 2012-11-06 |
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・外国に滞在しているときにテレビを点けると、その国の番組が、ごく自然に流れています。ことばがよくわからないので、やがては、「見ることもないか」と飽きてきて、たいていは消してしまいます。
ぼくは、たまに、日本のテレビを異邦人のように見ています。ことばがわからないのと同じ感じを、音声が聞こえないようにして味わうのです。そうすると(当たり前ですが)ものすごくつまらない。日本人に顔つきの似ている韓国や中国のテレビと、ほとんど同じように感じられるんです。特にバラエティ番組なんて、出演者どうしが笑い合ってるだけに見えるから、疎外感というか、さみしい気持ちにさえなります。
音がなくて堪えられるテレビ番組は、ほとんどないです。自然をテーマにしたドキュメンタリーと、スポーツ番組以外は、テレビって「ラジオ」ですよね。目に見えるところを、なんとか飾って見せているけれど、ほんとうは音楽とことばで構成されているんだよなぁ。そういうことを知ります。なんのためにこういうことをするのか、じぶんでもよくわからないのですが、たまにやります。ぼくのよくやりたがる、立場をひっくり返す遊びかな。外国に行ったときに観るテレビが、あんなにつまらなく見えるんだったら、外国人の目で日本のテレビを観たら、どんなふうにつまらないく見えるんだろう?そういうことを味わってみたいんでしょうね。
日本語がわからないと、つまんないぞー日本のテレビ。そう思うと、逆に「なにがおもしろいんだろう」と、新しい好奇心が湧いてくるんですよね。いろんな国で面白がられるものって、現在の「ことば中心のラジオみたいなテレビ」じゃない。「ことば中心」って、どうしても、内輪に向いちゃう。だとしたら、外の人にも魅力あるものって、どういうものなんだろうって、考えたくなるんですよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。デザインやゲームって、内輪だけじゃないものになりそう。