAWW − NET Japan (「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)発足
8 月 国連差別防止・少数者保護小委員会のマクドガル特別報告書の内容が明らかになる。「慰安婦」問題について、責任者処罰、元慰安婦への損害賠償などを日本政府に勧告。
12 月 文部大臣が 2002 年度から実施される中学校学習指導要領を告示。教科内容全体が 3 割程度削減
2000 年
9月 アメリカ・ワシントン連邦裁判所に、日本政府を相手取って損害賠償を求める集団訴訟を起こす。
村山富市首相がアジア女性基金の第 2 代理事長に就任。
12 月 VAWW-NET Japan 、東京・九段会館で「女性国際戦犯法廷」を開催。のべ約 5000 人参加。昭和天皇と 9 人の軍部・政府指導者を人道に対する罪で有罪と認定し、日本政府には国際法違反により賠償する国家責任があると判断( 2001.12.4 、オランダ・ハーグで最終判決)
●2001 年〜 2006 年
各地で行われた「慰安婦」裁判は、事実認定などの成果を勝ち取る一方で、国家無答責や除籍期間などの法理により勝訴にまでは至らず、敗訴が続きました。また、 NHK の「慰安婦」問題に関する番組で改ざん事件が起こるなど政府の「慰安婦」問題への露骨な介入が見られました。
2001 年
2 月 NHK 教育テレビ「 ETV2001 〜シリーズ戦争をどう裁くか〜」を放映(第二回「問われる戦時性暴力」の番組改変が 2005 年に問題化)
3 月 関釜裁判控訴審で広島高裁は元「慰安婦」たちの損害賠償請求を棄却し、逆転敗訴。
4 月 文部科学省が 2002 年度用小中学校教科書の検定結果を発表。「つくる会」中学校歴史・公民教科書も合格。
7 月 アジア女性基金、オランダで 79 人に「償い事業」終了。
2002 年
9 月 アジア女性基金、フィリピン、韓国、台湾で「償い事業」終了。
2003 年
3 月「関釜判決」、最高裁で原告敗訴確定。
2004 年
11 月 元「慰安婦」ほか 35 人の「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」で最高裁が原告の上告棄却、原告側の敗訴確定。
2005 年
2月 金田きみ子さん死去
●2007 年〜現在
「慰安婦」裁判で敗訴判決が続く中、世界各地で「慰安婦」問題非難決議が挙げられるなど、「慰安婦」問題への国際的な関心は高まりを見せています。
2007 年
3 月 米下院の「慰安婦」問題決議案採択に対して、安倍晋三が「慰安婦」への狭義の強制性は無かったと発言、国際問題化。
アジア女性基金が解散。
6 月 中国で「慰安婦」問題非難決議
7 月 米下院「慰安婦」問題非難決議採択
8 月 フィリピン上院で決議案提出、日本に謝罪要求。
11 月 オランダ、カナダで 「慰安婦」問題非難決議採択。
12 月 フランスのストラスブールで開かれた欧州連合(EU)の欧州議会本会議で「慰安婦」問題非難決議採択。「 20 世紀最大の人身売買」
2008 年
10 月 韓国国会で「慰安婦」問題非難決議採択。
11 月 札幌市議会で「慰安婦」問題意見書可決。
台湾立法法院で「慰安婦」謝罪決議採択。
●終わりに
「慰安婦」問題が解決していないにもかかわらず、政府はアジア女性基金により「慰安婦」問題は終わったとしています。また、そもそも「慰安婦」は無かったとする右派の議論が台頭しています。一方で、「慰安婦」問題は世界的な関心の高まりを見せています。「慰安婦」裁判が終息に向かっている今、「慰安婦」問題解決に向けた新たな取り組みが求められています。その一つである戸塚悦朗さんの取り組みを本特集で掲載しています。そちらも是非ご覧下さい。
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