平成16年4月21日「トリビアの泉」という番組で「ルパン三世と峰不二子の子供がいる」という内容が放映されたが、これは正確には半分誤りである。「ルパン小僧」は本編「ルパン三世」とは別の漫画であり、直接の相互関係はない。また「ルパン小僧はルパン三世と峰不二子の子供」と書籍にあるのは出版側によるキャッチコピー作成で、本編中では不二子そっくりの女性は、一度も「不二子」という名では呼ばれていないのである。
「ルパン小僧」はTVアニメ・セカンドシリーズで子供に「ルパン」が人気を博した事を知った双葉社が、書籍でも子供をターゲットにファン層を拡大しようと「少年アクション」を創刊する際、「ルパンと不二子の間に4世をつくって連載をしよう」と原作者にもちかけた設定である。原作者はこの設定を嫌がり筆が進まなかったと言っている。理由としては「子供相手に、子供を泥棒にした漫画を描いていいものか」というものであったが、更に本音をいえばクールで危険な男の世界観を大事にする原作「ルパン三世」に、マイホーム嗜好の「家族設定」を持ち込む事を嫌がった、というのは間違いないだろう。不二子は1回ずつ違う役回りではあるが、基本的に「ルパンとは相反する位置」にあり、基本設定は「愛すべき、しかし敵」なのである。
『コミック版ルパン三世は全く子供向きではない。あくまでもヤングを対象にした作品である。全体の構成は極めてクールに描いたつもりだ。
◆峰不二子について―――――――――――
完全に「ルパン三世」のライバルとして描いた。当然利害は相反する立場においた。時には男性に容赦しない危険な女性。「ルパン三世」唯一の好みのタイプ。・・・と、これが本来の「峰不二子」像だ。』
〔GEORGIAリアルポーズ ストラップ コレクションアクションポーズ フィギュア原作40周年記念特別寄稿!原作者モンキー・パンチ先生が語る!真の『ルパン三世』像とは・・・?2007年/日本コカ・コーラ〕
おそらく嫌々ながらも、この設定を描いたのは出版社との関係で、断りきれない事情があったとみるのが妥当だろう。(「風魔一族の陰謀」での声優キャスティング変更でのいきさつにもみるように、原作者は義理のある相手を断りきれない性格である)。「ルパン小僧」で不二子似の女性を出しても彼女の名は出さず、また「4世」ではなく「小僧」とし、登場するルパン三世の口からも「息子」とは一度も呼ばせていない事等も、「小僧」が「三世」や「不二子」の血縁と断定させない為の、原作者のささやかな抵抗だったのかもしれない。
しかし単行本になった「ルパン小僧」は、世間にも「ルパンと不二子の息子」という認識を広めていった。そういう時期に登場した話が原作「新ルパン三世」本編の「死闘!!不二子対ルパン小僧」である。この話に出てくる不二子は自分を偽物というルパン小僧に対して不快感を顕わにし
「よしてちょうだい気もちわるいわ もう一人のあたしがパリにいるなんて しかも子供まであるなんて!」
「第一、アタシとルパンとそんな関係をむすんだ事実はまるでありませんからねッ」
と断言する。この不二子の言動は、おそらくは原作者の代弁でもあるのだろう。それだけ別漫画「ルパン小僧」設定が本編「ルパン三世」内で固定化されることを拒んだともいえる。「ルパン小僧」と違い、この話の不二子は明確に「峰不二子」と呼ばれている事からもそれが伺える。だが、ここで目をひくのは不二子の「もう一人のあたし」という台詞である。これは暗に「ルパン三世」がパラレル物であることも示唆している。
そこで気づくのは、「ルパン小僧」からしてみると自分の漫画の設定こそが「本編」であり、「ルパン三世」はパラレル側であるということである。つまり小僧からみれば「ルパン三世本編の不二子はパラレル設定の偽物」「ルパン三世本編」の不二子からすれば「ルパン小僧」側がパラレル側の偽物なので、「ルパン三世本編の自分は本物」ということになり、それを基準にすれば双方の主張はどちらも正しいことになる。また「ルパン三世」本編側に登場する「死闘!!不二子対ルパン小僧」の不二子は、話の流れから見ても本物とみた方が自然だろう。
それでも、あえて「ルパン三世」本編の不二子を本物か偽物かあやふやな結末に演出したのは、出版社や「ルパン小僧」好きの方に対する原作者の配慮だろう。原作者は自分の主張ははっきりとは述べるが、だからといって、自身の好みと違う物を叩き潰すような真似はしない。「パラレル設定」がある限り「その場限り」と割り切れる、違う設定は幾らでもあるのだからと、好みとは別にしてあらゆる設定の存在を容認している。この姿勢はアニメで原作の手を離れ、違う姿になってしまった幾つもの「ルパン三世」たちに対する、暖かな眼差しとも共通する。しかし、決してそれは「自分の世界観を曲げた」ということではない。原作者の手を離れた物に対しては寛大だが、原作者自身のオリジナルまでも誤解されるのは良しとしないだけである。だからこそ「死闘!!不二子対ルパン小僧」で原作者は自身の意思をあえて表したのであり、自身が監督になった劇場版アニメ「DEAD OR ALIVE」では「自身の作品」であるが故に、従来のアニメ設定にあれだけの抵抗をみせたのである。これらを整理してみると
「ルパンと不二子の子供という設定で漫画を描いてといわれ、その仕事を請けたので、『ルパン小僧ではそういう設定なのか』と聞かれれば否定はしない」
「ただし『ルパン小僧』本編では、小僧は四代目とは名乗らせず、母も不二子とは決めつけられないように無名にしてあり、如何様にも受け取れるよう曖昧にしてある」
「『ルパン三世』本編内では『ルパン小僧』の設定は無効という主張が『不二子』を通して語られている」
となり「『ルパン小僧』も一種のパラレル設定であり、『本編ルパン三世』用の設定ではない」という事に落ち着きそうである。最後に、原作者自身の口から語られた本音と思える言葉を記しておきたい。
『アニメ作品は自分の作品でなく別のものと考えている。「ルパン三世」では5人の人物設定は変えないで、自由につくってもらうようにしている。ただし「生活感なく」。例えば、不二子に子どもがいた!なんていう現実臭は出してほしくない。』
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