1群 ざるを得ない 11875
ざるをえない 5007
2群 ざるおえない 142
3群 ざる負えない 45
ざる終えない 29
ざる追えない 1
「どこにあるの?」文庫本を整理していたら、岡田喜秋の本がいくつかでてきた。 いま読んでも、押しつけがましくない文体がいいと思う。 この文章にひかれて、はじめて富山〜琵琶湖の北陸行にでかけたことも思い出した。
と羽村の駅前の、茶店で聞いてみると、さすがに地元だけに、およそ歴史には関心のなさそうなウェイトレスも、
「その通りのすぐ前です」
と即答してくれた。
岡田喜秋「武蔵野に水を求めて」『すべてふるさと 東日本篇』中公文庫
そこで小説家がやらねばならないことは、「ライオン」というコトバを使わないでライオンを表現すること、 恐怖のかたまりを作りだすこと、コトバを使ってコトバ以前の本質を生みだすことではあるまいかと思うのですけれど、 これがじつに容易なことではありません。そういえば、詩人の評論か何かでも似たようなのを読んだような気がするなぁ。 うちの入試にでたのだったかな。
開高健「消えた戦争・続いている戦争」『読ませる話』文藝春秋編・文春文庫
「オクターブ」とは完全八度音程のことで、音の高低、強弱には関係がなく、 ある音と音の間が八度あることを一オクターブという。 音そのものは、一オクターブ上げても、か細くなることもあり得るので 「興奮がつのって声が高くなる」という意味では使えない。なんでも「十年ほど前」、『朝日新聞』の記事では「オクターブを上げる」 という慣用句(的表現)が多用されたそうだ。 私の語感だと「状況・事情などが切迫するにつれて、関係者の発言の調子などが強くなること」というような使い方しかない。 が、片山氏がしめした例には「京都知事選がスタート。三候補はいっせいに街頭に飛び出し、オクターブをあげた。」 というのまである。 もう少し前後の表現が知りたいが、挙げられた部分だけでは、どうも理解しがたい。
片山朝雄編集の『朝日新聞の用語の手びき』。 同氏「新聞は卑俗語の使い手」『日本語学』1994-5より孫引き
おとゞは、「かしこきおこなひ人」とて、葛城山より請(さう)じおろしたる、待ちいで給ひて、加持まゐらせむとし給ふ。
『源氏物語』「柏木」
大臣は「すぐれた修行者だ」ということで、葛城山から招き寄せた人をお待ちなさって、加持祈祷をさせようとなさる。