[参考]
私がJAVAをやめた理由 青島啓子
──『コンパッション』第46号(92年六月)より転載
栗原佳子様
新緑の美しいころとなりました。お元気にお過しのご様子およろこび申し上げます。
さて、先日のお手紙にて、私がJAVAをやめるに至った経過などを書いてとのご依頼を承りました。どのようにお応えすべきか、かなり長い間迷っておりましたが、この、栗原さま宛のご返事がご要望にふさわしいものでありますなら、このままお使い下さいますよう。
丁度前後して『地球維新』No. 二二を長田彫潮様から頂きました。その中の栗原さんの「連載その二」末尾で私のJAVA脱会に触れておられますが、それを切詰めて左に引用し、少々説明を加えさせていただきます。それがお答になるかもしれません。
JAVA創立当初からの会員でありこれまで、野上のJAVAとこちらの「廃止協会」両方の会に所属していたAさんから電話があり、二月十五日正午をもって、JAVAに退会届を出したとの連絡があった。Aさんは我々の同志ではないが…
先ず「Aさん」が青島であることを言明しておきます。私は名前は勿論、発言、行動、文章(私信も)全て、とり隠さなければならない必要を感じません。ご遠慮なくお扱い下さい。それからこだわるようですが、退会届を出したのではなく、脱会を通告したのであります。
脱会の理由はJAVAの新会則案です。この会則案は民主主義の常識からは到底考えられない内容のもので、明治憲法に匹敵する前近代的な感覚に満ちています。分裂直後のJAVAは真先に民主的運営を方針として掲げていましたが、新しい会則との懸隔の甚しさにほとんど絶句、その会則がおそらく無修正で成立するはずの今年度総会(二月十五日午後一時始)の直前に、私はJAVAを離れました。
そのことを栗原さんにお電話いたしましたわけは、説明ぬきでは邪推の種になるかもしれませんので、ここで申し上げておきましょう。
JAVA分裂当時、私は「みどりの連合」には入っていませんので事情が皆目わからず、主として文書の類で見当をつけていました。実はひそかに動物の代弁者を以て任じる私にとって、人間のことはどうでもよかったのです。いくばくのかの日が経ち、太田栗原御夫妻が私宅へお見えになり、廃止協会へとお誘い下さいました。分裂は夫婦喧嘩のようなものと茶化して申し上げたのもその時のことだったかと思います。私は即刻入会をお願いし、けれどもお勧めにもかかわらず、JAVAもやめませんと申しました。右の経緯によって、やめたことをお知らせする義理が私には生じておりました。これがお電話した理由です。
分裂後のJAVAを、その定例会の席上、私はタツノオトシゴと評し、周囲から反発を受けましたが、この感想は現在も変っていません。竜の落し子は親の基本路線に、従来の愛護団体の方法(パネル展、抗議行動等)をとり入れ、設立当初の「ひろく知らせる」目的は或る程度達成しつつあるものの、未だ独自の方策を確立し得ていないと思われます。
分裂直後の「今後は民主的運営を」という挨拶状文面を信じ、若い方々の活躍を期待し、私はつっかい棒以上の役はいたしませんでしたけれど、シロ事件をきっかけに深く事務局とも係わらざるを得なくなり、運営細則づくりにも加わりました。その過程で会計疑惑が派生、いわゆる“騒ぎ”が出来したのでした。
定例会に古い会員が出席しないのは何故か、事務局の仕事に加わる方が次々に辞めてしまうのは何故か、この五年間数多くの人が集り立去っていったようですが、その知恵を集積できなかったのは何故か、具体的に語るのは他の方にお委せします。私は、新会則で全てが理解できたと感じております。
動物実験は私の倫理、生き方にかかわる問題として、今後私なりに活動して行く予定です。今年初め狩猟の件で一寸おさわがせしました時に用いた名称「動物虐待防止会」を、きちんとした御挨拶状で近々御披露するつもりでおります。ドリトル先生や聖フランシスコの能力なく、代弁者を以て任じるのは思い上り者め、と、未来で動物さんたちから叱られるかもしれませんが、この世の現状では出しゃばらざるを得ないようです。この会で、実験を虐待の最たるものととらえ、廃止を目指して行きたいと考えております。
二十年来「動物虐待防止会」は、財団法人、株式会社、と構想幾変転の後、小さなグループにおちつきました。小さいけれど強い、動物の命を最優先に考えるけれど人間を傷つけることも好まない、私のようにぼやっとした会になると思いますが、お見守り下さい。
では、皆さま御自愛のほどを。 かしこ
五月二十日 青島啓子
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