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行政そっぽ 仙台・緑ヶ丘3丁目、宅地復旧めど立たず
 | 宅地の復旧方針が定まらない中、新たな鋼管くいを打ち込む宮城県の災害復旧工事が進む |
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東日本大震災で地滑り被害を受けた仙台市太白区緑ケ丘3丁目の宅地再建が、震災から1年8カ月近くたった今もめどが立っていない。宮城県と仙台市が事実上、復旧事業の責任を押し付け合っている状態で、住民は「被災地であることが忘れ去られている」と苦悩の色を濃くしている。
緑ケ丘3丁目は、宮城県沖地震(1978年)でも地滑りが起き、一部は集団移転の対象にもなった。県はその後、鋼管くいを埋めるなどの防止策を取り、一帯は県管理の地滑り防止区域に指定された。 東日本大震災では、地区の大半の約100区画で地滑りが発生。被災した約20戸が家屋を解体した。県は昨年6月、被災宅地でいち早く、地元に対し復旧工事を行う方針を表明。2度目の被災となる住民の多くは「復旧が早く進む」と期待した。 ところが、公費で宅地を復旧させる国の「造成宅地滑動崩落緊急対策事業」が創設された昨年11月以降、風向きが変わった。事業主体の市は地滑り防止区域の緑ケ丘3丁目については事業申請を見送り、区域外で同様の被害を受けた緑ケ丘2、4丁目を対象とした。 市によると、地滑り防止区域の管理は法律で「県知事が行う」と定められており、宅地の安全性確保も県が対応すべきだと判断したという。 一方、県はことし2月の説明会で、地中に埋めた鋼管くいなど、地滑り防止施設の復旧には取り組む方針を示したが、「宅地被害(の復旧)には関与しない」と表明。県が管理しているのは、あくまで地滑り防止施設であって、個人資産の宅地は対象外との立場だ。 住民に方針を示す以前、県と市の間で宅地復旧策についての本格的な議論はなかった。県と市のはざまで、被災者は結果的に置き去りにされた格好になった。 住民は二十数人で「被災者の会」を結成。被災宅地の安全性調査や公費での復旧を検討するよう要望しているが、市と県はともにそれぞれの姿勢を変えていない。 被災者の会世話人代表の佐藤修さん(76)は「住民は高齢者がほとんど。せめて近隣地区と同様、家に住み続けられるかどうか判断してもらわないと生活再建策も考えられない」と訴える。
2012年11月06日火曜日
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