2012-10-25 おおスターリンよ,汝は万能の悪として,歴史上に屹立せん
■[読書][歴史][ロシア]スターリン期の大量死の評価をめぐって――ノーマン・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』を読む
きわめて問題提起的な意欲作でありながら,どうしてこんな残念な結果になってしまったのだろうか。いや,むしろ,本書の著者ネイマークの持つその意気込みが,本書を残念なものにしてしまっているのかもしれない。読みながら,そんなことを考えた。
- 作者: ノーマン・M・ネイマーク,根岸隆夫
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2012/09/11
- メディア: 単行本
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本書,つまりノーマン・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』(根岸隆夫訳,みすず書房,2012年)は,Norman M. Naimark, Stalin’s Genocides (Princeton: Princeton University Press, 2010)の邦訳であり,スターリン体制下での大量死を「ジェノサイド」と位置づけて論じる書物である。といっても,本文は日本語版で150ページ足らずであり(訳者によれば,原書では176頁だという[156頁]),著者本人が「長めの論文と言ったほうがふさわしいこの小冊子」(1頁)と書いているように,分量的にはあっさりしたものだと言ってよい。
本書は次の章から構成される。
序論(1-16頁)
第1章.ジェノサイドをめぐる議論(17-33頁)
第2章.ジェノサイド犯罪者の成長過程(35-56頁)
第3章.富農(クラーク)撲滅(57-76頁)
第4章.飢餓殺人(ホロドモル)(77-86頁)
第5章.民族の強制移住(87-106頁)
第7章.スターリンとヒトラーの犯罪(131-142頁)
結論(143-150頁)
謝辞(151-153頁)
訳者あとがき(155-170頁)
原註(x-xxii頁)
フェアであることを心がけるならば,つらつらと批判を書き連ねる前に,本書の評価すべき点を挙げねばならないだろう。といってもこれはわが国においては特筆すべきことではないかもしれない。しかしながらこの本が英語で出版されたという事実を思う時,この本の問題提起は重要であるように思われるのである(ただしわたしは近年のホロコースト研究・ドイツ史研究の動向にはあまり明るくなく,間違った評価をしてしまっているかもしれないが,その場合はご指摘いただきたい)。それは,ホロコーストとその他のジェノサイドを同列に比較の俎上に載せたことである。そして,「ジェノサイド」定義の拡張を試みていることである。
ネイマークは,「ホロコーストが人類史でもっとも極端な事件であることは明瞭だろう。……ソ連農村部のウクライナ人の子供,あるいはグーラグ[ママ]の子供には生き残る機会があった。ところが絶滅収容所のユダヤ人の子供は,稀な例外があったにしても死刑を宣告されていた」(133-134頁)として,ホロコーストが最大の災厄であったことを認めつつも,「スターリン・ロシア[ママ]とヒトラー第三帝国におけるジェノサイドの歴史は……相違よりは相似の資料を提供している」(137頁)と,両者を比較することは可能であると述べるのだ。この点,一部の歴史家が「ホロコーストは唯一無二のものだ」としてその比較を拒否するというようなきわめて非学問的で感情的な態度を未だに見せることを考える時,彼の態度はジェノサイド研究にとって有益なものたりうるだろう。
また,国際法における「ジェノサイド」の定義を拡張すべきだ,という議論は,その是非はともかくとして重要な問題提起であり,わたしたちはそれを受け止める必要があろう。とはいえ彼の主張は,問題提起としては評価に値するかもしれないが,その中身は底の浅い議論と呼ぶほかない。この点については後述するとして,そろそろ「よかった探し」はやめて彼の著書の批判的検討に移るとしよう。なお,予め断っておくが,わたしは日本語版しか読んでいない。
さて,本書の主張せんとすることは単純だ。それは,ソ連の指導者ヨシフ・スターリンによって主導された大量死は国際法上の「ジェノサイド」であり,スターリンは法廷で裁かれるべき犯罪者であった,ということである。
ご承知の通り,国際法上の「ジェノサイド」には,政治的集団の抹殺は含まれない。だが「ジェノサイド」という語の提唱者ラファエル・レムキンは,本来それらの抹殺も「ジェノサイド」に含めていた。だが条約が起草される時に,ソ連やアルゼンチンなどの反対で社会的・政治的集団に対する迫害が定義から除かれた*1。ここまではジェノサイド研究の常識であるが,著者はそこから一歩進んで,本来ならばそれらのことがらもジェノサイド条約でいう「ジェノサイド」に含まれるべきだと主張するのである。いや,そこまでならばよい。問題はその先だ。著者は「バルト諸国の事件は,たとえ1948年のジェノサイド条約が政治集団を考慮の対象から暗黙のうちに除外していたにしても,政治集団をジェノサイドの犠牲者として該当すると国際公法が広く認めていることをあらわしている」(31-32頁)のだと主張する。
しかしその論拠となっているのは,バルト諸国において対ソ協力者が裁かれた国内裁判である。それはバルト諸国が国内の法廷で行ったものであって,なんら国際法的基盤を持ってはいない(現に,ロシア大統領がそれに同意していないことが示されている[31頁])。他にもアルゼンチンやカンボジアの事例が挙げられているが,アルゼンチンの事例は国内法廷のそれであり,カンボジアの法廷は確かに自国民に対する「ジェノサイド」が裁かれた国際法廷ではあるものの,判決理由を見る限り,強制収容所の所長であったカン・ケク・イウにジェノサイド罪は適用されていない(彼が問われたのは,人道に対する罪とジュネーヴ条約違反である)。そして,「ジェノサイド罪」に問われたヌオン・チアやキュー・サムファンらは,チャム人,ヴェトナム人,仏教徒などを弾圧したと指弾されているのだ*2。つまり通常のジェノサイド条約での民族集団・宗教集団への迫害に該当した人間しかジェノサイド罪では裁かれていない。それらの事例を根拠にして「国際法の客観的考察に基づけば,スターリン政権がソヴィエト国民にたいしておこなった各種の攻撃はジェノサイド条約の対象にすることができる」(33頁)というのはあまりにもお粗末すぎるのではないか。だいたい,「1948年のジェノサイド条約が政治集団を考慮の対象から暗黙のうちに除外していた」と「ジェノサイド条約の対象にすることができる」というふたつの文をどう整合させるつもりなのだろうか。
誤解を招かないように言っておくが,わたしは歴史家がスターリンによる大量死を「ジェノサイド」と定義することを否定するものではない(そういった言葉の濫用を戒める塩川伸明のような立場*3は尊重すべきものではあるが,しかしわたしはそれを支持しない)。ただ,それを「国際法でいわれるところのジェノサイド」とすることを批判しているのである。国際法上の定義と歴史学上の定義が食い違っていて,この事例は国際法的にはジェノサイドとは呼べないかもしれないが歴史学の観点からは明らかにジェノサイドと呼べる現象である,と言明することはなんら問題ではないのだ。結局のところネイマークの問題点は,彼が歴史家として本書を書いたのか,それとも仮想の国際法廷の検察官ないしは裁判官として本書を書いたのかが判然としないことにある。本書で採られる手法は,基本的に文書館史料も駆使した歴史学的なものだが,ネイマークはあくまでも彼の成果を国際法の中に位置づけることにこだわり,ソ連で行われたことが「ジェノサイド」であったと立証することに懸命になっている。しかし,何もそう無理な論拠を捻り出してまで国際法的なジェノサイドであると言明する必要はないのではないか。ジェノサイド条約の制定過程においてソ連からの横槍が入ったことは周知の事実である。だとすれば,国際法的な定義を不完全なものとして切り捨てて,歴史学的に「ジェノサイド」を再定義してそれを用いても良いのではないかと思うのだが。歴史書が法廷の作法に則らねばならない理由はどこにもないのだから。だが彼はあくまで本書を法廷として位置づけようとし,結果としてそれが本書の叙述を歪めている。
そして歴史学的検討としても,本書には疑問が残る。本書は目次を見ていただければわかるように,1章をまるまるスターリンの人格形成の研究(といってもそこで参照される文献の多くは英語の研究文献なのだが)にあて,「残酷で野蛮な」(35頁)「大量殺人者」(38頁)がどうやってできあがったのかを問題にしようとする。スターリンは「生まれつきの殺人者だったのだろうか? それともグルジア山岳地方での少年・青年期の環境が,数百万人の無辜の命を奪う残忍な独裁者を育てたのだろうか? それとも……ボルシェヴィキ分派に影響されたのだろうか? ……われわれはスターリンの残酷さを……『レーニン最良の生徒』だったせいにできるのだろうか?」(38-39頁)。もちろんわたしもスターリンの人格になにかしら歪んだ,異常なところがあったのは否定しない。しかし,それのみで大テロルを説明してしまってよいのだろうか? わたしはスターリンや大テロルについては一般常識の範囲でしか知らず,せいぜいスターリン全集の一部を読んだことがある程度だが,これはホロコースト研究でいうところの極端な意図派に属する理解であって,大テロルの責任者を裁こうというならそれで十分なのかもしれないが,大テロルを歴史として解明しようという営みにとってどれだけ有意義なのだろうか?
ネイマークはさらに「マルクス=レーニン=スターリン主義イデオロギーは,戦争と干渉戦を予言した。資本主義者と帝国主義者はかならず社会主義者を敵として叩く。だからソヴィエト国家はつねに臨戦態勢におかれている。しかしスターリンの下で戦争の妄想は頂点に達したのだ。一つにはかれ自身の外国人憎悪と侵略脅威の確信のせいであり,一つには経済問題の常識を無視し,富農(クラーク)をふくむ想定上の政敵を抹殺するのに手頃な正当性を提供したせいだった」(60頁)と書くが,もちろん1930年代時点での干渉戦争は現在の視点から見れば可能性が薄いものだったとはいえ,「妄想」の一語で片付けることには非常な抵抗を感じる。なにせ干渉戦争は実際に一度起こったのであり,それは遠い昔のことではない。またフィンランドは革命のどさくさに紛れてロシア領に義勇兵を進めたことがあり,戦間期にはロシア領カレリアの「奪還」を目指す「大フィンランド主義」が昂揚していた(そして実際に,フィンランド軍は継続戦争において冬戦争以前の国境を越えるのである)。ドサマギで侵攻してきた「前科」があるといえばポーランドもそうだ。南を見ればトルコがある。領内に多くのテュルク系民族を抱えたソ連は,パン・テュルク主義の脅威に敏感にならざるを得なかった。そして東には,干渉戦争において最後までソ連領に居残った日本がいたのである。
もちろん,だからといって,ソ連指導部の「干渉戦争が迫っている」という認識が正鵠を射ていた,と主張するつもりはないし,冬戦争やポーランド分割などの侵略を正当化するつもりもない。そうではなく,そのような認識にリアリティを与えるような国際環境の存在を無視して「妄想」の一語で切り捨てるのは,公平な態度であるとは到底思えないのである。「現実に戦争が起きる可能性があったか」ということと,「戦争が起きるだろうという想定は彼らの置かれた環境ではどのくらいのリアリティがあったか」は峻別されるべき問題だろう。前者の可能性がないことを理由に後者のリアリティを「妄想」と一蹴するのは歴史家として筋がよくない議論ではないのか。
またこれは蛇足であるが,「マルクス=レーニン=スターリン主義イデオロギー」などと仰々しく述べるなら,せめて『スターリン全集』からの引用くらいあってもよいのではないか。本書では議事録や書簡などの史料は用いられるが,『全集』は脚注を見る限りでは用いられていない。もちろん『全集』はスターリンの「ホンネ」を明らかにしてくれるわけではないし,その性格からして鵜呑みにしてはならないことは当然である。けれども,たとえクラーク撲滅などについての論文は『全集』に収録されているのであり,政権が少なくとも「公的に」表明したイデオロギーはそこから分析することができるのである。そのような文章がソ連政治史において重要な役割を果たしてきたことを思えば,スターリンの人格にまで踏み込んで彼の「犯罪」を論じる上では,『全集』などを引いてくることは必要だったのではないかと思えるのだが(公平を期すために言うと,『プラヴダ』に掲載されたスターリンの論文は一度だけ引かれている)。
さて,本書の目次を見た人は,ウクライナの大飢饉が「ジェノサイド」の一例としてあげられていることに戸惑いをおぼえるかもしれない*4。著者自身もそのことは認めている。「ウクライナの飢餓殺人の分析が一筋縄でいかないのは,同時期に多くのウクライナ以外の地域も,ロシア,ベラルーシをふくめてやはり深刻な飢餓と大飢饉に苦しめられたからである」(82頁)。けれどもネイマークはスターリンのウクライナ人への疑いやその他の状況証拠を通して,これがウクライナ民族に対する「ジェノサイド」であったことを強調しようとするが,それはどこまで妥当な議論だろうか。問題は,これを「ウクライナ人に対する計画的な攻撃」と見なすことの是非である。農業の全面的集団化とクラーク撲滅へのスターリンの支持,連邦党中央委員会の決議よりも厳しい集団化達成ノルマを,しかしその達成方法を示すことなく決議したウクライナ党中央委員会,そしてそのような厳しいノルマをこなすためにどんどん残虐になっていった現地党員や活動家,といった様々な要因*5を捨象して,スターリンの人格とウクライナ人への敵意のみですべてを説明してしまうのはあまりに安易に過ぎないか。「スターリンは敵性民族としてのウクライナ人を破壊し,ウクライナ民族主義を奪ったうえで,ウクライナ人をソヴィエト国民に変えようと考えていた」(86頁)などという粗雑な認識には唖然とさせられる。1920年代にはコレニザーツィヤ(現地化。非ロシア人地域で,在地民族の言語を公用語とし,在地民族のエリートを養成しようとした,一種のアファーマティヴ・アクション)の波に乗ってウクライナでもウクライナ化が行われていた*6。そしてその矛盾が表出するのが1930年代以降なのである。スターリンが「内容においてはプロレタリア的な,形式においては民族的な」*7文化を建設するという目標を宣言していたことは軽視されるべきではない。本書はテリー・マーティンの有名な著書『アファーマティヴ・アクションの帝国』を何度も引用しているが*8,そのエッセンスを掴み損ねているのではないかという疑問が拭えないのである。「飢饉の民族化」*9というマーティンの指摘の方がよほど精緻な認識であるように思う*10。
また,われわれはここで,ウクライナが世界有数の穀倉地帯であったことも想起する必要があろう。ウクライナの広大なステップ地帯は元来遊牧民の天地だったが,18世紀以降帝政ロシアがこの地に進出してからはスラヴ人農民が定住するようになる。「黒土地帯は……耕作が容易で,地味が豊かである。旧来の三圃制度のもとでさえも50年以上も追加的な肥料なしに穀物を栽培することができた。このためこの地方はたちまちロシアの,いや世界の穀倉となった」*11。ロシア革命時,レーニンがウクライナ喪失を何よりも恐れたのは,そこからの石炭・穀物供給を革命政権の生命線と見なしていたからである*12。ウクライナが全連邦の4割にも達する穀物調達ノルマを課されていたのは,そのような背景があったからだ。もちろんそのことはネイマークも承知のことだろうが,なぜか彼は問題を「民族」のみに還元しようとする。
ネイマークは従来「民族浄化」と見なされてきた(というか,彼自身も以前は「典型的な民族浄化」だと見なしていた*13)ソ連の民族強制移住をも本書の検討対象としている。この辺はソ連史家のあいだでも見解がわかれるところであり,たとえば前述のマーティンは,そこには積極的な「殺人」の意図はなかったとして,「ジェノサイド」であるとはしていない*14。これをジェノサイドであるとするロジックは,まあ,広義のジェノサイド概念としては納得できるものではあるが,ここで問題になるのが冒頭でも触れた「いったいあなたはどんな意味で『ジェノサイド』という言葉を使っているのか?」という点になるんだろうなぁと。
なお,1952年の医師団事件に際して,「これをきっかけにしてソ連の全ユダヤ人住民は,シベリアと極北地方に強制移住させられるはずだった。いまだに,われわれはユダヤ人強制移住についての確証となる文書を入手していない」(38頁)とある。この説は広く普及していて,前述のマーティンもこのような計画があったと書いているが*15,アルヒーフ史料を丹念に探索した研究者は,そのような計画の痕跡を発見することができていないし,当時の書簡や史料からは,むしろ「シオニスト」と「ユダヤ人大衆」を切り離し,後者にまで向けられた反ユダヤ主義を抑制する政権幹部たちの意図も読み取れるのである*16。既にそのような研究は1990年代に英語で出ているはずなのだが……。
そしてこれは言っておかねばならないが,著者がジェノサイドについて法的大鉈を振りかざしておきながら,ユーゴ紛争に関する認識が典型的な欧米のセルビア悪玉論をなぞるものになっていることは大きな問題であろう。「1990年代にセルビア人がボスニアのイスラム教徒[ママ]をおそった」(4頁)という認識で,よく国際法廷を語れるものだ。ムスリム人やクロアチア人の戦犯も訴追されていることを知らないのか。セルビア人の側だけが悪だとでも言うつもりか。そもそもスレブレニツァには,セルビア人への残虐行為をはたらいたムスリム人戦犯も潜伏していたというのに(その「報復」として虐殺が行われた可能性を,長有紀枝は指摘している*17)。「スレブレニツァ虐殺はジェノサイドとして判決が下されたが,その理由は虐殺の対象がその一部であったとしても,民族全体の破壊を目的としていたからだ」(84頁)とあるのは誤解を招く。国際法廷では,集団の生存に与える影響を理解した上でスレブレニツァの成人男性を絶滅させたことは「ジェノサイド」と認定されたが,ムスリム人全体を破壊する意志などというものは認定されていない(そもそもジェノサイド罪とは「集団の全部または一部」を破壊する罪である)*18。さらには事実誤認も見られる。「ミロシェヴィッチが最終的にはスレブレニツァ虐殺に責任があったとしても」(84頁)と賢しらに書いているが,ミロシェヴィチが訴追されたのはコソヴォでの人道に対する罪を問われたからだ。スレブレニツァ虐殺の主体はスルプスカ共和国であってセルビア共和国ではない*19。ネイマークはセルビア共和国とスルプスカ共和国の区別もつかないのだろうか。このような人物による「ジェノサイド」「国際法」といった言葉の連呼に,どれだけの信用性があるというのか。
細かい点についても指摘しておきたい。「人類は驚くべき多様な民族からなりたっている。そのおのおのの個別の性格がたとえベネディクト・アンダーソンの有名な表現,『発明された』ものであっても」(4頁)とあり,確かにアンダーソンの著書にも捜せば「発明」というフレーズは出て来るだろうと思うが,「有名な表現」といったら,アンダーソンなら「想像された(imagined)」だろうし,「発明」といったらホブズボウムの「伝統の発明」になるんじゃないかしらん。また,帝政ロシアの歴史家V・O・クリュチェフスキーの箴言を「ロシアはみずからを植民化する国の一つ」(72頁)と引用しており,この箇所が英語でなんと表現されているかわからないからなんとも言えないのだが,少なくとも原典の「ロシアの歴史は植民された国土の歴史である」*20とは明らかに違う文について語っていないか。「革命前夜にすでに,スターリンは有名な論文『民族問題について』を書いている」(87頁)とあるが,正しくは「マルクス主義と民族問題(Marksizm i natsional’nyi vopros)」である。ソ連の民族問題について論じる上でこの論文は最重要文献なのだが,その名前を間違うとは……。だから『スターリン全集』をきちんと参照すべきだと言っているのだ(この論文は全集以外の形態でも見られるから,何がなんでも『全集』を読め,とは言わないけれども)。この辺,そろそろ70になろうかというおじいちゃんなので色々記憶がごっちゃになっちゃっているという可能性が高いんじゃないかと思う。
最後に,これはまったくネイマークの責任ではないのだが,翻訳について一言触れておく。翻訳者の根岸隆夫はパリで学んだのだという。ならばロシア語を知らないのは仕方ないことかもしれないが,それならそれでロシア語を解する人物にチェックを受けていただきたいものだ。少なくともそうすれば,歴史家ヴァシリー・O・クリュチェフスキーを「ヴァシリ・クリウチェヴスキー」(72頁)と書くような間抜けなミスは犯さなかっただろう。米国議会図書館式のロシア語転写法ではюはiuと転写されるので,ロシア語に慣れていない人はこれを「ユー」ではなく「イウ」と読んでしまいがちなのだが,しかしクリュチェフスキーの名などは日本語でロシア史の書物を読んだことがあれば一度は出会うはずのものであり,これを間違えた時点で著者がロシアに関して殆どと言っていいほど知識を持っていないことを暴露している。ウクライナ人の歴史家オレグ・V・フレヴニュークは「フレヴニク」(127頁)と書かれており,さらに索引ではKhlevninkなどと表記されている。正しくはKhlevniukである。また「ボリシェヴィキ(Bol’sheviki)」を一貫して「ボルシェヴィキ」と表記しているのもどうにかしてほしい*21。どうしてそんな基礎的な語彙までおざなりに訳せるのだろうか……。さらに言うと,GULAGのアクセントはUではなくAにあるので,「グーラグ」(38頁)という表記は誤りである。「ヤ」と表記すべきところを「ア」としている箇所については,指摘しても詮ないことではあるが言っておくべきだろう。モロトフの下の名前は「ヴァチェスラフ」(6頁)ではなく「ヴャチェスラフ」である*22。
また,間違いとは言えないのだが,スターリンのthe Great Terrorについては,近年わが国では「大テロル」との訳語が定着しつつあるように思う。なんというか,翻訳をするのなら,日本語の先行研究との訳語の整合性くらい保っていただきたいのだが,ひょっとするとそれは贅沢な望みなのだろうか。
訳者の間違いはロシア語やウクライナ語に留まらない。セルビア人作家ダニロ・キシュが「ダニロ・キス」(132頁)などと書かれているのには笑わされた。どうも年配のお方のようだから,ひょっとするとgoogleやWikipediaの存在をご存じないのだろうか。スルプスカ共和国軍のラディスラヴ・クルスティチ将軍が,どうして「ラドスラフ・クルスティチ」(10頁)と表記されているのかも謎である。「スロヴォダン・ミロシェヴィッチ」(84頁)とは誰のことか。彼のファーストネームはSlobodanであり,どこにもvの音はない。また,おそらく原文ではBosnian Muslimとなっているのだろうと思うが,一貫して「ボスニアのイスラム教徒」と表記していることにも驚かされる。社会主義ユーゴスラヴィアにおいて,大文字で書かれボスニアに居住するMuslimは,「イスラーム教徒」を指す普通名詞ではなく「ムスリム人」という民族を指す固有名詞だ。マジャル人と思しき人名を「ミクロス・クン」(10頁)と書いていることは寛大な心で許すとしても(おそらく,「クン・ミクローシュ」。姓名の逆転については,マジャル語の場合日本語と同様に英語文献ではよくあることである),ドイツ人の歴史家Jörg Baberowskiが「ヨルグ・バベロフスキー」(50頁)と表記されていたのには目を疑った。ロシア語がわからないのは百歩譲って仕方ないにしても(いや本当は仕方なくなんかないんだけどね。なにせこれソ連史の本だし!),せめてドイツ語の人名くらいちゃんと表記してくれ!*23
でまあ結論として。みすず書房には悪いがこれは3,000円出して買う本ではない。というか買う本ではない。多分,その3,000円で漫画本を5冊買った方が有意義なのではないか。基本的にこの本の勘所は,スターリン期の大量死を「スターリンによるジェノサイド」という物語によって描くことにあるのだと思うが,使われている概念を除けば「スターリンの悪行」について赤裸々に書いた本はいくつも出ているんだし,ソ連の民族政策については何冊も本が出ている(ただし,類書と比べれば3,000円というのは――その中身を問わないのなら――安い部類であるという比較も付け加えておく。『アファーマティヴ・アクションの帝国』なんて日本語版だと5桁の大台に乗るし)。ウクライナ人やチェチェン人の歴史家からみれば,「『スターリンのジェノサイド』? 何を今更」となるだろう。そしてわたしたち非現地人の強みとは,彼ら直接の当事者たちの視点を突き放して見られる点にあるのではないかと思うのだが,ネイマークはズブズブと一方の視点に没入して,極めて「政治的な」歴史を紡いでいる。残念ながら,本書はスターリンをめぐる論争になんらの寄与ももたらさないだろう。ただ混乱のみならば,もたらしうるかもしれないが。
関連過去エントリ:
民族浄化,ジェノサイド,同化政策 - Danas je lep dan.
マルクス主義における「民族」――エンゲルスからユーゴスラヴィアまで - Danas je lep dan.
あまりにも偏向した悪書,ベヴェリー・アレン『ユーゴスラヴィア 民族浄化のためのレイプ』 - Danas je lep dan.
ロシアの同化政策?――zapiska o rossijskoj imperie - Danas je lep dan.
「スレブレニツァでジェノサイドはなかった」――セルビア新大統領トミスラヴ・ニコリチの発言をめぐって - Danas je lep dan.
*1:なお,「ソ連とその同盟国が,社会,経済,あるいは政治集団をジェノサイド条約から排除した」(27頁)という文章は誤解の余地がありまくる。原文がおかしいのか訳の問題か。アルゼンチンや南アフリカのことを,ソ連の「同盟国」とは呼ばないと思う。
*3:塩川伸明『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦――冷戦後の国際政治』有志舎,2011年,第1章。
*4:アメリカ,カナダ,オーストラリアなどいくつかの国の議会は,ホロドモールを「ジェノサイド」として認めているという。ホロドモール - Wikipedia。
*5:中井和夫『ソヴェト民族政策史――ウクライナ1917〜1945』御茶の水書房,1988年,305-336頁。
*6:同,255-303頁;テリー・マーチン(半谷史郎監訳)『アファーマティヴ・アクションの帝国――ソ連の民族とナショナリズム,1923年〜1939年』明石書店,2011年,第3, 6章。
*7:イ・ヴェ・スターリン(スターリン全集刊行会訳)「東方人民大学の政治的任務について」『スターリン全集』第7巻,大月書店,1952年,149頁。
*8:脚注では日本語版の情報が示されていないが,これは本書の刊行時期を考えれば同情の余地があろう。
*9:マーチン前掲書,第7章。
*10:というかネイマークは基本的にソ連の民族問題について単純な見方しかしていない。それは「スターリンのジェノサイドの犠牲者……との関係は,ロシア人が過去の犯罪を公然と認め良心的に調査してこそ改善される」(9頁)という文章に典型的にあらわされている。いやあんたクラーク(もちろん,ロシア人が沢山含まれる)もジェノサイドの犠牲者だって言ってなかったか。そしてここで言っている「ロシア人」とは,russkii(エスニックな意味でのロシア人)なのかrossiskii(ロシア国民)なのか,どちらなのだ。ロシア語はそれを区別する言語であり,ソ連そして現在のロシア連邦はその区別を基本的に継承する国家なのだが。
*11:伊東孝之,井内敏夫,中井和夫編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社,1998年,11頁。
*12:中井前掲書,134頁。
*13:Noman M. Naimark, Fires of Hatred: Ethnic Cleansing in Twentieth-Century Europe, Cambridge: Harvard University Press, 2001, pp.104-105.
*14:Terry Martin, “The Origins of Soviet Ethnic Cleansing,” The Journal of Modern History 70(4), 1998, p.822.
*15:Ibid., p.820.
*16:長尾広視「ソ連のユダヤ人問題――スターリンの『最終的解決』に関する考察」『ロシア史研究』第69号,2001年,26-43頁。
*17:長有紀枝『スレブレニツァ――あるジェノサイドをめぐる考察』東信堂,2009年,266-267頁。そしてセルビア人による「スレブレニツァ」のみが裁かれ,ムスリム人による「スレブレニツァ」が裁かれなかった(あるいは軽い罪で終わった)ことがセルビア人の不満や否認論を生み出しているという。同,273-276頁。
*18:同,52, 251-252頁。
*19:国際司法裁判所も,セルビアには「ジェノサイドを防止する義務」違反を認定したものの,セルビア国家の責任を問うことはできないとした。湯山智之「国際司法裁判所・ジェノサイド条約適用事件(ボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ)判決2007年2月26日(1)」『立命館法学』第335号,2011年,436-510頁。
*20:В・О・クリュチェフスキー(八重樫喬任訳)『ロシア史講話』第1巻,恒文社,1979年,37頁。
*21:ただし,日本史やドイツ史の専門家などが,現実の「ボリシェヴィキ」と,彼らと対峙した反共勢力の描き出す「ボリシェヴィキ」像とを区別するために,後者を敢えて「ボルシェヴィキ」と訳す例はあり,それはそれで良いと思う。そちらの方が反共的言説の雰囲気が出ているし。ただソ連史の文脈では,きちんとロシア語で「ボリシェヴィキ」と書いていただきたいものだ。
*22:なお,ベリヤを「ベリア」(13頁)と表記しているのは,誤りとは言えない。彼の苗字は,ロシア語では「ベリヤ」だが,グルジア語では「ベリア」となる。ラヴレンチー・ベリヤ - Wikipedia。
*23:ちなみに,バベロフスキの論説は日本語に翻訳されている。イェルク・バベロフスキ(佐藤公紀監訳)「テロがつくりだす秩序――ナチズムとスターリニズムの比較」『現代史研究』第57号,2011年,99-114頁。
- 199 http://www.hatena.ne.jp/
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