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 基本的に閑話は書きたい事だけ、思い付いた事だけ、情報の補完の為に書いているのでそこは了承して下さい。
 それと閑話は時間軸が未来だったり過去だったり色々ありますので。

 今回の書き方は色々と実験的です。
第二章 傾国の宴 腹黒王女編
閑話 鈍鉄騎士の一日と赤い鬼
【鈍鉄騎士視点】
【時間軸:百二十一日目】



 白銀の一閃が、四足獣のような動作で低く地に伏せたスティール・クローバック――アポ朗からは鈍鉄騎士と呼ばれている男――の頭上を通過した。その際逃げ遅れた髪の毛が数本、白銀の一閃に切断されて宙を舞う。
 想定していた以上の剣速に、スティールは背中が汗でジットリと湿っていくのを自覚する。
 それでいて、スティールが浮かべるのは小さな笑み。
 それも恐怖に引きつった不恰好な笑みなどではなく、まるで大好きな事をしている時のような、そして牙を剥き出しにした獣のような笑みだった。
 その笑みはスティール・クローバックという男が本質的に戦いを好む荒々しい気性の持ち主である、という事を雄弁に語っていた。
 例え初めて会う人間だろうと、この笑みを見れば一度で理解できるに違いない。

 そんな男が、己の予想を越えた力を垣間見せてくれた相手に笑みを浮かべないはずがなかった。

 四肢に漲る力が、より強くなっていく。獣のように、引き締まった力強さを発揮する。

(面白ェ)

 内心でその思いを零す。熱く滾る興奮を言葉に変えて、より激しく燃える様な錯覚をスティールは抱いた。

 滾る血潮が加速し、思考が過熱するような感覚――性交よりも強い高揚感。
 目の前の敵を倒してその血肉を喰らえとスティールの心底に住む何かの雄叫び――スティールだけに聞こえる幻聴。
 全身に血を送り力強く拍動する心臓の音――内部から響く戦いを求める声。

 静かにゆっくりと、スティールは秘めた牙爪を剥き出しにしていく。人の皮を被った戦獣の本性が皮膚を破って表に出ようとする。

 あと一歩で完全に引きずり出される本性――それを邪魔するようなタイミングで、地に伏せたスティールに向けて頭上からやや苛立たしそうな声が響いた。
 声は女のモノだった。それも若い女の、スティールと対峙している相手のモノだった。
 そして今にも出てこようとした獣が出る間を外されて身体の奥底で不貞寝する様な感覚を覚え、スティールから毒気が抜ける。

「ああもうッ、コレでも当たらないってど――ッ」

 思わず女が吐き出していた愚痴を、スティールは苛立ちを込めた反撃によって黙らせる。
 地面について身体を支えている両手両足に力を込め、それに全身のバネも加える事で通常よりも速く力強い動作で跳び起きる。まるで獣のような――否、獣そのままな動作だった。
 そして身体全体で跳ね起きながら、スティールは右手に持つ刃引きされたミスラル合金製の長剣を振り上げた。
 長剣はゴウッ、と鋭く力強い風斬り音を上げながら今も攻撃範囲内に居る相手――赤い短髪の女にその刃を食い込ませようと猛る。
 跳び起き様の切り上げ攻撃は、まるで肉食獣が獲物の喉に飛び掛かるような姿だった。長剣はスティールの鋭利な牙か、あるいは爪といった所だろう。
 反撃のタイミング、剣速、角度、意識の間隙、スティールの優れた身体能力、それら諸々の諸要素が上手く噛み合い、スティールの反撃は普通の相手ならば避けるどころか防ぐ事も難しい強烈な一撃となっていた。
 刃引きされているとはいえ、長剣が金属の塊である事に違いはない。その為このままならば長剣は赤い短髪の女の皮肉を傷つけ、骨を叩き折るだろう。
 この一撃で、スティールは赤い短髪の女との勝負に勝利する。
 命は奪わないが、勝ちはスティールが正しく得る事になる。

 筈だったのだ、普通であれば。しかし――

「――ッぶなぁ!」

 ――ガギィィィッン!! と甲高く硬質な衝突音が広い≪外部訓練場≫に響いた。

 音と共に火花が飛び散り、それと同時にスティールの長剣を握っていた右手からビリビリと痺れが全身に伝播する。

「――ッチ」
 
 思わず漏れた舌打ち。

 しかし勝利を決定づけてくれたであろう自信のあった一撃が、赤短髪女の持つ刃引きされたナタにギリギリの所で弾かれればそれも仕方ないだろう。
 手に僅かな痺れを感じつつスティールは即座に気持ちを切り替え、再度攻撃を繰り出した。
 一歩踏み出し、袈裟懸けの一撃。
 世界の理――【戦技アーツ】の補助などには頼らず、足さばきや身体の連動などの純粋な肉体操作技術によって繰り出された強力無比な白銀の牙爪撃。
 白銀の牙爪撃は現在スティール達が居る“クーデルン大森林”にも生息しているアカシカ――世間一般的には≪グルナセルフ≫と言われる動物型モンスターの一種――程度ならば、モンスター特有の強靭な筋骨に守られた頸部でも簡単に食い千切れるほどの威力を秘めている。

 刀身には今度こそ、という思いが込められ。

 しかし再度、甲高い音が響く。
 先の一撃と同じく、赤短髪女の鉈が長剣を弾いたからだ。

 鉈は長剣ほど長くないのでスティールの方が攻撃範囲は広いが、攻撃力だけでいえば重く分厚い鉈の方が高かった。それにそれを無造作に軽々と振るっている赤短髪女の膂力が、見かけ以上にある事も防がれた要因の一つだろうか。

(攻撃力だけでいえばアチラが若干上、なら)

 一撃の威力で負けているのなら手数で勝負。
 そう即断し、スティールは長剣をまるで己の手の延長であるかのように自由自在に操って、敵を倒すべく斬撃を繰り返す。
 高速で振るわれる長剣、それを迎え撃つため鉈が動く。
 両者が生み出す銀閃が幾度も瞬き、それと同じ回数の硬質な音が響いて無数の火花が飛び散っていく。

 攻めれば防がれるかあるいは流され、攻められれば防ぎあるいは流す。

 一進一退の攻防。激しく切り替わる攻守と立ち位置。地面に刻まれるステップの痕跡。第三者から見ればまるで演舞のようなギリギリのやり取りが続く。
 掠り傷は両者とも徐々に増えていくが、掠り傷以上の怪我は両者とも負う事無く斬撃を交えていく。

 甲高く耳障りな金属達の悲鳴――歪な狂想曲。

 その時間が長くなれば長くなるほど、スティールが浮かべる笑みは獰猛なモノになっていた。

 戦闘経験など多くの部分で相手よりも遥かに勝るはずのスティールが攻めきれないのだ。スティールが打ち負けないのは当然として、攻めきれない事がスティールの精神を高揚させる。
 何度も勝つ寸前まで追い込む事ができているのに、最後の一撃が入るギリギリで回避されていく。それはまるで水を掴もうとしている様な感覚に近かった。

(そんなに日数は経ッてねェーッてのに、腕上げ過ぎだろォがッ)

 獰猛な獣そのままな笑みを浮かべつつ、スティールは赤短髪女の成長ぶりに内心で感心していた。

 赤短髪女――ルベリア・ウォールラインが傭兵団≪戦に備えよパラベラム≫の団長であるアポ朗達と数十日ぶりに帰還したのが昨夜の事である。
 本来なら昨夜の内にしておきたかったのだが、帰還祝いによる宴会が開かれたのでできるはずがなかった。
 故に現在、【師匠マスター】であるスティールは数十日ぶりに帰ってきた【弟子ディサィプル】であるルべリアとこうして久しぶりに実戦的な手合わせをしているのだが、ルべリアの戦闘能力はスティールの想像を遥かに越えたモノになっていた。
 成長、というよりも進化といったほうがいい様な進歩である。

 スティールはルべリアが新しい【職業ジョブ】を一つ得た事は聞いていた。
 それが何なのかまではまだ聞かされていないが、それによって身体能力が飛躍的に向上しているのは手合わせの前から予測できていたし、これまでの攻防でスティールはその上昇度を測った。
 その結果ルべリアは“身体能力が爆発的に強化されていた”が、それでもまだ身体能力はスティールが勝っていた。確かに身体能力の向上が目を見張るモノがあったが、それだけならスティールはルべリアに容易く勝てた筈である。

 スティール自身ルべリアがそうであったように、アポ朗達が不在中に【魔喰の戦士ノワール・ソルダ】と【獣騎士ビーストナイト】という二つの【職業ジョブ】を新しく得ていた。
 どうも獲得する為の条件の殆どを満たしていたらしく、残っていた未消化の条件をアポ朗達が出立して数日も経たずにクリアして得たのである。
 二つの新しい職業をジックリと鍛える時間もあり、それなりに職業レベルも上がって、以前から持っていた【職業ジョブ】との相乗効果によってスティールの身体能力は格段に上がっている。
 本当はたった一つの【職業】でそんなスティールに迫る身体能力を得たルべリアにこそ驚嘆すべきかもしれないが、現時点では確実にスティールの方が身体能力が高い。
 だからルべリアがただ上がった身体能力だけで戦っていれば、どうしたってルべリアに勝機は無かった。
 しかし現実として、スティールがルべリアを追い詰めつつも勝てていないのはルべリアの強さが身体能力だけではなく、それに優れた戦闘技法が自然と混じり合っているからに他ならなかった。
 今はまだスティールの方が技術的に上ではあるが、それに迫る技量をたった数十日という僅かな時間でルべリアは体得していたのである。
 いや、敵の攻撃を防ぐ事にのみ注目すれば、スティールすら越えている可能性すらあった。決着の一撃が決まらない事がその証拠である。

 ルべリアはどうやら攻撃よりも守りに秀でているらしい。

 もしルべリアが【守護騎士ガーディアン】など守りに秀でた【職業】を得ていれば、恐らくはもっとスティールを苦しめていた事だろう。そして今後はそうなる可能性が大きいという事でもある。

 このまま強く成り続ければ、ルべリアはもしかしたら【勇者】や【英雄】と呼ばれる存在になるのではないか。などとスティールの脳裏を過る思い。
 あり得なくは、無いかもしれない話だった。末恐ろしい奴だ、と声に出さずスティールはため息を吐き出した。

 しかし真に注目すべきなのはルべリア本人ではなく、ルべリアにこの短期間でココまでの戦闘技術を叩き込んだ存在である。

(動きにチラホラと大旦那の影が見えらァーな)

 ルべリアが繰り出してきた袈裟懸けの一太刀を防ぎ、そのまま流れる様な反撃。それも防がれながら、スティールは更に一歩前に踏み出した。
 距離が縮まり、リーチが短いルべリアにとって都合がいい間合いだ。鉈の強烈な一撃が迫る。真正面から防ごうとすれば長剣ごと押し切られるだろう強烈な斬撃。
 スティールはそれを傾けた長剣で流した。
 距離が縮まって無意識の内に力が籠ってしまったルべリアの鉈が長剣の上を擦りながら軌道を逸らされた結果、一瞬だけだったが体勢が崩れた。
 そうなるように誘導したスティールがそれを見逃すなどある筈もなく、ルべリアの細い胴体を狙って鋭い蹴りを一発入れる。そこに手加減は無かった。
 攻撃が当たったという確かな感触。

「あがッ――」

 今度こそ避ける事のできなかったルべリアの口から小さな悲鳴と空気が押し出され、その身体がくの字に折れ曲がる。
 現在のスティールの蹴りは大木を一撃で折る事が可能だった。そんな蹴りの直撃を受けては、流石にルべリアが堪えられるはずがなかった。
 激しく回転しながらルべリアの肉体が地面を転がっていく。幸い≪外部訓練場≫の土は比較的軟らかく、予め大きな石は撤去されていたが、それでも甚大なダメージをルべリアが負った事に変わりない。
 転がる内にやがて回転は止まり、ルべリアはすぐに起き上がらずにその場に蹲った。
 やがてフラフラと起きあがったが、次の瞬間には跪いて嘔吐した。吐瀉物を巻き散らかし、目尻に涙を浮かべる。吐いた物の中には僅かに血も混じり、華奢な身体のアチコチから血が出ていた。
 スティールとのやり取りで負っていた掠り傷も、先の回転で再び開いてしまったらしい。
 ルべリアが血に染まる。

(やり過ぎちまッた、かもなァ)

 ルべリアがハインドベアーの素材から造られた丈夫な革鎧や衣服を装備していたとはいえ、やはり多少なりとも手加減はしておけばよかったかもしれない、とスティールは遅まきながら反省した。
 しかしどうも、それは無用な心配だったようである。

「ゴホッゴホッ。……あ~あ、一本取られちゃいました。私の負けですね。いけると思ったんですけど、惜しかったな~」

 吐いてスッキリしたのか立ち上がったルべリアは身体と装備に付着した土を払い落としつつ、生意気な口調でそう言った。
 それに全身の傷は高い回復力にモノを言わせて治したのか、裾で土が拭われた傷口から新しい血が滲む事は無い。驚異的な回復力だ。
 たった数秒程度で小さかったとはいえ傷口からの出血が止まるとは、本当にどのような【職業】を得たのだろうか。

「アホが。まだまだお前みてェーなひよッこに負けるかよ。ほら、水で口をすすいで来い。女が口元をゲロで汚したまま喋んじャねーよ。ゲロ女かってんだ」

「え、嘘。やだ、最悪。……って言うか、ゲロ女とか言わないで下さいよ。一応私はか弱い乙女なんですから」

「馬鹿が、寝言は寝て言うもんだぜ」

 まだ口元や装備に嘔吐した痕があるルべリアに向け、スティールは≪外部訓練場≫近くに設置された水場を指差しながら声をかける。
 頬を赤くしつつ、反論したルべリア。しかしスティールが言っている事も正しかったので、ルべリアはため息を吐き出しつつも頭を下げた。

「相変わらず口汚い師匠マスターな事で。じゃ、すぐ戻ってきますんで」

「おう、手早くな」

 スティールは小走りで水場に向かっていくその後姿を見送る。
 ルべリアの後ろ姿は、どこか子犬の皮を被った狼を連想させた。

「たく、俺も後で大旦那に教えを請わなくちャいけねェーな、こりャ。弟子に負ける師匠にはなりたくねェーしよォ」

 ルべリアに小声が聞かれないくらいの距離があいてから、スティールは頭を掻きながら一人本音を吐露する。
 そして少々離れた場所に居る、ルべリアを短期間でココまで戦えるようにした張本鬼――黒い肌と全身に刻まれた黄金色の刺青、そして鋭利な三本角をもつアポ朗の姿を眼で追った。
 今は新しく入ってきた新人達全員と手合わせ――分体では既にしていたが、本体ではこれが初めてである――をしている所だった。
 そしてその暴風のような連撃で新人たちを秒殺――コレはあくまでも例えであり、当然殺してはいない――している場面でもあった。

 下半身が赤鉄色の鱗に包まれた竜馬で上半身が屈強な人間である雄体の人竜馬ドラゴタウロス――竜人ドラゴニュート種と人馬ケンタウロス種を掛け合わせた様な外見の種族――が重低音の足音を響かせ、重武装の人間十数名を容易く蹴散らす全力の突進を繰り出した。
 はち切れそうな程太い筋肉と強靭な鱗を纏い、四足の下半身は地面をしっかりと掴みつつどんどん加速していった。数メルトル程度の助走で最高速度まで加速する驚異的な瞬発力と何処までも敵を追走できる持久力、そしてドラゴタウロスの巨大な体躯は真正面から対峙すれば相手に恐怖を抱かせるモノだった。
 標的が例え横に逃げたとしても強靭な四足で急制動・急加速を繰り返し、最終的には敵を轢き殺すという、ドラゴタウロスを相手にする時に注意しなければならない、単純にして強力な攻撃法、それが突進だ。
 しかしそれを真正面から事もなげに受け止められて、驚愕に染まる顔が遠くからでも見えた。
 そして次の瞬間には何がどうなったのか分からないが、その巨大な体躯がグルリとその場で横回転し、背中から地面に墜落。
 数百キトルはあるドラゴタウロスの重量に見合った鈍い音が響き、土埃が舞い上がる。
 離れた場所で見ていたスティールですら何が起きたのか正確に理解できていないのだから、実際にアポ朗に何かをされて投げられたたドラゴタウロスは、自分がなぜ今こうして倒れているのかすら理解できていないようだった。

 故に起きた必然――無防備な竜馬の腹部に落とされたアポ朗の踏みつけを防ぐ事ができず、勝敗が決定する。

 鱗を粉砕し骨を砕いた様な鈍い音を響かせながら片足がめり込む。
 そして盛大な音を立てながら吐瀉物と血の混合物を撒き散らした後、ドラゴタウロスは気絶した。
 そのままでは邪魔なので予め周囲に待機していた他のメンバーによって簡易治療所に運ばれていく。
 そしてアポ朗の次の相手を呼ぶ声が響く。
 強靭な種族として知られるドラゴタウロスと戦い撃破したのは、僅か五秒程度の出来事だった。
 如何に鬼人ロード種の中でも上位種に分類される使徒鬼アポストルロードと言えど、普通はこんなに簡単にドラゴタウロスに勝てるはずが無い。
 実に馬鹿げた撃破速度だった。

 次のアポ朗の相手は三メルトルと身長の二倍近くある太く長い尻尾が特徴的な猿人オロリンの一体――【長尾猿テールトリン】族と呼ばれ、太く長い尻尾を使った高速移動や攻撃などが得意――だった。
 攻守共に優れたドラゴタウロスとは総合的に見て比べるまでもないだろうが、短距離の速度だけで言えばドラゴタウロスよりも速く、機敏でトリッキーな動きができる厄介な敵と言えるだろう。

 手合わせ開始――早速尻尾による高速軌道でアポ朗の背後に回り込んだテールトリン。一瞬で消えたように見えるほどの爆発的加速力。アポ朗は最初の立ち姿から動かない。

 だがその双眸は冷静にテールトリンの動きを観察していた。

 背後から猿人オロリン特有の高い膂力から繰り出された右フックがアポ朗の右わき腹を強襲、太く長い尻尾はアポ朗の左わきから迫り、左右から挟む事で衝撃を逃がさない様な軌道を描く。
 それに対し、やはりアポ朗が何もしない。防御すらせず、ただ攻撃を受けた。

 ――炸裂。

 肉と肉がぶつかり合う音。それは攻撃の力強さを如実に表し。しかしアポ朗は揺るがない。微動だにしない。ダメージなど皆無だとその姿が雄弁に語っていた。
 逆に、攻撃したテールトリンの方が右手と尻尾を押さえて痛がった。
 攻撃した方が痛がり、防御すらせずに攻撃を受けた方は何ともない、という歪な状況。
 そこでようやくアポ朗が動いた。テールトリンは何とか反応しようとしたが、速度があまりにも違い過ぎた。
 アポ朗が速過ぎて、テールトリンが遅すぎる。まるで大人と子供、あるいはそれ以上の違い。
 背後を見る事なく行使された“正体不明/視認できず”の攻撃が直撃、テールトリンの小柄な身体が勢い良く吹き飛ぶ。
 激しく錐揉みしながら飛んでいくテールトリン――その進行方向に突如生じた柔土の山。テールトリンが山に直撃、勢い衰えきらずに柔土の山が爆散。柔土を飛び散らせつつ、テールトリンは飛んでいく。
 再度地面から柔土が隆起――二つ目、三つ目を破壊し、四つ目でようやくテールトリンは止まった。ピクピク、と痙攣している。口からは泡が噴き出ていた。
 誰がどう見ても戦闘不可。胸元が円状に陥没、攻撃はどのようなモノだったのか疑問が浮かぶ。しかし答えは出ない。
 考えている間に、再び次を呼ぶアポ朗の声が響く。
 テールトリンは、ドラゴタウロスよりも短い三秒程度で負けていた。

 次の相手は深緑の全身鎧を装備した様な姿をしている甲蟲人インセクトイドだった。深緑の全身鎧は甲虫人インセクター系の特徴である【外骨格】と呼ばれるモノで、その硬度は鋼鉄を凌駕するモノが多い。
 そして甲虫人の上位種である甲蟲人の外骨格は、甲虫人のそれを遥かに上回る。

 下手な武器では傷一つ負わせられない天然の防具――【外骨格】。

 甲虫人系は特定の虫の特性を所々に引き継いでいる事が殆どで、今対峙している甲蟲人インセクトイド大蟷螂ビッグ・マンティスの特性が濃かった。
 普段は人間と変わらぬ五指を揃えた手――現在は鋭利な二振りの大鎌と成った両手。両手の大鎌は鉄さえ容易く切り裂ける凶器だ。
 単なる打撃では硬い外骨格の守りを越えるのは難しい。そして甲蟲人はその堅牢な外骨格によって守られながら、大鎌による鋭利な斬撃でアポ朗を襲うだろう。
 アポ朗は関節を狙うしかないが、それは非常に難しいのではないだろうか。
 などとスティールの脳裏に過る思い。

(流石に大旦那と言えど、今度はそう易々と倒せねェよなァ)

 相手の特性をよく知っているが故に導き出された予測。
 しかし流石と言うべきか、あるいは呆れるべきなのか、アポ朗は事も無げにその守りを突破してみせた。
 スティールが見たのは無造作に近づくアポ朗の姿であり、間合いに入った瞬間に振るわれた大鎌の輝きであり、そしてそれを事も無げに受け止めるかあるいは叩き落として手が届く間合いに入った瞬間にアポ朗が繰り出した一発の掌底だった。
 掌底が甲蟲人の腹部を捉えた瞬間、ドフン、と肉袋を叩いた様な鈍い音がスティールの立っている場所まで響く。と同時に、スティールは甲蟲人の背後の空気がまるで破裂してしまった様な錯覚を抱いた。

 しばしの硬直、動かなくなった両者。

 何が起きたのか、と小首を傾げようとした瞬間、甲蟲人の身体が崩れ落ちた。遠くから見ても意識がある様には思えない崩れ方であり、口から紫に近い色の血が漏れ出しているのをギリギリ視認する事ができた。
 掌底の衝撃を内部に徹したのか、とスティールは推察。堅牢な外骨格にヒビ一つ入れずに甲蟲人を無力化するのにそんな方法もあるのかと事態を理解すると共に、出鱈目だとも思った。
 外骨格はとても硬い。その代わりに衝撃が内部に多少通り易いが、身体の局部にしか外骨格を持たない甲虫人ならともかく甲蟲人は薄膜状の衝撃緩衝皮を外骨格のすぐ内側に備え、衝撃系の攻撃に対して強い。その為甲蟲人を相手にするには【魔術】や【妖術】などの【魔法】を行使して殺す、あるいはダメージを負わせるのが一般的だというのに。
 それを真正面から破ってみせたアポ朗は、甲蟲人の衝撃緩衝皮が吸収できない程の衝撃を撃ち込んだという事になる。

 ハッキリと見せつけられる、圧倒的な差。スティールでは到底できない無効化の仕方。
 振り返ってみれば、結局、難敵だろうと思っていた甲蟲人は四秒程度で倒されていた。

 スティールから、自然と大きな息が吐き出される。
 無意識のうちに呼吸を止めていたらしい。

「ああ、全く、大旦那にはかなわねェーなァ。なんなんだ、ありャ。勝てる気がしやしねェ」

 と口で言いつつ、スティールはくつくつと笑いを零す。

 行使してくる数多の謎な特殊技能だけでも想像を絶する常識外な存在だというのに、それを封じた生身の状態時でさえ他者をその肉体と卓越した技術で完璧に制圧する黒い使徒鬼。
 そのあまりにも理不尽な存在に出会えたという幸運と、その存在から【排除すべき敵】ではなく【使える部下】として認識されているという僥倖。
 それを再認識して、スティールは笑うのだ。
 もし仮にこのままアポ朗に着き従った末に破滅があったとしても、スティールは後悔などしないと断言できた。
 それはアポ朗に従う事で自分がより強く成れると確信しているからであり、また、憧れてしまったからだ。
 アポ朗の表現し難きその強さに。どうしようもなく、魅入られてしまった。
 獣のような男だからこそ、アポ朗の強さにどうしようもなく魅了されてしまったのである。

「ああ、全く。少しでも近付きてェーなァ」

 普段通り非常に楽しそうに戦っているアポ朗に羨望の眼差しを向けながら、スティールはルべリアが戻ってくるまで素振りをしながら待つ事にした。
 強くなるためには、一時も惜しいと思ったからだ。

 そう時は経たず、ルべリアが戻ってきて再度訓練を行う。
 再び鳴り響く金属の悲鳴――剣戟の音、狂想曲。
 スティールはアポ朗のように笑いながら、ルべリアと銀閃の中で舞い続けた。





 ■ Д ■





「つァーいい湯だァ。最高だァ」

 少々長引いた訓練を終え、午後二時をやや過ぎた頃、スティールは汗を流しながら温泉を堪能する。
 スティールは帝国の騎士団に居た頃からシャワーを気軽に浴びられる立場の人間だったが、それでも天然モノの温泉は別格だった。訓練の疲れを取り去り、身体の底から活力が漲ってくる。
 湯の効能によってより効率的に回復できる心地よさに、スティールはご満悦だった。背中を風呂の縁に預け、身体を伸ばしながら木で舗装されている天井を見上げた。
 しばらくの間は天井を見ていたが、やがて瞼を閉じて訓練の時の光景を思い出す。
 ルべリアが行っていた奇妙な足さばきや体移動は勿論、アポ朗が行っていた殴打や甲蟲人を倒した掌底、ドラゴタウロスを投げていた光景が蘇る。あの時に使われていた技術などを己が血肉にする為に、実際に動いている自分を想像する。
 最初は中々上手くいかないが、湯に浸かりながらのんびりとイメージし続けた。
 数分も経つと、最初よりはマシな光景を想像できるようになっていた。後は実際にやり方をアポ朗に聞けば、取得するまでの時間を多少なりとも短縮できる。

 と、そんな所に、別の者が入ってきた。

「お疲れ様です、スティールさん」

「おう、お疲れ」

 瞼を開けて誰かを確認する事も無く、スティールは相手を判断できていた。
 現在スティールが居るのは決められた階級の者達しか入れない上等な浴場だ。そして当然ながら男湯である。それらの条件に当てはまり、まるで透き通るような心地よい美声の主と言えば、スティールが知る中には一人しかいなかった。

「今日は忙しかッたみてェーだな、セイ治先生。大旦那が帰ッてたからやるだろォとは思ッていたが、いや、派手だッたよなァ、ありャ」

「そうですね。ま、アポ朗兄さんらしいと言えばらしいんですけどね」

「だな。違いねェ」

「それに今回のは新人達の良い経験になっていたんで、隊を預かる身としては嬉しい限りですよ。僕も良い経験になりましたし」

「そりャいい。セイ治先生の所が充実すれば充実するほど、俺達の生存確率が上がるからよ」

 瞼は閉じたまま一度両手で湯を掬って顔を洗い、そこでようやくスティールは横を見た。
 スティールの隣に座って同じく温泉を堪能する半聖光鬼ハーフ・セイントロードのセイ治――男の鬼人にしては非常に華奢な体躯、異性を魅了する甘いマスク、雄体なのにどこか守ってやりたいと思わせる独特の雰囲気、恐らくパラベラム内でアポ朗と一、二を争う色男――は、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべている。
 しかしスティールの視線はそんな無害そうな笑みではなく、その手にある木桶に入れられた酒瓶と二つのコップに注がれていた。

「ご一緒にどうですか?」

「お、くれんのかい?」

「一人で飲むよりも相手がいた方がいいですからね。ちなみにコレ、アポ朗兄さんの御土産です」

「ありがてェ」

 セイ治からコップを受け取り、酒を注いでもらう。
 白く濁った液体から香る独特な匂いに、スティールは口角が上がるのを自覚した。そして注いでもらったら、今度はセイ治のコップに注ぐ。
 トプトプトプ、と酒の音。広がる酒の匂い。ゴクリと唾を飲み込む為に喉が動いた。

「乾杯」

「乾杯、です」

 コップを軽く当て、それからグイッと一気に飲む。
 そして口に広がるその美味さに、スティールは思わずため息を洩らした。

「かァー。うめェじャねーか、コレ。こりャなんて酒だ?」

「“トゥールラビランシュ”っていうらしいですよ。なんでも迷宮都市で買った品だとかで、確か、迷宮ダンジョンで得られるアイテムの一つかなんかだとか言っていたような気がしますね」

「そりャうめェはずだ。迷宮で得られる酒は、極上なのが多いんだよ。なんでかは知らねェがな」

「そうなんですか? 僕や兄弟姉妹達の殆どはこの森以外を知らないので、興味ある話です。ぜひ聞かせて下さい」

「あん? この森以外を、知らない? セイ治先生は森の外に出た事がないのかい?」

「ええ、私と兄弟姉妹達の殆どは森の外に出た事がありませんよ。産まれてからずっと、森の中で生活しています。
 ただ、アポ朗兄さんが『そろそろセイ治くん達も外を経験しないとな』って言ってましたから、近々皆で外に行くみたいです。その話を聞いた時から、僕はワクワクが止まらないんですよ」

「ああ、そうなのかい。そこまでワクワク出来るもんじェねーと思うんだがなァ。まあ、セイ治先生が判断する事だ、俺ァ何も言わねェーさ。
 ……そういやよ、セイ治先生とか大旦那って、何歳くらいなんだ? 俺は亜人の知り合いも多いが、流石に鬼人ロードとかの知り合いはいねェからさ、外見で年齢がわかんねェーんだ」

「えーと。……多分産まれたのが約百二十日前、くらいですかね? 正確には覚えていませんが、大体それくらいですよ。月日の経過で歳を数えるのなら、まだ半年も経ってませんね」

「…………え?」

「…………え?」

 それを聞いてスティールの動きがガチリと固まり、セイ治はそれを不思議そうにしながら小首を傾げた。

 そのまま両者が固まる事暫く――スティールは驚愕によって、セイ治はスティールにつられてと、固まった原因には大きな差異があるが――、それなりの時間が経過してからゆっくりと、まるで油を注される事無く放置されて錆びたロボットが無理やり動く時のようなぎこちなさと固さで、スティールは動き始めた。
 スティールの表情にはただ驚愕のみがあった。

「産まれたのが約百二十日前くらい、だと? つまり、ええーとよォ。大体今から四月シトク前って事で、いいんだよな? 一年三百六十五日、十二月トニクムの内の四月シトクの間しか、生きていないんだよな?」

「え、ええ。それくらいですよ、僕達が産まれて現在までの月日なら。そりゃご存知の通り、ゴブ爺さんとかブラ里さんとかはもっと年上ですけど」

「いやいや、ええと……ちょいと確認だがよ、大旦那とセイ治先生は同年代の幼馴染、でいいんだよな? 同じくらいに産まれた、って事でいいんだよな?」

「はい。他にはカナ美姉さんとミノ吉兄さんとアス江姐さんを筆頭にして、グル腐ちゃんとかセイ水ちゃんとか五鬼戦隊とかが居ますね」

「なるほど……。んでよ、セイ治先生とかミノ吉の旦那を一から鍛えたのが、大旦那、でいいんだよな? そうなんだよな?」

「はい、間違いないですよ、それで。
 ……それにしても、こうして話していると何だか懐かしい思い出が蘇りますよ。アポ朗兄さんが僕たちを鍛えてくれる前は、毎日の食糧もマトモにとれずに飢えていた時期もありました。
 といってもあれは数日かそこらの出来事で、そもそもそんなに月日が経ってないはずなんですけどね。今の状況を思うと、あの頃がとても遠い月日の出来事に思えるから不思議ですよ、あはは」

「いやいやいやいや……ええ、とよ。とりあえず苦労話は一先ず置いとくとしてよ。今まで訊いてなかったんだが、大旦那とかセイ治先生とかって、いやまず傭兵団の元となった集団って、ホブ・ゴブリンの集団だった、んだよな?」

 今まで知らなかった事と勝手に勘違いしていた事が徐々に正されていくのを、まるで事実が幻聴だとでも思ってしまいたそうなほど混乱しているスティールは縋るように訊いた。
 元々常識外な存在だとは理解していても、馬鹿げた存在だと心の底から思っていても、まさかそこまでは異常ではないだろう、とでも言いたげな声音だった。

「いえ、違いますよ? 僕達は皆、最初は小鬼ゴブリンでした。今でこそ【存在進化ランクアップ】して鬼人ロードとか半鬼人ハーフ・ロードだったりしてますけど、アポ朗兄さん達も含めてゴブリンです。
 一応、スペ星姉さんとブラ里姉さん達はホブ・ゴブリンでしたけどね」

 しかし現実は無情だった。
 無情という言葉を用いる事が正しいのか、それとも間違っているのかは知らないが、とにかく無情だった。

 人間以外にのみ発生する【存在進化ランクアップ】という現象は、亜人も含めた人外達が数年かあるいは数十年単位で経験を積み、コツコツとレベルを上げ、そしてレベル“一〇〇”に至った個体達の中でもさらに進化できるだけの才能を持つ者にしか発生しない。
 職業レベルを“一〇〇”にすれば確実に【位階上昇ランクアップ】できる人間の【職業】と違い、一段飛ばしで強く成れる人外の【存在進化ランクアップ】は才能が無ければできないという制約リスクが存在する。

 それが世界の常識だった。少なくともスティールはそう教えられてきたし、亜人の友人もそうだと言っていたし、スティール自身の経験からそれが事実なのだと思っていた。
 もし人外が数ヶ月程度の短期間で【存在進化ランクアップ】できるのなら、もし人外全てが確実に【存在進化ランクアップ】できるのなら、人間は現在のように生活範囲を広げる事は到底できなかっただろう。亜人や亜人の一種である獣人たちに支配される世界になっていた可能性すらある。
 それくらい【存在進化ランクアップ】が人外に齎す効果は強大なのだ。
 だから今、聞いた情報を纏めて、スティールは殆ど壊されていた常識が完璧に崩れるのを感じつつ、最後の疑問を投げかける。

「頭痛がしてきたんで、最後の質問なんだがよ。大旦那は、一体どうやってあんな特殊技能を行使できるようになったんだ? なんで、あんなに強いんだ? どこであんな戦い方を身につけたんだ?」

「それは――アポ朗兄さんだからじゃないですか?」

 セイ治はスティールの問いにほんの僅かだけ考えを巡らせてから、ニコリ、と柔らかい笑みを浮かべてそう言った。
 その屈託の無い笑み――あるいは考える事を放棄した笑み――を見て、コレ以上は無意味だと覚ったスティールは小さく呻きながら温泉の中に身体全体を沈ませた。
 湯は白濁としており、その中を見る事はできない。しかしスティールが沈んだ場所からブクブクと泡が発生している。
 セイ治はしばらくそれを見ていたが、やがて興味を失って酒を飲み始めた。

 しばらくの静寂が訪れる。

「本当に美味しいですね、コレ。……迷宮都市、か。行ってみたいなぁ」

 スティールが沈んでから一分が過ぎた。その間にセイ治はコップ二杯分の酒を飲んでいた。

「――ぶはァ」

 ようやく湯から浮上したスティールは両手で髪を掻きあげ、オールバックのような髪型にしながらどこかスッキリとした表情でセイ治を見る。
 ただし目には仄暗い輝きが浮かんでいた。

「そうだな。うん、大旦那だから何でもアリなんだ、でいいよなァ。俺達程度が、大旦那を何かしらの枠に分類できるはずがねェ。全てを理解できるはずがねェ。事実を事実として受け入れるくれェしか、俺にはできねェよ」

「そうですよ。アポ朗兄さんだから、何でもアリなんです。それでイイじゃないですか」

「だな。いやァ~それにしても、酒がうめェなッ」

 再度乾杯を交わし、スティールは深く考える事を放棄した、セイ治と似たような笑みを浮かべる。
 スティールとセイ治の酒会は、その後酒が無くなるまで続いた。

 その後、温泉から出た二人はそれぞれの仕事に向かう事となる。
 温泉に入ったのは汗を流す為であり、まだやらねばならない仕事が残っているのだ。

「さァーてと。んじャ気張ッて仕事するかァ!!」

 温泉に浸かって体力を回復させたスティールは元気に仕事をこなしていく。
 仕事中に浮かんだ笑みは、かつて帝国に所属していた時よりも晴れ晴れと活気に満ちているものだった。
 こうしてスティールの充実した一日はゆっくりと過ぎていく。






【鈍鉄騎士視点・終了】






【ブラ里視点】
【時間軸:百二十五日目の話】





 全身が赤く染まった鬼――赤い全身鎧フルプレートアーマーと同色のマントを装着した一本角の存在――が夜闇に包まれた森の中を疾駆する。
 その右手には鮮血で造られたような刀身を持つ一本の長剣ロングソード――他者の血を啜るマジックアイテム【鮮血皇女】――が握られ、その赤い刀身はまるで獲物を欲する餓獣のように怪しげな光沢を放つ。
 それを見て、頭部全体を包むヘルムと一体化した仮面のように顔面を覆う金属板――そこにある透明な強化ガラスで覆われた覗き穴から見える紅玉髄カーネリアンのような瞳が、まるで飼い犬でも諌めるかのように眼だけで微笑みを浮かべた。
 その眼だけの微笑みは見る者をゾッとさせ、それでいて引きつけるという奇妙な魅力があった。

 しばし浮かべていた眼だけの微笑みはやがて消えた。赤い鬼が暗い森から草木の疎らな一帯に飛びだし、百数十メートルほど先にある入口で篝火の焚かれた洞窟――赤い鬼の目指す場所――を発見したからだ。
 赤い鬼はより一層疾走速度を上げた。踏みしめられた地面は赤い鬼の脚力に負けて凹み、蹴り飛ばされた土が散弾のように後方へ飛んでいく。一歩踏み出す毎に赤い鬼はまるで跳ぶように――たった一歩で二メートル近く移動――走る。バタバタと激しくなびく背中の赤マントがその速度を物語っている。
 赤い鬼くらいの速さで無くとも、走るなどの激しい動作をすると本来なら全身鎧は擦れ、あるいは鎧同士が衝突する音が響くはずだ。しかし今は赤い鬼から音が聞こえる事はない。全く、微かにも聞こえない。
 何故か。
 その原因は、赤い鬼を包むように張られた不可視の魔術にあった。

(流石は星ちゃん、イイ仕事するわねぇ~)

 赤い鬼は現在自分が原因で発生する筈の音が周囲に広がっていない事を確認――視界が悪いとは言え、三十数メートル程度しか離れていない人間の男がコチラにまだ気がついていない事から――し、内心で後方に居るだろう幼馴染に対する称賛の念を抱いた。

 深淵系統第一階梯魔術【阻む音衝カルム・クリフ】――赤い鬼が生み出す音を消してくれている原因。対象者が何かを攻撃しない限り、どんなに激しく動いても、どんなに大声を出しても自分以外には音が届かない不可視の膜。
 欠点は音を阻むだけで姿を消す効果はないと言う事と、炎熱系統や水氷系統などといった魔術の基礎とも言える系統とは違い、より行使する事が難しい深淵系統魔術である事だけだ。

 離れた場所に居る幼馴染の働きを無駄にしないよう、赤い鬼はより一層気合いを入れた。
 四肢に漲っていた力はより強く、敵を見据える瞳には殺意が籠り、温かい血を欲する喉が、肉を喰らいたいと喘ぐ牙と舌が防具の下で艶めかしく動かされた。

(それじゃ、イタダキマ~ス)

 種族的な本能を見せる赤い鬼の視線の先――先ほど音が周囲に漏れていないと確信するのに使った一人の男が存在。
 男は右手で松明を持ち、洞窟の外の予め決められたルートを徘徊して見回る者――敵が居ればその接近を即座に仲間に伝え、敵の侵攻を命を張って遅らせる立場。

 使い捨て要員か、あるいは信頼のある強者。

 どちらなのか見極める為の観察――薄汚れた灰色の髪、出来物の多い顔、眠たげな眼。中肉中背の上半身には草臥れた革鎧、腰には鉄製の剣が一本とナイフが二本と警告用の角笛、履いているのは質素なズボンと汚れたブーツ。
 赤い鬼は標的の危険度を測り、問題無し――使い捨て要員――と判断。殺害方法は即座に決まった。
 走りながら一瞬膝を曲げて大きく跳躍――踏み砕かれた地面に亀裂が走り、局地的に陥没する。その行動が攻撃と判断されたのか、【阻む音衝カルム・クリフ】が効果を失った。
 ついに音が響いた。
 男――使い捨て要員が慌てて音が聞こえた方向を見る。しかしそこにあるのは陥没し、ひび割れた地面のみ。それも闇のせいで何とか見えるギリギリの範囲での事。赤い鬼の姿はそこにない。突然の状況に、使い捨て要員の顔には不理解の感情が浮かんだ。
 その斜め上方、強靭な下肢によって生み出された力は全身鎧を装備した赤い鬼の重量を物ともせず、十数メートル程の高さにまで跳躍させていた。
 赤い鬼は長剣を両手でしっかりと保持、大きく振り上げ、落下の力を一撃に込める。一秒も経たず、掲げられた凶刃は獲物の肉を切り裂く状態の完成。
 そこで視界の上方を過る影に使い捨て要員がようやく気付き、反射的に見上げ、驚愕の表情を浮かべる。状況の全ては理解できていない表情の中で、ただ恐怖だけは誰が見てもハッキリと分かった。
 赤い鬼は再び眼だけで微笑みを浮かべた。獲物の血に飢えた、肉食獣の微笑みを。
 そんな眼を直視したからか、使い捨て要員の口からか細い悲鳴が漏れる。
 咄嗟に取り出した角笛が地面に落ちる。

「ひぃ――ブベラッ」 

 響く筈だった断末魔――それを捩じ伏せる赤い鬼の一撃。
 高速で振り下ろされたロングソード――鬼の膂力+長剣の鋭さ+鬼の鎧を含めた重量+跳躍によって得た落下エネルギーの混合技――は獲物の正中線を正確に捉え、頭頂から股までを一刀両断。だけに留まらず、地面までも深々と切り裂いた。
 斬痕が刻まれ、轟音。立ち上る土煙。ビリビリと甘美な衝撃を赤い鬼は全身で感じる。
 地面を切り裂いた事で起こった小さな揺れ、洞窟内に居る使い捨て要員の仲間――当然赤い鬼が狩るべき対象――に知られただろう事実、赤い鬼の優れた聴覚が洞窟内が俄かに慌ただしく成り始めるのを知覚した。
 あと数十秒もせずに、洞窟からアントのように武装した新たな獲物が出てくるだろう。それを斬り伏せ、血肉を啜るのはさぞ楽しいに違いない。
 しかし今は、目の前の獲物で楽しむために赤い鬼は視線を落とした。視線の先――地面には二つに分断された死体、溢れ出ているその中身。周囲一帯を濡らす鮮血は夥しい量、中身の入った胃や腸などの消化器官、血の臭いに混じる糞便の臭気。
 糞便の臭気はともかく、むせかえる様な血の香りは、赤い鬼の食欲をそそるモノだった。
 
「では、まずは目玉から」

 半分になった頭部から飛び出ていた眼球――その一つを拾い、赤い鬼はそれを口元に持っていく。
 頭部全てを包んだヘルム、顔面を覆うのは仮面のような形の金属板。視界を確保する為の覗き穴以外は隙間の無いヘルムを装備したままでは食事ができるはずはない。それが普通のヘルムだったのならば、それは当然の事である。
 しかしヘルムはマジックアイテムだった。その為、そんな心配をする必要はない。
 装着者の意思に呼応し、口元を覆っていた仮面のような金属板が部分的に左右に開いた。晒される口。プックリと膨らんだ桜色の唇、それが使い捨て要員の片目玉を優しく挟み、口腔から伸びる舌がまるで味わう様に表面を舐める。
 そしてパク、と赤い鬼は目玉を食べた。少しだけ目玉を飴のように口腔で転がし、最終的には噛み砕いてその味を堪能する。

「ん~、やっぱり新鮮な目玉は美味しいですね~」

 赤い鬼――声と言動から女と推察できる――の口は目玉が心底美味しい、とでもいうように弧を描いて笑みを浮かべる。しかし次の瞬間には冷徹なモノに変化した。

「さて、思ったよりも素早いですね~」

 カシュン、と音を立てて開かれていた口元が再び閉ざされる。
 赤い鬼から表情を読み取れるのは、再び眼だけとなった。

「では、行きますか~」

 赤い鬼は次の獲物を求め、嬉々とした表情で洞窟内部から慌ただしく飛び出してきた標的――殺した使い捨て要員よりも少々上質な装備品で身を固めた、荒事で生活していると見た目で分かる男達――に向かって駆け出した。
 手に持つ赤いロングソードが、使い捨て要員の血を吸った事でより一層妖しい光を放っている。

「マンディル! クソ、やられてやがるッ」

 真っ先に飛び出してきて叫ぶ者――上質な金属鎧で太い肉体を包んでいる大男、得物は戦斧、力自慢の接近戦闘家、脅威度“小”。
 その奥に隊列を組んで来る一団――身軽な革防具を装備した弓兵風の男達、得物は弓と腰のナイフ、番えられた鏃に光沢、恐らくは毒が塗られている、脅威度“小”。

「撃ち殺せ!」

 最奥から弓兵達に指示を出す優男――宝石をはめ込んだ一本の杖と灰色のローブを装備、恐らく【魔術師】、集団の司令官の可能性大、脅威度“中”。
 優男の殺害を優先的に敢行する事を決定。
 真正面から突進――土を後方に蹴り飛ばしながら一気に加速。
 優男の指示によって射出された数本の矢――全ての矢が赤い鬼に当たるコース。敵の熟練度の現れ。
 赤い鬼は矢を無視。ロングソードで薙ぎ払う事すらせず、ただ愚直に前進を続ける。
 飛来する矢が全て的中。赤い鬼の右肩、左わき、頭部、右胸、左足などに衝突――赤い全身鎧によって呆気なく無力化。ガキンと甲高い音を発したモノの、全身鎧には傷一つなく、当たった矢は衝撃で自壊した。
 毒が塗られていたとしても、赤い鬼に傷一つ負わせられないのなら意味はない。
 地面に落ちていく木片と鉄片を置き去りにし、赤い鬼は詠唱を始めた優男目掛けて急速に接近。
 その前に、戦斧を携えた大男が立ちはだかる。

「オラァァァァアアアアアアア!!」

 怒声、轟風、見かけ通りの膂力によって振り下ろされた十数キロの鉄塊、迫る斧頭。
 流石にそれをマトモに受ければ赤い鬼とて体勢を崩される。あるいは少なくないダメージを受けるかもしれない。矢とは違い、重さも威力も段違いの上にマジックアイテムである斧の一撃は無視できない。
 故に、ロングソードが振られた。戦斧を迎撃せんと、赤い刀身が弧を描く。

 ――衝突。

 戦斧バトルアックス長剣ロングソードの真っ向勝負。普通なら刀身の厚みや重量、頑丈さなどによって戦斧が勝っていただろう勝負はしかし、今回は戦斧の負けで終わった。

 純粋に、バトルアックスとロングソードはマジックアイテムとしての格が違い過ぎた。
 比べる必要性すらない程に。切れ味が違い、強度が違い、内包する魔力が違い、存在強度が違い、ありとあらゆる面の性能が違い過ぎた。

 ロングソードがバトルアックスの刀身に埋没していく。火花を飛び散らせつつ、まるで水面を斬るが如く、バトルアックスはロングソードに切断されていく。
 愛用の得物が苦も無く切り裂かれていくその様を見て、大男は何を思うのか。
 得物のように己が自身も斬られる様を想像するのか、何が起きているのか理解する事が追いつかないのか、それはともかく、赤い鬼は己が手に転がってきた大男の命を堪能する。

「ばか――ブルガァ!!」

 バトルアックスは完全に切断され、それを成したロングソードによって大男の肉体は胸部の辺りで上下に斬り分けられた。大男の上が空を舞い、高速で横回転しながら地面に落下していく。切断面からは夥しい量の鮮血がまるで噴水のように噴き上がり、最も近くに居た赤い鬼の全身を血で濡らす。
 そこに再度飛来する矢。“仲間/大男”の無残な死に対する怒りと恐怖に震えながら射かけられたそれは、先ほどよりも彼我の距離が近づいていたので威力が高くなっていた、筈だった。
 しかし再び呆気なく全身鎧に弾かれる。全身鎧の防御力の高さを物語る。
 その程度の攻撃に、マジックアイテムである全身鎧は傷一つ負う事はない。
 赤い鬼は止まらない。既に標的とした優男まで一足一刀の距離。優男の前に居る顔面蒼白あるいは顔面紅潮の弓兵達は無視し、しかし優男を殺す過程でその肉壁の幾らかは踏み潰しながら優男に斬撃を喰らわせようとし――

「――“捉え封じる蔦の手シルド・レーデ”ッ!!」

 赤い鬼の足下――つまり地面――から急激に成長して伸びる蔦。蔦はヒトの手に酷似した形をしており、まるで天に昇るように成長していく。
 それに巻き込まれ、赤い鬼は蔦の中に捉えられた。ロングソードを握っていた右手と下半身の殆ど全てが蔦の中に捕われ、強制的にその場に釘つけにされる。身動きができない。動かせるのは左手と上半身のみ。
 優男の思わぬ反撃に、不愉快そうに歪む紅玉髄カーネリアンのような双眸。

 樹葉系統第二階梯魔術【捉え封じる蔦の手シルド・レーデ
 効果は標的の足下の地面からその肉体を捉える手蔦の発生。手蔦はかなり頑丈であり、拘束範囲が広ければ広いほど行使が難しくなるが、それに比例して捕縛する力が強くなる。殺傷力は皆無ながら、標的の体勢を崩し捉えるのには非常に有効な魔術。

「今だッ、鎧の隙間を狙えッ」

 魔術による足止めを成功させ、優男が声を張り上げた。
 それに何とか反応し、弓兵全員が効果の無い弓を捨てて腰に装備していた短剣ナイフを抜剣。ナイフの刀身に青線で刻まれた付与陣から、ギリギリで【希少レア】級に分類されるマジックアイテムであると赤い鬼は即座に看破。
 装甲が比較的薄い関節部なら、低確率ではあるが守りを突破できる程度の切れ味がありそうだった。
 現状赤い鬼はロングソードと動きを封じられている。危機的状況。ピンチ。残った左腕で防御するにも、全てを迎撃する事は難しい。

 手蔦から無理やり力尽くで抜け出す――強靭な肉体を誇る赤い鬼なら抜け出せそうだが、時間がかかり過ぎる。今は間に合わない。

 現状の打開案――能力の行使。赤い鬼はそれを選択。

「案外やりますねェ~。じゃ、ちょっと本気を出しますか」

 ほんのり温かく、それでいて透き通るような美声。
 赤い鬼の呟きを聞き、接近していた弓兵達の背中を寒気が走る。その恐怖を何とか捩じ伏せようとするように、少しでも早く恐怖の源を消そうと勇気を振り絞るのを、赤い鬼は微笑みを浮かべる事で歓迎した。

 【ブラ里は鬼能アビリタその血は剣と成りてブルート・シュヴェールト】を繰り出した】

 唐突に、周囲に広がっていた死体――使い捨て要員と大男――二人分の“血”が蠢いた。
 地に吸われていく筈だったその血は、まるで意思があるかのように空中に浮き上がり、その姿を変貌させていく。
 その形は剣に。赤く、他者の血で製造された二本の血剣へ。

「なんだ、こりゃあ……」

「……は?」

「コレってまさか……」

 近寄っていた弓兵達から洩れた言葉――それがそのまま最後の言葉に。

 宙に浮かぶ血剣――それが暴風となって赤い鬼の周囲を無造作に薙ぎ払う。赤い鬼を捉えていた手蔦はバラバラに切断され、殺さんと近づいていた弓兵達がただの肉塊へと解体されていく。
 それが全て一瞬の出来事だった。
 唯一距離をとっていた魔術師である優男だけが生存し、それ以外の標的全ては死に絶え、無残な屍を晒す。死者の増加によってより一層濃くなった血の香りを、赤い鬼は大きく息を吸いこんで堪能した。
 手蔦から解放されて自由となった赤い鬼の眼が、血の匂いによって喜悦に歪む。もし顔が見えていたのなら、顔面を覆う仮面のような金属板さえなければ、そこに浮かんだ満面の笑みを優男は見る事ができたに違いない。
 殺す事が心底楽しいのだろう、と思える不吉な笑みを。
 そう思った時、恐怖が優男の心臓を蝕んだ。優男の身体が、その意思とは無関係に震えだす。

「な、な、なな、何者なんだよお前ッ。何が目的で俺達を襲うッ」

 震えながら優男は悲鳴そのままな声を上げた。ガチガチと音を鳴らす歯は優男の心情を如実に示していた。

「襲う理由、ですか?」

 赤い鬼は小首を傾げた。
 何を当然な事を聞いているのか、とでも言いたげな声音だった。
 赤い鬼からすれば男達を襲い、殺し尽くす事は当然な事なのだからそんな声音になったとしても変な事ではないのだが、それがより一層優男の恐怖を湧き上がらせる。
 まるで雑草でも刈るように無造作な仕草で振られるロングソードが、宙を漂う無数の血剣――増えた血を使って新たに製造され、その数は既に十を越える――が、虫でも見る様な赤い鬼の視線が、優男の絶望を確定されたモノに変換していった。

「当然貴方達が溜め込んでいる財、それが欲しいからですけど?」

 貴方達だって他人を襲って奪っているんですから、襲われて奪われる側になったって文句は有りませんよね、≪羊喰いの狼テキラ・ベラ≫の皆さん? と愉快そうに語る赤い鬼に優男はどう足掻いても逃げられないのだと瞬時に覚った。

 盗賊団≪羊喰いの狼テキラ・ベラ

 それが盗賊である優男達が所属する盗賊団の名前である。
 ≪羊喰いの狼テキラ・ベラ≫はヒトが滅多に訪れない山中にある天然の洞窟を根城にし、旅商人や奴隷商などを襲って財を得ていた。旅商人や奴隷商には冒険者や専属の護衛が張り付いている事が殆どだが、団長が普通の冒険者よりも格段に強かった事と、団員がその団長に鍛えられた事で磨かれた連携と技量でそこらの冒険者達をモノともせずに略奪を繰り返した結果、そこそこの規模と実益を誇る盗賊団である。
 最近ではやり過ぎて有名になってきたので、そろそろ別の場所に移動するかなども話し合いがなされていた。しかしそれも、一体の赤い鬼によって切り崩されようとしていた。

「まだお仕事が残っていますんで、それでは――」

 優男は魔杖を掲げ、慌てて詠唱を始める。しかし心臓を握られた様な恐怖によって呂律の回らない舌では正確な詠唱ができるはずもなく、当然のように詠唱失敗ファンブル。掌に掻き集められていた魔力は炎素になりかけていた為ボフンと煙を上げて霧散し、優男の掌を微かに燃やした――小さな火傷。
 それでもなんとか優男が絶叫を上げる為に口を開けようとして。

「サヨウナラ。よい旅を」

 たった一歩だった。
 優男が気がつく間もなく踏み出された一歩で赤い鬼と優男の間にあった距離の消失――眼では追いきれない速度で振り下ろされたロングソードが音を断ち、舞う血剣が風切り音を奏でる。
 優男の身体に走る幾つもの斬線。右肩から左わき腹、左耳から右耳、右太もも、左腕、その他数え切れない程の切断部からパーツがずれていく。
 優男は、断末魔を上げる事すらできずに命を失った。

「さて、次は誰でしょうか」

 殺した時点で興味を失ったのか肉がバラける光景を最後まで見る事無く、赤い鬼は舌舐めずりをしながら洞窟から出てくるだろう次の標的達を待った。
 他者の命を奪う事に何とも言えない快感を抱きながら、優男だった物体の近くに転がっていた魔杖を拾い、亜空間に物を収納するという能力がある腕輪を使って回収した。色々と都合がいい盗賊団の情報を教えてもらった時、装備類はできるだけ回収するように、と言われていたのをようやく思いだしたからだ。
 興奮し過ぎて、獲物をバラバラにして装備までダメにしてしまった失態に今更ながら赤い鬼は後悔を抱き。

「でも、まあいいですよね。本当のお宝は奥にあるでしょうし」

 本命を確保すればどうとでもなる問題だと判断した。事実、その通りなので問題はない。

「早く、強いって話の団長さんが来てくれませんかね~。もう、興奮で胸がはち切れそうなんですよぉ~」

 歓喜に震える赤い鬼は、それからも洞窟から飛び出してくる十数人を一人一人確実に葬りながらただ待った。




 ■



 
 十八人。
 それが血剣を駆使する赤い鬼が洞窟の入り口で殺害した数だった。
 数など赤い鬼はそもそも数えていなかったのだが、カフスに嵌めこまれている紅玉が教えてくれたのである。元々事前に伝えられていた盗賊団の人数は四十三人だから、残りは二十五人。
 まだ二十五人も居るという安堵――殺害意思の増大、戦意高揚、血の香りによって気分上々。
 そして赤い鬼は考える。

 しばらく前から、洞窟から標的達が出てくる事がピタリと止んでいた。
 どうやら内部で迎撃の陣形を組む事にしたらしい。他の場所にある別の出入り口は既に別動隊が全て潰している為、脱出するには新しい出口を掘る以外には、正面出口であるココしか無い。
 しかし出てきた標的達は全て赤い鬼が排除した。一人も生き残りはいない。正面出口は何者かが封鎖していると馬鹿でも推察できる状況。
 故に敵は籠る。コチラが目的の宝物が破損する事を恐れて、洞窟内を炎熱系統魔術などで焼き払わないと確信して。あるいは【魔法】に対する何かしらの対策があるのかないのか。
 ともかく。
 洞窟内の敵の待ち伏せ――それも決死の覚悟の。生きる為に、全力を振り絞るだろう敵。
 それがこの先に待っている。
 そう考えただけで笑みが浮かびあがり、赤い鬼は単鬼で踏み込む事を決断した。
 設置された罠の気配――カフスからの警告・沈黙――なし。
 血剣を分解、元の血へ、そしてその血を紐状に再変形、周囲の地形を把握する感覚枝として壁を滑らせる事しばし。やがて敵が固まっている一角を知覚。
 周囲には長机や椅子――恐らくは食堂なのだろう開けた空間なのでその数多数――を使って簡易バリケードが形成済み。
 戦場の地形の把握――完了。洞窟内の最短ルート選出――完了。
 感覚枝を分解、元の血へ、そして再び血剣へ変形――背後に浮かぶ二十の剣軍の生成完了。

 準備を終え、赤い鬼は真っ直ぐ走る。
 敵が待つ、その場所に向かって。

 目的地にはすぐに着いた。そんなに距離はないのだから当然だ。
 硬く閉ざされた扉を蹴破り、舞い散る木片と共に赤い鬼は内部に侵入――縦二十メートル横三十メートル高さ八メートルほどの四角く魔術か何かで補強された広い食堂――、と同時に飛来する多数の矢。
 外で受けた弓によって放たれた矢ではなく、弓よりも強いクロスボウによって放たれた矢だった。
 防御しなくても問題はないかもしれないが、クロスボウを受け止めた事はなかった。故に感じた、全身鎧を僅かにでも傷つけられるのではないか、という多少の不安――つまり杞憂。
 それを振り払うため、赤い鬼はロングソードと血剣を使って直撃する矢だけを薙ぎ払った。
 矢と刃の衝突。当然勝敗は刃に上がり、矢は真っ二つに斬り裂かれ、無残な矢の残骸が周囲に散らばる。
 そのあえて見せつける様な派手な剣技に、敵の大部分が怯む。無意識のうちに後退。
 戦いで勝つには勢いも重要な要素になる。その勢いを得た赤い鬼はこの機を逃さないように駆け出そうとするが、しかし盗賊達の中で一人の大男だけが築かれた机や椅子のバリケードを跳び越えて赤い鬼の前に立った事で中断した。
 大男から漂う強者の気配――赤い鬼は眼だけで歓喜を浮かべた。

「よりにもよって、鬼人ロードの中でも好戦的な血剣鬼ブラッディロードが相手とは、運がねェにも程があるぜ、全く」

 強者の気配を漂わせて対峙する大男――人間にしては珍しくニメートル近い巨躯、鋼糸を編んで紡いだような太い筋肉、灰銀色の短髪、険呑な眼光を宿す三白眼、他人を威嚇する天然の強面、右頬に十字の刃物傷、急所だけを金属板で強化した軽装鎧を装備――はそう言って、苛立たしさを発散するように両手で頭を激しく掻いた。
 ガリガリガリ、その動作によって男から大量のフケが周囲に散らばる。
 汚い、不潔――赤い鬼の素直な感想。

「最近は盗賊活動の調子がいいと思ってりゃすぐコレだ。運がねェ、運がねェぜ全く、ああ、くそ。運がねェ。運が何処かに行っちまいやがった」

 ガリガリガリガリガリガリ、大量のフケが男の頭部からばら撒かれる。
 両手で掻く速度が徐々に徐々に速く、激しいモノになっていく。
 やがてその動きに、狂気が宿り始めた。

「くそ、くそ、クソクソクソクソクソクソッタレ野郎がッ!! お前だッ、お前が俺の運を奪い取りやがったんだなぁぁぁぁぁあああああああアアアアアアアアアアッ!! 返せッ、俺の運を、返しやがれェェェェェエエエエエエエエエエエエッ!!」

 ガリガリブチリブチリビチャビチャ、大男は自ら自分自身の頭髪を頭皮ごと掻き毟った。大男の指には血で赤く濡れた頭皮つきの頭髪が絡まり、顔面を頭部から流れ落ちる赤い血が染めていく。
 そして赤い狂気に染まった強面で意味不明な事を叫びながら、男が疾駆。驚異的加速力。一瞬で最速へ。
 まるで筋肉の砲撃のようなド迫力の突進――それを赤い鬼は冷静に観察した。
 今、男に得物は一切見受けられない。装備している防具も、防御力はそこまで高いモノでも無い。
 ならば問答無用で斬る、その意思に従って血剣が舞う。
 しかし――

「返せよォォォォォオオオオオオオ!!」

 男が右人差し指に嵌めていた指輪の赤い宝石が鈍く輝く――次の瞬間には迫る男の手の内にある巨大な鉄塊のような鈍器。
 大男の武器――八角形の棍棒にある無数の棘が特徴的な金砕棒を手にし、大男は迫りくる血剣の軍勢に向かってそれを一振りした。その行動によって轟風と衝撃波が発生し、無造作な破壊のエネルギーが地面を乱暴に捲り上げ、舞い踊る血剣の軍勢を触れもせずに弾き飛ばした。
 出鱈目な遠隔攻撃、ただの力技。驚異的行動、驚異的能力。

「――ッ! ……フフ」

 驚愕、の後に響く歓喜の声。
 赤い鬼はその身を喜びで震わせながら、十八名の成人男性を殺害して得た血液全てを使って巨大な球体を形成。その球体に赤い鬼は手にしていた赤いロングソードを突き刺し、一滴残らず吸い尽くす。

【魔剣≪鮮血皇女≫の固有能力ユニークスキル我は血鉄を飲み干すトリンケン・ブルート】が発動しました】

 大量の血を一瞬で飲み干し、赤いロングソード――【鮮血皇女】の刀身が鮮やかな赤から酸化したような赤黒い色へ変色。
 不吉な気配が刀身から発散される。

「返しやがれェェェェエエエエエエエ!!」

 準備が整う――それは迫る大男も同じ事。
 狂った男の突撃――両者にあった距離の消失。
 全てを破壊すべく振り下ろされた金砕棒――それを迎え撃つ赤黒く染まった【鮮血皇女】の刃。
 全てを潰すモノ――全てを切り裂くモノ。
 
 ――その衝突。

 周囲に撒き散らされた全てを破壊する衝撃波と轟風、鼓膜が破れそうなほどの衝突音、眼を焼き皮膚を焦がしそうなほどの火花。
 真正面からの全力の一撃――しかし勝敗は決せず。

 全てを潰す金砕棒は赤い鬼を潰せずに赤黒い刃に阻まれ。
 全てを切り裂く【鮮血皇女】は相手を切り裂けなかった。

 密着した状態で互いに互いを殺そうと力を込めるが、金砕棒と【鮮血皇女】は硬質で小さな悲鳴を上げつつも、どちらかに軍配が上がる事はなかった。
 両者の膂力は拮抗していた。

「返せ、俺に運を返せェェェェェエエエエエッ」

 狂った男の咆哮――あるいは嘆願。運を返せと狂った男は血の涙を流しながら声を上げる。
 咆哮する度、何処からひねり出しているのか不思議に思うほどの力が漲っていく。
 
「返せ返せ返せ返せ、運を運を運を運をォォォオオオオッ」

 徐々に上がる音量、赤い鬼は徐々に押され、突如鈍鉄色に光る金砕棒。
 嫌な予感――本能が感じた直感に従って赤い鬼は即座に後退――次の瞬間には先ほどまで居た空間の空気が音をたてて破裂した。
 空気が破裂した原因――狂った男が持つ金砕棒が甲高い音を鳴らしながら振動している。
 赤い鬼は後退しながら【鮮血皇女】を横一閃。剣尖から赤い液体の射出――遠くの敵を切り裂く血の斬撃。
 狂った男は高速振動する金砕棒を血の斬撃に向けて構えた。
 両者直撃、攻撃と防御が衝突する。
 液体である赤い斬撃は本来なら金砕棒の守りを通り抜けるはずが、金砕棒の高速振動によって瞬間的な加熱――蒸発、血煙へ。
 赤い鬼の攻撃は無効化される。
 
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

 尚も響く絶叫――狂い果てた男。
 その目に正気は無し。ただ狂気が宿るだけ。口元からはダラダラと涎が溢れる。
 その状態になった途端、狂い果てた男の全身から吹き上がる黒い何か。周囲に発散される狂気、男と同じように狂いたいという異常な欲求を引き起こす何か。
 【狂戦士バーサーカー】と呼ぶしかない男の現状。

 赤い鬼はそれを見て、愉快そうだった眼から一転して不快げそうな眼に変化。

「狂ってしまっては、つまらないですよ」

 ただ一言。それに添えられた、今まで遊んでいた玩具を容易く捨てる童子のような冷たい視線。
 狂い果てた男はそれに気が付かず、両者の戦いの迫力に押されて息を潜めていた他の盗賊達は自らに向けられていないそれに恐怖した。
 失禁してしまったモノも居る。それほどに、赤い鬼が放つ気配は不気味だった。

「私は正気なまま殺したいのに、恐怖に染まった血を飲みたいのに。なのに貴方が狂ってしまっては、楽しめないじゃないですか」

 ため息。期待外れだったというように。
 狂い果てた男はそんなモノに頓着せず、再度の突進。即座に間合いを詰め、高速振動する金砕棒を赤い鬼に向けて振り下ろした。
 赤い鬼はステップを刻み、それを機敏に回避してみせる。猛々しさしかない狂い果てた男と違い、優雅な行動。
 狙いの外れた金砕棒は地面を砕く――高速振動によって土や石が砕かれたからか一瞬で砂場が出来上がる。
 どうやら高速振動する金砕棒は粉砕機のような能力を得ているらしく、真正面から受け止める事は無謀と言えた。
 金砕棒の一振り――防御してはならない攻撃。

「だから――」

 赤い鬼がそう言うと、その手の中から赤黒い刀身の【鮮血皇女】が突然消失。狂い果てた男が金砕棒を取り出した時と逆の現象――収納された【鮮血皇女】
 狂い果てた男の突進は続く。即座に食い潰されていく彼我の距離。
 得物を振りかぶる大男、得物を自ら収納した赤い鬼の対峙。
 高速振動する金砕棒が届く距離に入る、振り下ろされる、その刹那――

「――本気で行かせてもらいます」

 小さな宣言が下された、確殺の意思が籠った声で。
 赤い鬼は無手の両手を合わせ、何かを上段から振り下ろす動作を行う。
 その手に武器はない。意味不明な動作、意味が無いように思える行動。
 事実、周囲で見ていた他の盗賊達は赤い鬼が何をしているのか理解できていなかった。なぜあのような馬鹿げた行動をしたのだろうと思うモノすらいる始末。
 しかし、その行動に確かな意味があったのだ。

「かえ、かえ、か、えせ、かかかか、よぉ、よぉ、よ、お、おぉ」

 狂い果てた男が、口から奇妙な言葉を吐き出しつつ、止まっていた。
 高速振動する金砕棒を振り上げた状態で、狂った表情をそのままに、止まっていた。
 白目をむき、ダラダラと大量の唾液が口から溢れ出し、途切れ途切れの意味不明な言葉だけが紡がれる。

「か、かしら?」

 盗賊達の誰かが言った。
 狂い果てた男――本名テケルトリ・テケテトルートは盗賊団≪羊喰いの狼テキラ・ベラ≫の団長だ。
 鍛え上げられた鋼の肉体と【採掘者】や【粉砕者】などを筆頭とした複数の職業、それに高速振動し全てを粉砕する金砕棒【岩窟王】を所持して周囲を荒らしていた彼は自らの運気を気にし過ぎて暴走する所を除けば、団の誰からも頼られる男だった。
 テケルトリの純粋な強さ、それが団員の信頼の元。団員の誰もがテケルトリが死ぬなど夢にも思った事は無かった。

 そしてそんな男が、徐々に左右に分かれていく。正中線に走る赤いラインから、ゆっくりと左右に。
 盗賊団団員からすれば、悪夢のような光景だった。

「そんな……」

「嘘、だろ」

 次々と漏れる驚愕。伝染していく恐怖。表情に浮かぶ絶望の色。
 そして人間だった肉がゆっくりと音も無く墜落、ベチャリと地面を濡らす音をたてた時、盗賊達は一人残らず悲鳴を上げた。
 それを心地よさそうに聞きながら、赤い鬼は微笑みを浮かべる。
 その手にテケルトリの血に濡れて輪郭がおぼろげに浮かび上がった、不可視の両手大剣を引っ提げて。

「では、貴方達は元気に恐怖して下さいね」

 意味不明な言葉。しかし逃げ惑う盗賊達には届かない。
 テケルトリの血が消失し、再び不可視となった赤い鬼の両手大剣が何度も振るわれて、やがて動く者は一人を残して居なくなった。
 赤い鬼の哄笑が、食堂だった場所に寂しく響く。





 ■ _ ■





「やり過ぎ」

「あいた」

 パコン、と小さな殴打音。
 現在ヘルムをとって素顔を晒している赤い鬼――ブラ里は、とある存在によって強制的に正座させられていた。

「別に、殺すなとか血に酔うなとか言うつもりはありません。半血剣鬼ハーフ・ブラッディロードっていう今の種族的に仕方の無い事ですし、アポ朗から情報を貰う時の条件の一つが『盗賊団員全ての殺害』でしたから、それを遂行した里ちゃんは褒められるべきです」

「そ、そうだよね~。流石星ちゃん、話が分かるッ」

「ですが」

 ブラ里を正座させて、その頭上から冷やかな視線を向ける鬼――スペ星は、白銀と金糸と赤い聖骸布で造られているローブの下に隠されていた魔杖<アランノートの杖>で横を指した。
 魔杖の先にあるのは、惨死体の山がある。まるで童子が遊んだように無造作に、そして執拗に切り刻まれた、かつてココには盗賊団≪羊喰いの狼テキラ・ベラ≫の団員が居たのだという事を示す残骸。
 慣れない者なら嘔吐しても仕方が無い悲惨な光景が、そこにある。

「あれは、やり過ぎです」

 そう言って、スペ星は再度ブラ里の頭を叩いた。

「あいた」

 半魔導鬼ハーフ・スペルロードとして種族的に魔術行使に特化している弊害で肉体能力が低いスペ星に本気で叩かれたとしても、近接戦に特化している半血剣鬼ハーフ・ブラッディロードのブラ里は対して痛くないのだが、それでもブラ里は痛がる演技を続ける。
 もしケロッとした態度をすれば、スペ星が手ではなく魔術を行使してくる事をブラ里は知っていたからだ。
 最も、スペ星だって殴っても効いていない事を熟知しているので、このやり取りはあくまでも本人の反省を促す行為でしかなかったりするのだが。

「全く、少しは後始末する私の事も考えて下さい。――“炎禍シャル・ロウ”」
 
 出来の悪い妹に嘆く姉のような口調。そして一瞬で構築された魔術がスペ星の人差し指から発生し、骨肉の残骸の山に射出され、着弾、一瞬で燃え上がる。
 そして数秒と経たず、骨さえ燃やし灰にしてしまうほど高温な炎は周囲に甚大な被害を出さず、スペ星が燃やしたいと思っていた特定の対象だけをこの世から消去すると共に消失した。

 ホブ・ゴブリンメイジでは到底できなかった芸当――半魔導鬼ハーフ・スペルロードになったスペ星の現在の実力の現れ。

 それにブラ里は拍手を送る。

「お見事~」

「お世辞はいいですから、次は気を付けて下さいよ」

「は~い、善処しま~す」

「全く……さて、では目的の品を回収しましょうか。皆さん、一旦集合して下さい」

 殺戮の痕跡が色濃く残る食堂――そこで手分けして使えるモノと使えないモノの分類作業をしていた三人のエルフと一人の人間、そしてホブ・ゴブリンが三ゴブとホブ・ゴブリンクレリックの八名がスペ星の声に従って集合する。
 彼・彼女等は第三グループのメンバーだ。

「さて、エキルド。宝物庫の場所は?」

 とスペ星、弓兵風の装備を身に纏う男エルフに問いかける。

「食堂の奥にある扉の向こうであります。扉を開ける鍵はコチラに」

 エルフ――エキルドの響く様な返答。差し出された鍵。
 受け取った鍵をブラ里に渡しながら、スペ星はニコリと微笑む。

「よろしい。では、カルタ。盗賊団に捉えられていた捕虜や奴隷の方は居ますか?」

食堂ココから出て左の部屋に牢がありました。中には人間の女が九人、獣人の女が五人居るのを確認済みであります」

 先ほど答えたエルフとは別のエルフが返答する。

「そうですか。では私とエキルドでその人たちと交渉してきますから、里ちゃんとカルタは宝物庫で品の回収、クルタとマチェットとホブ火は先ほどと同じように、食器とか使えそうなモノは片っ端から集めて下さい。それが終わったら別の部屋も探す様に。
 あとホブ風達は外とかにある残りの死体を埋葬しつつ、装備品をついでに剥いじゃって下さいね。
 じゃ、パパっと終わらせましょうか。一時間以内に撤退しますよ」

「は~い」

『『『了解ルティル・マイム』』』

 エルフのエキルドを引き連れ、スペ星は部屋から出て行った。
 ブラ里は背後に控えるカルタを振り返る。

「じゃ、早く終わらせよっか」

了解ルティル・マイム

 それぞれがスペ星に命令された事を完遂するべく散らばっていく。
 ブラ里はエルフのカルタと共に食堂奥にある扉に出向き、鍵を入れて扉を開けた。
 宝物庫と言うだけあって、中身はそれなりに宝が溜めこまれていた。
 と言っても無造作に放り込まれているのではなく、二十数個の大きな木箱に入れられているので何が入っているのかはパッと見では分からない。もしかしたらトラップが仕掛けられたモノがあるのかもしれない。
 不用意に開けるのは止めた方がよさそうだった。

「トラップとか、ある?」

 どれが危険でどれが安全なのか分からない。だからブラ里は耳のカフスに問いかけた。
 カフスからの返答――それによって罠がある木箱は四つ。どれも爆裂して不用意に開けたモノを消し飛ばしたり、色んな【呪い】を与えたりする極悪なモノばかりだと判明・識別。
 仕掛けられた極悪な罠も、予め分かってしまえば怖いモノではなかった。

「ありがと」

 アポ朗から与えられた耳と融合するイヤーカフス――装着者間の通信機能とアポ朗が行った幾つかの付与効果エンチャントによる身体強化の恩恵だけでなく、事前に罠を告知してくれたり敵が近づくのを警告してくれたりと、様々な補助アシストをしてくれる便利品――の使いやすさと高性能さに何回目かも分からない感心を抱きつつ、罠だと識別された木箱を運んで部屋の隅に固めていく。
 そしてその木箱に『取り扱い危険』の注意書きをしてから、安全で宝が詰まっている他の木箱を次々と開けていった。
 木箱の中には貴族が発注したのか豪華な皿やコップなどが入っているモノもあれば、匠によって鍛え上げられた名剣名刀の類、迷宮から発掘された有用なマジックアイテムの品々、ミスラル製のナイフ、銀板銀貨銅板銅貨など貨幣の山、貴重なモンスターの素材、一度装備すれば解呪するまで外せなくなる呪われた装備類など実に様々だ。
 それ等をブラ里とカルタは手分けして“収納のバックパック”などに次々と放り込んで行く。大き過ぎてバックパックに入れられない品があれば、カルタが事前に用意していた荷車に乗せていく。
 宝の中から偶に出てくる名剣や魔剣の類で気に入った物や、魔杖や魔術書グリモワールの類はスペ星の為に別枠で確保しているブラ里だが、まあ、頑張った報酬という事で、と内心で言い訳をして作業していた。
 熱心に作業をしたからか、回収作業は三十分程度で完了した。今宝物庫にあるのは中身の抜かれた空の木箱と、罠の詰まった木箱だけになった。
 罠の木箱を指差し、ブラ里は小首を傾げた。

「カルタ、コレ、どうした方がいいと思う?」

「別に放置しても問題ないでしょうが、何かに活用できるかもしれません。一応総督に確認してみるのはどうでしょうか?」

「うん、それがいいね。じゃちょっと待ってて……あ、アポ朗? 実は……そう。……分かった。罠の木箱は放置でいいってさ。必要ないって。必要あったらもっとエゲツナイの用意するらしいよ」

「そ、そうですか……。ならこのままにしておきましょう」

「うん、コレで終わりだね~。カルタもお疲れさま。あ、街で大量に買った乱鞭鳥のモモ串焼きパンチェトルがまだ残ってるんだけど、一緒に食べる?」

「頂きます」
 
「動いてお腹減ったから、きっと美味しいよ~」

 ニコニコ、とまるで太陽のような笑みを浮かべるブラ里に、頬を赤くしながらカルタは頷いた。
 そしてブラ里が何処からともなく取り出した香しい匂いを放つ焼き立てのような乱鞭鳥のモモ串焼きパンチェトルをカルタは受け取ろうとして――

「あ、流石里ちゃん気が利きますね、頂きます」

 横から突然現れた手が乱鞭鳥のモモ串焼きパンチェトルを掻っ攫っていった。
 奪っていったのはスペ星だった。その背後には何故か気まずげな表情のエキルドが居る。

「星ちゃん、それはカルタに」

「ん? カルタのだった? 何か問題あったかな?」

「い、いえ。問題ありません、マイム」

 ブラ里はやや困惑げにしたが、カルタ本人がそう言うのなら、と思って納得した。
 それに、もしかしたらカルタは上官である私の提案を拒否したくてもできなかったのかもしれない、とブラ里の脳裏を過る考え。

「あ~、ごめんねカルタ。お節介だったかな? 嫌だったりしたらちゃんと言ってね?」

「そ、そんな事は……あ、いえ、了解です、マイム」

 何故か冷や汗を流すカルタに苦笑を見せつつ、ブラ里は乱鞭鳥のモモ串焼きパンチェトルの他に火林檎の果汁アインプラ・ベッチェという果汁ジュースが入れられた瓶を取り出した。

「星ちゃんも飲む?」

「ありがとう、頂くわ。でも、先に里ちゃんが飲んで」

「分かった、じゃさっさと飲まなくちゃね」

 ブラ里は肉汁の滴る乱鞭鳥のモモ串焼きパンチェトルを喰らいながら火林檎の果汁アインプラ・ベッチェ入りの瓶の蓋を開け、肉を堪能した後に瓶の中身を美味しそうに嚥下した。
 スペ星はその隣で串から肉をもぎ取り、カルタとエキルドはやや離れた場所で二人の食事が終わるのを待っていた。

「あ~美味しい。はい、どうぞ」

「ありがとう」

 瓶を受け取り、スペ星がやけにゆっくりとした動作で瓶に口付け、中に入っている果汁ジュースを飲む。その舌の動きはやけに艶めかしかった。
 二人の食事が終わったので四人が食堂に戻ると、既に他のメンバーは整列して待っていた。そのメンバーの後ろには外套を羽織った見知らぬ女達が十数名、ひっそりと佇んでいる。
 女達はスペ星が交渉し、拠点で引き取る事が決まった盗賊団の奴隷であり捕虜でもあった存在だ。女達はコレからブラ里達の拠点で人並みの生活をしつつ、様々な働き手として、そして次代の子達を産む者として生活してもらうのである。
 盗賊団員達に酷い扱いを受けていたためか、彼女等は誰の目も虚ろで、生気があまり感じられない。身体にある痛々しい傷痕が彼女等が受けていた扱いを示している。
 もっとも、今更そんなモノを見てブラ里が何かを思う事はない。ゴブリン時代からそんな女は飽きるほど見ているのだから当然だ。むしろ弱い故にこのような結果になった女達を、ブラ里は気に喰わないとさえ思っている。
 とはいえ、現在は仲間として扱う必要がある。建前と本音が違うとはいえ、外面はよくしていた方がいいだろうと判断を下した。
 そうしたのも、如何に戦えば面白そうな相手だとは言え、ブラ里を秒殺できるだろうアポ朗を敵に回したくはない、というのが理由の大部分を占めている。

(アポ朗ちゃんと戦えば面白そうだけど、怖いからなぁ~。うんうん、ココは我慢だ、我慢我慢)

 ひとまず第一印象をよくするため、ブラ里は元気で親しみやすそうな笑みを振りまいた。

「いやいや、お待たせ~。新人さん達、コレからよろしくね。じゃさっさと野営地に戻って、寝て、明日は街で買い物してから家に帰ろっか。
 新人さん達も何か困った事があったら何でも言ってね? あ、必要なモノとかある?」

 などと言いながら、笑顔で接したのがよかったのか、虚ろだった女性達の雰囲気からほんの少しだけ警戒心が薄くなった気がした。
 今はそれで十分だと満足しつつ、基本的に非戦闘時はお節介焼きなお母さんのような性格をしているブラ里はできるだけ明るく、そして優しく女達に話しかけ、ゆっくりと洞窟から去っていった。


 こうして、血生臭く殺戮の夜は過ぎていく。
 外に出たブラ里が見上げるのは、真っ赤に染まった月。
 まるでブラ里を祝福するように、赤い月光が夜の世界に降り注ぐ。






【ブラ里視点終了】



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