第2章 3)知られざる覚醒植物カート

 ソマリランドの謎は多々ある。
 なぜソマリランドは内戦を終結できたのか? なぜ同じソマリ人なのに南部ソマリアはそれができないのか。ソマリランドの財政的基盤は何か? ソマリランドは本当に治安がいいのか? よいとすればどうしてなのか?

 日本に帰国してから多くの人にこういう点を訊かれた。誰もそれを知りたいところだ。私も知りたかったが、すぐにわかったわけではない。少しずつソマリランド人(あるいはソマリ人)の中に入っていってわかってきたのだ。その最大の鍵は「カート宴会」である。

 ソマリランドに入国したばかりの頃、私はソマリランド人の素早さ、有能さに驚いた。レストランでもホテルでも商店でも、誰もがきびきびと働き、計算は正確で、対応もびっくりするほど早い。

 国民(もしくは住民)が全員「できるビジネスマン」みたいなのだ。
「この国は将来、ものすごく発展するんじゃないか」──と思ったのだが、二、三日するとそれが完全な思い違いであるとわかった。

 ソマリランド人は午前中こそひじょうに活発だが、昼の1時から5時頃まで、つまり午後の大半の時間は仕事を全くしない。店は閉まり、町には車も人通りも絶え、真夜中みたいになる。みんな、自宅か友だちの家かあるいは別のどこかで、「カート宴会」をやっているのだ。

 カートは学名をcatha edulis、ニシキギ科の植物で和名は「アラビアチャノキ」。見た目はツバキやサザンカに似た常緑樹で、葉もツバキやサザンカのように表面がてかてかしたいわゆる「照葉樹」である。

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カート屋台で大量に買い込むワイヤッブと私(撮影:宮澤信也)

 本場は紅海を隔てたイエメンで、イギリスの植民地時代にソマリランドやソマリアなどのソマリ人エリアやエチオピアに広まったと言われている。イエメンでは「カート」、ソマリ語では「チャット」「カート」、ケニアでは「ミラー」と呼ばれる。南部ソマリアでもケニアの影響でミラーと呼ぶ人が多い。

 実は私は十年ほど前、イエメンで毎日ひたすらカートを噛むという生活を1ヶ月半も続けたことがある。イエメンでは大事なことはすべてカート・パーティ(みんなでカートを噛む集まりで、私は「カート宴会」と訳している)で話されるという。政府の政策ですら、閣僚が行う非公式のカート宴会で本当に重要なことが決定されると専らの評判だ。日本の料亭政治みたいなものかもしれない。

 ソマリランドへ行く途中、エチオピアのハラルでカート市場やカート畑を見物した。彼らによれば、今カートはエチオピア国内で大流行し、社会問題になっているほどだが、輸出高の伸びもすごく、今や、エチオピアの代名詞であるコーヒーを凌ぐほどだという。

 そしてそのエチオピア産カートの最大の顧客があろうことかソマリランドなのである。

「ソマリ人はみんなカート中毒で、頭がおかしくなっている」とハラルのガイド、リシャンたちは言っていた。そのとき私は「エチオピア人の偏見だろう」と思っていた。エチオピアとソマリは、日本と中国(あるいは韓国)みたいなもので、隣り合っているのに気質がまるでちがい、そして歴史的に侵略したりされたりというライバル同士だ。互いに相手を見下しているところがある。

 ところがハルゲイサに着くと、エチオピア人の言葉どおりだった。市場では野菜や肉や穀物など他のどの商品よりもカートの売り場が場所をとっていて、午後一時、ちょうど昼飯の終わったあと、人々がそこに殺到する。早朝にハラルで摘まれた新鮮なカートの葉が、毎日だいたいその時間にトラックで到着するのだ。

「上海ガニみたいだな」と宮澤は呆れた。上海ガニも同じ時刻に産地から市場に届き、やはり鮮度が命のため、買い手が同時に殺到するという。

 もっとも熱気は上海ガニを上回るようだ。客を呼ぶ売り子が怒鳴り、買い手もおなじくらいの必死さで喚き、車ごと群衆の中に突っ込む輩もいて、阿鼻叫喚。その足下では、地面を埋め尽くすカートの葉屑をヤギがむさぼり食っている。

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護衛の兵士が朝イチでやることはカートの購入(撮影:宮澤信也)

 ハルゲイサのカート市場は卸売りの市場であり、そこから市内にある無数のカート屋台に卸される。緑色の屋台には番号やソマリ語の単語が書かれているが、いずれも輸入業者の名前もしくは商品の銘柄でもある。有名な業者の商品は「ブランド」とされ、値が変わってくる。人々は自分の懐と相談し、カートの銘柄と量を買って、家に持ち帰る。

 イエメンではシーシャ(水パイプ)を吸いながらカートを食べるカフェがあったが、ソマリランドにはない。代わりに、街中に遊牧民が作るようなテントがそこかしこに見られる。カートを販売していて、客が望めば中で食べることもできる。私は「カート居酒屋」と名付けた。

 私がソマリランドで初めて本格的にカートを食べたのはホテル裏にあったカート居酒屋でのことだった。中を覗くといかにも職もカネもなさそうな男たちがたむろして、初めは私が入ろうとするのを嫌がった。

「ガイジンの見世物じゃねえ!」と言っているのだろう。だが、ちょうど私がイエメンで一緒にカートをやっていたのがこの手の連中だったので、懐かしくなり、意に介さず1ドル分だけ買って中に入った。彼らはまさか私がここでカートをやるとは思わず、驚いた様子だった。

 1ドル分では片手で握れるほどの小さい束だった。葉はボロボロで固い。
 中は薄暗く、色黒のソマリ人の顔はよく見分けがつかない。私たちはてきとうに彼らの間に座った。

 ここは「居酒屋」なので、カートだけでなく「つまみ」も出している。コーラや水、お茶などだ。酒と反対で、メインが固体で肴が液体という組み合わせなのだ。

 食べ方を見ているとイエメンとはちがう。イエメン人は葉っぱを噛まずに頬の内側にためる。みんな、片頬にゴルフボールが入っているような、ひょっとこめいた顔になる。そしてエキスだけ吸い、あとで食べかすをペッと外に吐き捨てる。

 ところが、ここではみんな、葉っぱをばりばり齧り、飲み込んでいる。
 郷にいれば郷に従え。私もソマリ流に葉っぱを齧りだした。

 カートは本当に見かけはただの木の葉っぱだ。枝からむしって、若い葉や柔らかい茎の部分をばりばり食う。葉っぱだからまずい。土埃もついている。しかも胃から消化吸収するため、効き始めるのに30分から1時間もかかる。

 イエメンやアフリカでこれに挑戦する外国人の多くはここで脱落する。『カラシニコフ』の松本仁一氏でさえ「カートは効き目が弱い。酒やコーヒーを飲む刺激の強い生活をしている日本人にはどうってこともない」と書いているが、まったくの誤解だ。

 効くまでは頑張って食わねばならない。この時間帯は髭面のいかつい男たちが牛か馬のように一心不乱に葉っぱをかじる。相当に異様な光景なので、初めての宮澤は「これがほんとの草食系男子だね」と驚き呆れた。

 無論私もせっせと食う。

 他の客はそれを見て面白がっていたが、片言の英語で「おねだり」が始まった。ひとりにカートを少しわけてやると他のやつが俺も俺もと手を伸ばす。結局5ドル分買って、近くにいた連中におごったが、今度は離れた席のやつもやってきて、「どうして俺にはくれねえんだ?」とすごむ。暗がりの中、数人に取り囲まれ、「これはちょっとマズイな......」と緊張感が高まってきたが、同時に体の内側からとても懐かしい心地よさが広がってきた。「おお、これだよ、これ!」

 体の芯が熱くなり、意識がすっと上に持ち上がるような感じがする。昔は合法だったタイのドラッグ「ヤーバー」(覚醒剤、アンフェタミン)に似ているが、ある意味ではもっと強い効き目がある。カートにはアンフェタミンにはない「人恋しさ」という効果があるからだ。

 なぜかわからないが、近くにいる人に、思いついたことをなんでもかんでも話しかけたくなる。言葉がよく通じないとか、こんなことを急に訊いたら相手が嫌な顔をするんじゃないかという、素面のときの躊躇が春の雪のように溶けてなくなる。向こうもそうだから、あたかも国籍や民族や立場の違いなどが一時的に消えてなくなるような錯覚に陥るのである。

 酒みたいだが、酒とちがうのはカートでは意識の明晰さが失われない点だ。車の運転手が眠気覚ましと集中力持続に使うことからもそれはわかるだろう。そして記憶を失うこともない。

 さて、このときも私はろうの兵士に手話というのか身振りというのか、ともかく話しかけた。今となってはそのときどうやったのか詳しく思い出せないが、彼がモガディショ出身で、兵士として戦場に出たこと、銃声や砲声が聞こえないから地面に耳をつけて敵が来るのを察知したこと、銃弾を3カ所受けたことがあること、地雷で右足を吹っ飛ばされたことなどがわかった。

 耳が聞こえない人間に銃を持たせる国がこの世界にあるのかと驚かされた。やはり南部ソマリアは北斗の拳だ。戦国時代真っ直中だ。

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カート居酒屋で遭遇したろうで片足の元兵士(撮影:高野秀行)

 でも彼は言う。
「戦争は怖いけど、カートをやれば平気」

 アンフェタミンと同様、カートをやると気が大きくなり、恐怖心がなくなる。集中力も増すので、エチオピアでは受験生にも人気だという。いっぽう、ソマリ人エリアでは独裁政権時代も今も「戦争」に使われている。

 あとで聞いたのだが、独裁政権時代、ソマリランドの反政府ゲリラも、酷暑の半砂漠でろくに食糧もない状況下、カートを噛んで強大な政府軍の戦車や飛行機と戦っていたという。海賊も四六時中それを齧っているとドイツ人のユルゲンさんは言っていた。

 でも戦争でないときカートは人と人との交流を深める。ろうの元兵士は松葉杖を持ち、カラシニコフを打つポーズを見せて、写真を撮らせてくれた。

──こんなにも気持ちいいものだったとは......! 

 世界は明るく、顔の周りが冴え冴えとし、言いたいことが何の衒いもなく口からすんなり出てくる。不安は何一つなくリラックスしきっている。これがずっと続けばどんなに素晴らしいことか。気づくと、私は新しい友人たちにカートをおごりまくっていた。

「俺、初めてソマリ人と心が通じ合った気がしたよ」帰り道、宮澤に話しかけると、ちょっと味見しただけで脱落していた宮澤は「単にたかられているようにしか見えなかったけどね」と簡潔な感想を述べた。 

 その後、カート居酒屋には1回行っただけで、以後やめた。カートが効いていて心が太平洋のように広くなっていても、「これは単にたかられているだけ」と感じてしまったからだ。

 もっとも、カート自体はほぼ毎日のようにやっていた。通訳のワイヤッブが重度のカート中毒で、どこへ行くにも朝から齧っており、手を出せばどんどん分けてくれるからだ。長時間のドライブにカートはいい。ドライバーもカートを噛む。眠くならず、集中力が持続するからだ。私はワイヤッブにソマリ語の表現を訊ねたり、ソマリランドの謎を解き明かすべく、さまざまな質問を投げかける。超速の人であり、いつもせわしないワイヤッブも、カートをやっているときだけは、私のしつこい質問にも丁寧に答えてくれる。

 少しずつ、パズルのピースが集まり、謎の国家の相貌が部分的に見えだしてきた。
 しかし、"聞きとり促進剤"としてのカートの威力を本格的に感じたのはやはり「カート宴会」だった。

ソマリランド地図