科学者のウソを見破る2つのポイント〜「Nature」がiPS細胞デマ臨床事件を斬る
先月、山中伸弥教授がiPS細胞の研究でノーベル賞を受賞したのは記憶にあたらしいところ。その後、本人よりも大きく報道されたのが、iPS細胞を使って心臓移植をしたと偽りの発表をした森口尚史氏のスキャンダルでした。
森口尚史 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%8F%A3%E5%B0%9A%E5%8F%B2
この事件について、本人以上に厳しい批判にさらされたのが、嘘の特ダネに釣られてしまったマスコミ。ソーシャルメディアでは、「もっとちゃんと調べるべき」というような意見をいっぱい見かけたわけですが、記者の立場になると、どこまで疑って、どこまで信じればいいのか、なかなか難しいところでもあります。疑いだせば、プレスリリースのワンフレーズごと、すべてチェックしなきゃいけなくなるし、それは現実的ではありません。
――つまり、現実的に役立つのは「正しくあるべき」「チェックすべき」「知っているべき」といった無謬を求める正論ではなくて、いかにしてクオリティを保つのか、間違いを防げるのか、という実践的な話だろうと思います。
どうやったらジャーナリストは、科学者の嘘を見破れるのかというこの難しい問題について、科学雑誌『Nature』のWebサイトに良記事があったので、ちょっと要約したいと思います。
Bad press - Japan's media have played a large part in exacerbating the effects of a fraud.
http://www.nature.com/news/bad-press-1.11679
まず、Natureはこの事件についてどう捉えているのか。
ジャーナリズムのクオリティの低さがこうしたストーリーを産みだし、広く報道されたわけだが、これはなにも科学だけの話でもないし、日本だけの話でもない。たしかに読売新聞の報道は残念なものだったが、日経新聞を含む他の新聞各社も、特に確認もしないまま、森口氏について報道してきた。科学のような理解するのに難しいテーマになると報道も臆病になる。そこで、ジャーナリストが専門家に挑戦するための、実践的なステップをお伝えしたい。
かなり冷静です。ここから、2つのポイントの説明がされます。まず一つ目。
出版物にあたること
研究者はかならずその成果を論文にしたためる。もしそれがなければ赤信号。怪しかったら、論文には所属が書いてあるので、そこで本当に働いているか確かめればよい。(読売新聞も、ハーバード大学にメール一本してればこんなことにはならなかっただろうに......)
発表された事実の論拠とソースを求める、このへんは裏取りとしては基本的なところではありますね。次。2つ目。
他の研究者に妥当性を確かめること
他の研究者に、研究結果についての現実性や意義を聞くこと。話を聞くのは、怪しいと思った研究者とは関わりのない人を選ぶべき。こうした研究者を探すには、テーマに関連する論文かインターネットで探せばすぐに見つかるだろう。もしそういった研究者がみつからなければ、それはそれで要注意だ。おそらく、北米かヨーロッパにいる研究者のほうが、より正しい可能性が高い。研究者は文献からゴミを排除するので、もしその研究がゴミならば、ゴミだよと教えてくれるだろう。
他の研究者を当たる、言い換えれば「複数のソースに当たれ」というところでしょうか。こうして言葉にすると当たり前が大事、という感じがしますね。北米、ヨーロッパのほうが正しい可能性が高い、っていう根拠はよくわかりません。英語へのアクセシビリティの問題でしょうか。
ここからは、そうした手続きを踏めば、さらなる疑問が沸き起こってきたはずだ、と続きます。
もちろん、森口氏の研究結果について、論文はなかった。とすれば、こうした疑問が沸き起こるはずだ。なぜ論文を書くより先にメディアに発表したのか。(中略)なぜ、森口氏がこの分野でほとんど経験がないのに、画期的なことを成し遂げられたのか。なぜ、実在しない機関に務めていると主張したのか。なぜ、前例のないテクノロジーを医療現場で用いたのか。(中略)なぜ、共同研究者の名前を明らかにしなかったのか。ちょっとツッコむだけで、次々に疑わしい点が出てくる。
ま、ここまで来れば......という内容ではあります。が、安心してはいけません。
日本の風習も事件の背景に?
と、ここで記事は一転、事件の背景に潜む日本の風習について踏み込みます。
(前略)日本の科学者は、同業者に対して批判的ではないように思える。たとえ真実であっても暴露することは自分自身のキャリアに響くからだ。同様に、ジャーナリストも「先生」という相手の立場の前に生ぬるくなってしまい、質問するのをためらってしまう。時差や英語への不安からだろうか、海外の科学者にコンタクトを取ることもない。
このへんは実に手厳しい。海外に対してリファレンスを求めることを、習慣にまで落としこむのは、一朝一夕ではいかないように感じます。当たり前の難しさ、というか。
次からは、日本の報道でもよく言われていた周辺環境について。山中教授の快挙に湧いたため、関連のニュースへの需要が一気に高まった、実用化の面で海外から遅れを取っていたため功を焦って捏造し、スクープが欲しかった読売新聞が飛びついた、といったあたりが指摘されています。そして最後にキツーい締めのお言葉。
まったくバカげた事件だ。iPS細胞の技術が素晴しく、そしてノーベル賞を受賞した最大の理由は、世界中どこにいる科学者でもその技術を使えるからだ。もし日本が山中教授の受賞を誇りに思うのなら、世界中のiPS細胞に関する功績について賞賛すべきだ。そしてジャーナリストが、iPS細胞の重要性を理解したいのならば、新しい発見について、世界の視点で捉えていかなければならない。
国にこだわることなかれ、世界で考え、世界を見よ、といったところでしょうか。先ほどの英語が苦手だからか、みたいな節からも読み取れる通り、日本の閉鎖性、内向きの意識について批判しています。
と、いうわけで学者に騙されないポイントを繰り返すとは、
- その学者の論文や文献にあたる
- 他の学者に、疑わしい学者について尋ねる
ということだそうです。2つ目は一般人には難しいから、関連する研究や研究史そのものをさかのぼったりするのが良いのでしょうね。
専門性というと、分野に関しての専門的知識の蓄積、というイメージがあります。しかし、ジャーナリストにとって必要な専門性というのは、少し毛色が違って、特定分野の「常識」「コモンセンス」「俯瞰した情報」をきちんと把握していること、なのでは、なんてことを思いました。皆さんはどう思いますか。ではまた。