田中文科大臣の不認可は妥当か?

田中眞紀子文部科学大臣が、大学設置・学校法人審議会の答申を覆し、来春開校予定の3大学の設置申請を不認可にしたことで、ほとんどのマスコミが、例えば、産経のように、否定的な見解を述べている

果たしてそうだろうか?

大体、日本のマスコミは、僕もやられ続けてきたけど、過程の適否と決定内容の是非を混同する嫌いがある。今回は良い教科書で、まず、過程(手続)に関しては、何の問題も無い。大学設置・学校法人審議会の答申に関しては、言葉どおり、答申であって、最終的には大臣の広範な決定権限を覆すものでは無く、単純に言えば、単なる参考意見に過ぎない。それだけ、大臣の決定は重いということ。

僕も、4年前の市民病院の民間委譲に関しては、答申を求めた行革審議会から、私の民営化の意向と真っ向から反対の見解が出てきた。僕はもちろん、参考にするが、結果的には反故。それは、決定とそれに基づく実行に関しての実質的な決定権は、首長が有する。これは当たり前で、もし、民営化が失敗した場合の責任は行革審議会はとれない。取れるのはただ1人、首長のみ。だからこそ、首長には広範な実質的決定権限が与えられているのです(ここで実質的と書いたのは、議会が強大な権限、すなわち、議決権を持っていることに配慮して。)。

それを、産経はまったく分かっていない。もし、審議会どおりにやっていれば、それはそれで、隠れ蓑とかいろいろ言うくせにね。重ねて田中大臣の決定までに関するプロセスは何ら違法性は無い。ここで、自民党もワーワー言っているようだけど、お門違い。


一方で、決定の内容について見てみると、学校側の思いについて、感情的にはよく分かるが、それとて、責任は形式的には文部科学省に帰属する。それがルールですね。しかし、ここが難しいのは、例えば、地方自治体の場合、大統領制なので、CCC×新図書館構想、市民病院の民間委譲問題であっても、次の選挙でその賛否を問うことができる。

しかし、今回の場合、その実質的な責任の取りようっていうのが無いんだな、これが。大臣は別に国民が選んでいるわけでもないし、総理も、国会議員が選んでいるに過ぎない。良い悪いは別にして、この決定が間違っているにしても、責任の取りようがないのが実情。今回の場合は、文部科学省も責任の取りようがない。

その中で、片山元鳥取県知事・総務大臣が、訴訟になったら、文部科学省が負けるって言っているけど、手続に瑕疵(問題)が無く、さらに、決定の内容について、責任の取りようがない状態で、どうやって勝ち負けが言えるんだろうか。この人、大丈夫か。

ま、いろいろ考えさせる田中大臣の決定劇だけど、現時点では、問題の無い決定だと思います。ただ、関係する学生さんは可哀想。大人に、振り回されているだからね。
by fromhotelhibiscus | 2012-11-04 23:15 | Trackback | Comments(8)
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Commented by 松村 健 at 2012-11-04 23:46 x
「学生が可哀そうだ」などと同情論一色のマスコミ報道の中、この樋渡市長の様な意見はなかなか言えないですね。 日本国の教育の責を負っているわけですから「大臣の意思は重い」というのは当然の事。 事務的申請がそろっているということ(多少審査的なことはあるとしても)と、それを認可決定することは別であることをマスコミは混同していますね。 私学にも税金が注がれており、そこの理事・教員などには、文科省からの天下りが行く場合が多いことなどを考慮すべきであることが抜けています。 それに加え、少子化・大学間競争激化等々、大臣がそのすべてを勘案し「ノー」という事であれば、問題はないというよりそうあるべきであると思います。(真紀子さんがそうであるかどうか怪しいという議論は別として)
四国も樋渡さんに汚染されているとのツイートもありましたが、私も徳島から来週武雄に向かいます。 楽しみです。 よろしくお願いします。
Commented by lestat at 2012-11-05 15:38 x
何のための審議会なのか?
審議会の審議内容のどこに問題があったのか?
具体的に明らかにすべきであって、そんなこともせずに
ただ、審議委員の陣容に問題があるとか、大臣の発言があるようだが、
ならば、大学設置・学校法人審議会令を先に変更し、
制度を改める事をするのが筋。
その上で、現時点での審議会は問題が多々あるというならば、
大臣の責任で辞任などを審議会委員に迫り、新しい大学設置・学校法人審議会令の下に委員を集めるべき。
そんなこともせずに、愚にもつかない理由から不認可にするのは、
批判されて然るべき。

日本国の教育の責を負っているなら、問題がある審議会をそのままにしておく事こそ責任を負っているとは到底言えない。

つまり、教育の責を負っているとは言えない訳だ。


Commented by anton at 2012-11-05 16:31 x
趣旨に関しては、失礼ながら、わが意を得たりです。
ただ、「しかし、今回の場合、その実質的な責任の取りようっていうのが無い」というのはどうでしょう? 
もし「責任をとる」という用法が意味をもつとすれば「とる」のは主権をもつ投票者です。責任があるから、首長なら首長をたとえば無能であると判断して交替させる。
いくら立派な政治家でも、一人の個人が国政のような広範に強い影響をあたえる決定の、その結果は背負いきれないでしょう。ある政策決定による「実質的な」損害に対しても、また倫理的にも「実質的な責任」は過大すぎる。選ばれた者は全力を尽くすことが期待されるのは当然ですが、その結果については「責任をもつ」主権者が別に判断する。ですから「責任」の所在が転倒してることがそもそもの誤りだと考えます。
それと首長と国政の大臣でも、権力の源泉からの正統な道筋があるのですから、政策を決定する自由(と責任)を有することに違いはなく、そこには本質的な問題はないと思います。
突然失礼しました。
Commented by それは違うね、不認可は過ち at 2012-11-05 20:03 x
実質的に、大きな被害、大きな理不尽が発生しようとしているときに、手続き論に終始して、不認可を認めるような考え方は、評論家ならまだしも、政治家には許されない。手続き論は全てに場合に対応できる訳ではなく、具体的個別的な事情に応じて柔軟に対処するのが、心暖かい政治家の姿勢ではないか。
Commented by 奈良大仏 at 2012-11-05 22:21 x
大臣が政治家であるのは役所の内部でのこと。
この場合の大臣というのは「行政機関」。行政機関の裁量は、法律で限られている。この場合、大臣の裁量は「審査基準要件を満たしているか」。
「要件は満たしているが不認可」これはできない。
恣意的な行政権力の発動があれば、国民生活が混乱するし、権力を利用した収賄や集票が横行するチャイナのような国になる。
審査基準を公示し、それに適合すれば認可するという形で、透明・公正・公平な行政執行が可能になる。これは行政の暴走。
真紀子は、政治家として官僚に対して審査基準の厳格化を明示、それが公示されてから、その基準で新設を拒否すればよい。
Commented by 佐賀人 at 2012-11-06 04:01 x
今まで審議をしていた人達が間違っていたのでは?この少子化の中大学は増える一方で毎年大学への助成金の額が増えていくばかり。大学を創る側も助成金があるから創る訳で全て自分の学校の収支で経営しなければいけないのだったらこんなに増え続ける訳がない。それこそ潰れる大学が増えてくればそれまでその学校に費やしてきた補助金(税金)は水の泡になってしまう。こんな事は田中大臣に替わるもっと前に気付かなければいけなかった事では?田中大臣はハズレくじを買って出たような気もするが…そもそも認可される前に入学の手続きを行ってしまっているという、これまでの流れがダメだろう。なぁなぁになっていた大学新設のあり方にメスをいれた形になったのではないだろうか。しかし学生達は完全な被害者である事は間違いない。
Commented by なまこ at 2012-11-06 09:19 x
大学側は訴訟も考えているらしいですが、樋渡さんは問題なく文科省は勝てる、ということですね?
Commented by とびえい at 2012-11-06 10:58 x
長が責任を持つ ということは、当然です。したがって、許認可についても責任を持って実行する。これも当然なことです。
今回の場合も、その点は理解できますが、本当に責任をもった行動といえるのでしょうか?
わがままなお嬢様が権力を持ったからそれを行使して、周囲の人に迷惑をかけているようにしか見えません。本来なら、大学新設決定方法を改革してからでしょう。
これまで準備してきた大学・学生への影響なんて考えてなかったから
その後の説明もないのではないでしょうか

長たるものは権力の大きさを自覚して慎重に行使してほしいですね
(自分でなく)みんなが幸せになるように
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