しかし、この二次避難先にある【近隣の空き地・公園等】という場所が、学校周辺には存在しない場所だったことから、この記述はマニュアルのひな形データのままであったと思われる。実際の地域環境に合わせてカスタマイズされていない、机上の空論のようなマニュアルだったのである。
宮城県沖地震の確率が高いということが一般に周知されて、平成19年度には宮城県内で、学校防災の体制を強化するよう管理職や安全担当教諭の研修が盛んに行われていた。にもかかわらず、大川小では津波に関しての避難訓練も行ったことはなかったし、緊急時の引き渡しの訓練の計画もいつの間にかなくなっていた。
保護者に対してのメールでの連絡方法の共有や、引き渡しの情報を共有する「引き渡しカード」も手渡されていなかった。さまざまな防災の計画が、平成21年度に柏葉照幸校長が同校に就任してからは立ち消えになってしまっていた。
その結果、前述の通り、教職員たちは大津波警報が出ている中、どこに避難するかで揉めることになった。津波の危険が実際に迫っていることを知ってから突発的に目指すことにしたのは、あろうことか河川の堤防だった。
当日、校庭に50分間、待機し続けたのは、誰かからの具体的な指示や命令によるものだったのか、現場での誤った決断のためなのか、はたまた、決められない人間関係のせいだったのかについては、市教委側からは、見解が全く示されていない。
一方、遺族側は、2012年10月28日に7回目の保護者説明会で、独自の調査による避難に関する検証を示し、“極端な事なかれ主義”が蔓延し、影響したと考察した。
<何事もない日々であればさほど問題ではありませんが、今回のような事態では大問題です。あの日、「責任とれるのか」といういつもの判断基準が、(教諭たちの間で)どうしても頭から離れなかったのです。あの日の判断の遅れには、2年間で蔓延した極端な「事なかれ主義」が大きく影響しています>
<誰が主導権を握るか、というパワーバランスも無関係ではなかったと思われます。子どもの「山へ逃げよう」という声を取り上げなかったことでも分かります。取り乱すことなく、落ち着いていた方が優位に立つことになり、誰も異論を挟めなかったのです。子どもの命を守るべき組織としては、あまりにも未熟だったと言わざるを得ません>
危機管理マニュアルの不備、想定訓練や計画の欠落といったことの一つひとつは、小さな事柄だが、遺族は、結果的にそれらを積み重ねてきてしまった学校運営の結果、「命を守る組織ではなかった」と考察しているのである。