2012-11-04 02:10:31
416. タイムリミットに向けて
テーマ:ブログ
このブログは、11月9日(金)までに私がアメブロに何らかの返答をしないと、「ただちに」(アメブロ管理人)削除されるようです。通達メールの中でアメブロが削除箇所URLとして示してきたのは、このブログそのものです。特定の記事、または特定の表現ではありません。
私はこれまで、このブログを大いに活用させていただきました。宗教や歴史を批判的に考えて、それを発信し、それに関心のある人たちと語り合うことを目的としてきました。そして実際それができました。原発事故のときには、福島在住の私の安否を気遣って、たくさんの方がメッセージやコメントをくださいました。中には、何かあったら自分のところに避難してくるように、とおっしゃってくださった方もいらっしゃいました。
そのうちの何人かの方は、記事の更新をぴたりと辞めてしまったり、退会してしまっていて、もう感謝の言葉を直に伝えることができません。この場を借りて、私を励ましてくださったブロガーの方々に感謝します。記事の感想を寄せてくださった方、意見を率直に述べて下さった方にも感謝しています。皆さんのおかげで私の知的好奇心は刺激されました。ブログを通していただいた皆さんの言葉を私は忘れません。
古代エジプト人たちは、文字として人の一生を残すことを特別視していました。文字は永遠に残ると考えていたからです。それで、エジプトでは書記たちは命を記録する者たちとみなされていました。考古学調査で、エジプト人の墓の入り口には、被葬者の生涯の歩みが文字で刻まれていたことがわかっています。それが人類史のおける自伝の始まりだとも言われています。ヘブライ語聖書の『ヨブ記』の主人公ヨブは次のように言っています。「どうかわたしの言葉が書き留められるように。碑文として刻まれるように。たがね(尖筆)で岩に刻まれ、鉛で黒々と記されていつまでも残るように」(ヨブ19章23-24節)。
私も自分の意見をこれまで文字にしてきました。古代エジプト人やイスラエル人にとっては、文字は永続する記録の道具でした。しかし、インターネット上においては文字ははかないものです。紙に記録を残すことと、ネット上に記録を残すことには大きな違いがあると思います。
私はこれまで色々なことを記事にしてきましたが、それはあと一週間もすれば消えてしまうかもしれません。これはブログを始めた時から了解していたことなので、とくに惜しいとは思っていません。皆さんからの言葉は私の記憶にとどめられています。そして、私が発してきた言葉も、いくらかは皆さんの記憶にとどめられると思います。そうであるならば、このブログは十分に目的を果たしたと思います。
-BANGIO
私はこれまで、このブログを大いに活用させていただきました。宗教や歴史を批判的に考えて、それを発信し、それに関心のある人たちと語り合うことを目的としてきました。そして実際それができました。原発事故のときには、福島在住の私の安否を気遣って、たくさんの方がメッセージやコメントをくださいました。中には、何かあったら自分のところに避難してくるように、とおっしゃってくださった方もいらっしゃいました。
そのうちの何人かの方は、記事の更新をぴたりと辞めてしまったり、退会してしまっていて、もう感謝の言葉を直に伝えることができません。この場を借りて、私を励ましてくださったブロガーの方々に感謝します。記事の感想を寄せてくださった方、意見を率直に述べて下さった方にも感謝しています。皆さんのおかげで私の知的好奇心は刺激されました。ブログを通していただいた皆さんの言葉を私は忘れません。
古代エジプト人たちは、文字として人の一生を残すことを特別視していました。文字は永遠に残ると考えていたからです。それで、エジプトでは書記たちは命を記録する者たちとみなされていました。考古学調査で、エジプト人の墓の入り口には、被葬者の生涯の歩みが文字で刻まれていたことがわかっています。それが人類史のおける自伝の始まりだとも言われています。ヘブライ語聖書の『ヨブ記』の主人公ヨブは次のように言っています。「どうかわたしの言葉が書き留められるように。碑文として刻まれるように。たがね(尖筆)で岩に刻まれ、鉛で黒々と記されていつまでも残るように」(ヨブ19章23-24節)。
私も自分の意見をこれまで文字にしてきました。古代エジプト人やイスラエル人にとっては、文字は永続する記録の道具でした。しかし、インターネット上においては文字ははかないものです。紙に記録を残すことと、ネット上に記録を残すことには大きな違いがあると思います。
私はこれまで色々なことを記事にしてきましたが、それはあと一週間もすれば消えてしまうかもしれません。これはブログを始めた時から了解していたことなので、とくに惜しいとは思っていません。皆さんからの言葉は私の記憶にとどめられています。そして、私が発してきた言葉も、いくらかは皆さんの記憶にとどめられると思います。そうであるならば、このブログは十分に目的を果たしたと思います。
-BANGIO