官僚がすべて決めて審議会も政治家も追認するだけ
関係者が驚いたのは、2013年4月に開校する大学の許可を半年前になって取り消す乱暴なやり方だが、これ自体は違法ではない。
大学設置審議会は、文科相の諮問に対して答申するだけで、最終判断するのは大臣である。田中氏が最初「法にのっとって判断した」と主張し、事務方もそれを容認したのはこのためだろう。
しかし今まで大学設置審の答申をくつがえして認可されなかった前例はなく、各大学は準備を終え、受験生への説明会を行う予定だった。このため「ちゃぶ台返しだ」と大騒ぎになったわけだ。
しかし、この手続きはおかしい。文科省の 提出書類の作成の手引きによれば、図2のように大学を開設する場合はその前年の3月末に文科省に「申請」し、それを審査して10月末に認可することになっているが、新設大学の建物を半年で建てることはできないので、このスケジュールは不自然である。
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実際には、大学は2年ぐらい前から文科省に根回しし、内定をもらって教員を募集する。3月末に申請する段階では、すべての教員の名簿が揃っていなければならないが、公募できないので縁故採用するしかない。
このとき文科省は、教授や事務総長などに天下りの就任を要請する。それを承諾すると申請が受理されるので、大学は準備作業を開始する。大学を生かすも殺すも官僚の裁量ひとつなので、大学側は戦々恐々だ。
大学設置審は官僚の決定を追認するだけなので、大臣は答申が出た段階では認めるしかない。実質的な決定権は官僚にあり、審議会も大臣も形だけなのだ。これが霞が関の典型的な手続きであり、これでは「政治主導」なんてできるはずもない。
政治の転換を阻む「まつりごと」の構造
このように最高責任者に実質的な決定権を与えない政治システムを、政治学者の丸山眞男はまつりごとの構造と呼んだ。やまとことばで政治を「まつりごと」と呼ぶのは、古代に祭政一致だったからではなく、天皇を「まつり上げる」ことから来ている。
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