けいたいおかし

アラフィフ中年ゲイによるミニブログ


テーマ:
四六時中、ツイートをしている
「ツイッター職人」というのがいるようで、
その中には何者なのか分からないけど、
勘違いっぷりが笑える人が結構いる。

海外に暮らす日本人が、
日本人をバカにするネタも
尽きないようで・・・
日本で何者でもなかった人ほど、
海外に住んでいることを武器に、
何かのエキスパートになたつもりの
上から目線っぷりが凄い!

最近のボクの”お気に入り”(?)は、
@May_Romaと名乗る
ロンドン在住の女性。

4万人のフォラワーを誇る
”人気アカウント”(?)!

勿論、彼女を崇拝する
フォロワーだけでなく、
ボクみたいに面白がって
フォローしている人も
かなりの人数いると思われる。

元国連職員で元経営コンサル。
公認情報システム監査人(CISA)。
という肩書きが自慢のようだけど、
実体は、ロンドン在住の
英国人と結婚した女性らしい。

ツイッターは広告媒体として、
旦那さんとやっている「英語添削塾」
誘導することや
彼女が執筆する有料ウェブマガジンを
購読させることが目的のようなので、
”あえて”名指しで批判しても
問題ないと判断した。

また、個人のツイートに
辛辣な批判リツリートの
「個人攻撃」をして
フォロワーを増やしていくのが
彼女の「芸風」なのだから、
叩かれることも「宣伝」っちゃ
「宣伝」なのかもしれない。

彼女の悲観的、かつ、厭世的な
ネガティブな発言は
全否定はしないけれど・・・
日本人の認識の甘さや
語学力のなさに関しては
容赦なく辛辣かつ攻撃的。

あらゆる英語学習を否定しながら、
自らが英語塾を運営しているのが、
本末転倒という気がしてしまう。

24時間態勢で日本人相手に
大量のツイート、およびリツリートを
繰り返すエネルギーは
常人の息を脱している!

ただ、英語で返信されても
彼女自身の英語能力の
揚げ足を取られることを恐れてか、
絶対に日本語を貫き通す。

あくまでも「日本人相手」なのだ。

失笑を隠せないのは・・・
たびたび繰り返される
彼女のツイッターでの発言を
パクったという”いいがかり”。

意見そのものに著作権が
存在しているかのように
あちこちに噛み付いている。

「私の方が同じ発言を
先にツイートしたぞ!」って、
著作権を守るというより、
単なる自己顕示欲の誇示。

どんだけ自分のツイッターの
影響力があると思っているのだろう?

彼女の日本人批判、
欧米至上主義的発想は、
彼女自身のコンプレックスの
裏返しとしか思えないほど的確だけど、
それはオリジナルというわけではない。

彼女が好んで攻撃している
日本人の常識、英語力不足は
彼女自身が英国で生活している上で
日々繰り返し感じていること
なのかもしれない・・・と思える。

ボク自身、約20年間の海外生活で
さまざまな日本人をみてきて、
海外在住者が陥るコンプレックスは
いくつかの段階があることを感じてきた。

第1段階は、異文化に触れて、
何もかも新鮮で素晴らしく感じる時期。

1~2年のの短期留学や海外赴任は、
この楽しい時期だけで終わるだろう。

日本では、まだ知られていない
食べ物やお店に興奮して、
毎日が楽しくて仕方ない。

ある意味、夢に描いた
海外生活を”日本人感覚”で
満喫できるのは、この時期だけだ。

第2段階は、現地での生活に
不便を感じ始めて、日本が
どれほど素晴らしいかと感じる時期。

2年目、3年目になると、
現地の良いところだけでなく
悪いところが、やたら目につきだすのだ。

例えば、日本にはたくさんある
公衆便所が海外には少ないとか、
何かと現地に対して批判的になる。

現地の人たち相手に
「いかに日本が素晴らしいか」を
ついつい訴えてしまうのだ。

第3段階では、徐々に現地に
馴れてくることによって見えてくる
さまざまな日本人の対する
批判やコンプレックスが吹き出す時期。

人種差別や日本に対する無知さなどが
現地の生活や文化に慣れてきたことで、
ヒシヒシと感じ始めるのだ。

第3段階というのは、
海外移住して3~4年目以降に
起こり始める状態で、
多くの日本人は、この前の段階で
帰国してしまうことが多いかもしれない。

この第3段階が厄介な時期で・・・
日本人相手に、やたら”海外風”を
吹かすということになる。

どういうわけか・・・
日本人相手になると、日本語能力が
一時的に低下するのも、この時期。

数10年使っている自国語が、
たった数年で忘れてしまうのは、
よっぽど言語能力に欠けているか、
無意識に日本語を忘れてしまうほど、
現地に溶け込んでいることの
アピールでしかないのだから。

ついつい日本語の会話の中に
現地の言葉が入ってしまったり、
日本の習慣を忘れたかのような
奇行をし始めたりする。

内面的には、本当の意味での
「日本人コンプレックス」や
「英語コンプレックス」で
満ちあふれてしまっているのに、
本人には、まったく自覚がない。

コンプレックスの捌け口として
現地の情報や海外からの視点を
日本人相手に上から目線で
威張りまくってしまうのだ。

現地の人たちからは
良くも悪くも・・・
とっても「日本人」らしい人だと
思われていたりするのに、
日本人相手には、
海外の社会にフィットした
自分を過剰にアピールしてしまう。

その現実と自覚のギャップが
批判的な上から目線を生むのだ。

第4段階は、コンプレックスや
批判から解放された状態・・・。

現地の実情というのは、
あくまでも、それを語る
本人が何を体験しているか・・
何を感じさせられたか次第。

個人的な体験を語ることは
できたとしても・・・
それを普遍的な情報として
伝えることの無意味さを
理解するようになるのだ。

現地の男性と結婚して
海外で暮らす女性の場合、
旦那さんの現地での社会的地位や
経済力とかが、その人の
体験に大きく影響する。

もしも、日本人が
羨むようなセレブ生活を
しているとしても、
それを日本人相手に
自慢や風潮するようなら、
それはセレブ生活に隠された
苦悩やコンプレックスの
裏返しにしかすぎない。

本当の意味での
グローバルな視野を持つ人ほど
謙虚だし、他者を批判しない。

多様性を理解することは
実は自分自身と向き合うこと。

自分のルーツや本質を
知ることに他ならないのだ。

上から目線で何事も語るのは、
自分のコンプレックスの深さを
露にしてしまうだけ・・・。

怒濤のごとく発信される
日本人相手のツイートや
他者を非難するリツリートを
タイムラインで見かけるたび、
苦悩や困難も推測できて、
痛々しさも感じてしまうのだ。

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