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大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~
【第15回】 2012年10月30日
著者・コラム紹介バックナンバー
加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]

大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月
明らかになった真実、隠され続ける真相とは

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不誠実な事後対応は、なぜ検証されないのか

 東日本大震災が起きてから1年7ヵ月以上が経つ。遺族たちはこの間、市教委の事後対応にも苦しんできた。「二次被害だ」「市教委を検証してほしい」という声が、遺族のなかから上がっている。

 典型的な問題点は、生存者や帰宅して助かった児童たちへの聞き取り調査のメモを「破棄した」と、調査を担当した当時の指導主事が言い続けていることだ。

 子どもたちと教職員84人の命が失われたという、未曾有の規模の事故なのに、音声録音をしないままの調査に加え、挙げ句の果てにメモを捨てるという行為は、公務員としてはあり得ない。

 事実関係を明らかにするという作業が、誠実に、緻密に行われたとは、決して言えないのだ。

 実際に、聞き取り記録や事故報告は、遺族側から、調査の矛盾点の指摘を受けて、変遷を繰り返している。

 市教委は、震災から1年以上にわたって、校庭から子どもたちが「避難をした」と説明していた。

 2011年6月4日の説明会では、“避難”開始時刻は、「午後3時25分頃」。それが、2012年1月22日説明会では「午後3時30分頃~」に変わり、1年後の2012年3月18日には「午後3時35分過ぎ」となった。

 遺族の追及によって、実際には避難と言えるような実態ではなく、津波に襲われる1分ほど前に「逃げ始めた」といったほうが正しかったことが分かったのだ。

 校庭から避難をしなかった理由については、裏山に倒木があったためとしていたが、それも「倒木があったと思われる」と、市教委は途中で説明を変えた。

 また、児童が教諭に向かって「山に逃げよう」と言っていたという児童たちの証言が、調書にはひとつもないのに、説明会での指導主事からの説明の中には出てくるという不審な点もある。

 さらに、重要な資料を、長期間公表しなかったという問題もあった。

 唯一生存したA教諭が保護者宛にメッセージを綴ったファックスを、市教委が公開したのは受け取ってから7ヵ月以上も経ってからだった。また、震災から5日後という直後の時期に、当時の柏葉校長から聞き取った被災状況の調書が存在することが、私たちの情報公開請求で分かったのは、震災から1年2ヵ月が過ぎた2012年5月18日だった。

 このように、震災直後に市教委が混乱していた、という理由だけでは説明がつかない重要事項が、疑問の残る形で公文書に残されてきたり、あるいは、ないとおかしいことが、なぜかなかったことにされてきたりした側面がある。

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加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]

気象キャスター集団ウェザーマップ所属のキャスターや番組ディレクターを経て2008年に独立。防災、気象、科学を中心に様々な形で活動中。2006年よりサイエンスコミュニケーターとして「気象サイエンスカフェ」(日本気象学会、日本気象予報士会)をオーガナイズ。写真と詩の連載『はじまる写真』(ソニーデジタルエンターテインメント)、共著に『気象予報士になる!?』(秀和システム)など。また、東日本大震災により変わり果てた被災地・石巻を巡った『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)の撮影協力も行っている。


大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない「惨事」について、震災から1年経った今、これまで伏せられてきた“真実”がついに解き明かされようとしている。この連載では、大川小学校の“真実”を明らかにするとともに、子どもの命を守るためにあるべき安心・安全な学校の管理体制を考える。

「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~」

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