2012年10月
先日、愛知県で2日間開催された、高齢者・障がい者・児童施設のユニットケアを考える「第14回施設の暮らしを豊かに!全国推進セミナー」に参加して来ました。
以上、パネリストとコーディネーターとのディスカッションによる報告形式でした。
それぞれに代表者(管理者)の方々の「こだわり」を発表されていました。「人々が集う場作り」「ご近所のパワーを活用」「ゴジカラ村」「非行少年の補導の受託」など理念を基にその事業所ごとのこだわりを大切に支援しているという内容が、強く伝わってきました。
その中でもある施設の施設長さんが、話された内容に「人を動かすのは、人である。」「人は関係性や役割の中で共存し合っている。」と本当に重みのある言葉でした。私自身を振り返ってみても「人としての関わりが出来ているのか?」と考えさせられました。
私たちは、誰を対象にサービスを提供しているのか、全ての基本には、「利用者さん(入居者さん)である。」利用者(入居者さん)主体のサービスとよく言われますが、本当に在宅も施設もそうなのか?と考えさせられました。サービスありきの関わりとなってしまい、本来の介護の基本姿勢である人としての関わりという視点は、薄れてしまいがちです。
利用者さんは、本当にそれを望んでいるのか?勿論、認知症や重度な寝たきりになってしまい、判断や希望を訴えられることが出来ない方は、ご家族さんのニーズとなってしまいます。ある程度の判断能力が、ある利用者さんでも専門職の関わりによってサービスが先行してしまい○○さんと言う利用者主体のサービスを提供できているのか?常々、疑問に思っていました。それは、施設に限らず在宅でも同じだと思います。
サービスは、誰の為にあるのか?何の為にあるのか?を考えさせられる研修会でした。施設でも在宅でも利用者さんの可能性を奪ってしまうケアをしていませんか?研修会の中では、「放っておく介護があっても良いのでは?」と話されていました。放っておくと言うと無責任なイメージを持たれやすいですが、「そっとしておいてほしい」「一人になりたい」と思うことがあってもおかしくはないのです。自分自身に置き換えると時折、「そうしたい」と思うことは確かにあります。
「お世話」と「お節介」は、違うものであり「お世話」とは、望んでいることをされること。「お節介」とは、望んでいないことをされること。ではないでしょうか?即ち、「お世話」は、相手の想いや気持ち、望みを理解していくその視点が必要です。私たち介護職員は、お世話できる専門職でなくてはならないのです。「お節介」は、相手のことを思ってしているかもしれませんが、自分自身の物差しに当てはめていることではないでしょうか?(自分基準が強い。)
私たちの介護も時として「お節介になっていませんか?」専門職として、○○さんは、何を望んでいるのか?その望みを叶える為には、何が弊害なのか?それを見極める力やどこまで頑張れるのか?(本人の力)を明確に把握しておくことが必要なのではないでしょうか?即ち、ストレングス視点の活用ということになります。(利用者さんの持っている力に焦点を当て、それを引き出して、最大限に発揮できるように援助を行うこと)
よく福祉の世界のやり甲斐を聞かれることがあります。その時にほとんどの方が「ありがとう」って言われた時に・・・と話されます。それは、相手の望んでいる「お世話」をすることが出来たからこそ感謝され相手から聞ける言葉なのだと思います。それには、利用者さんの持っている最大限の力を活用し自立支援の観点からの「お世話」という意味になります。もし、「お節介」になった場合は、感謝されるどころか迷惑の押しつけになってしまいがちです。しかし、時には「お節介」が必要な場合もあります。
それは、先日、入居者のYさん(意思疎通が困難な状態の方)のご子息さんが、お亡くなりになられた時のことです。お通夜やお葬式への出席をどうするのか?と職員間で考えた時、職員一同「お母さんとして出席してほしい。連れて行ってあげたい。」と同じ思いになりました。そして、ご主人へ相談してYさんが、お通夜とお葬式に出席することができるようになりました。正直、リクライニング車いすにしっかり座れるか、途中退席になるか?と色々な不安がありました。
しかし、Yさんを久しぶりに見る親族の方々は、涙を流して喜ばれ「元気そうやね」「会えて良かった。」等と口々にYさんに話しかけていました。その姿を見ていたYさんは、自ら手を動かされたり、泣きそうな表情をされていました。また、みんなが笑うと笑顔になられたりといつもとは、違うYさんのご様子でした。違う意味でYさんが主役になっていました。今回の件は、Yさんからするとどうだったのだろうか?もしかしたら、私たち職員の想いが先行して行動してしまったのではないか?と不安に感じることもありました。このことをある先輩に話したところ、「これは、偉大なお節介やね!」と言われました。「お世話」と「お節介」は、もしかすると紙一重なのかもしれません。時には、「偉大なお節介」が必要な場合もあるのかもしれませんね!
この様な意味でも「第14回施設の暮らしを豊かに!全国推進セミナー」の研修は、もう一度、私自身ひいては、職員たちにとっても利用者主体とは?を考えさせられる研修でありました。発表されている事業所、それぞれに「こだわり」をもっている。だからこそ、ブレない方向性が定まっていることも感じました。
現在でも、「問題」「困難」ケースと考える介護場面がありますが、それは「誰にとって」の「問題」「困難」なのか?もう一度、振り返り利用者さんが、蚊帳の外状態ではなく、利用者主体の介護を提供していけるその様な視点を養っていかなくてはならないと感じています。知らず、知らずに利用者さんのことを思ってが、強くなり、私たちにとっての「問題」「困難」ケースになりがちです。今一度、客観的に自分自身を振り返る必要があると感じました。
これからもお世話のプロとして時には、「偉大(特別)なお節介」ができるそんな「人」を育てていけたらと思っています。(副施設長 山ヶ城 和男)
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