特集ワイド:脈打つ沖縄「独立論」 小学校のすぐ隣…オスプレイの列 無視される抗議、日本に見切りを
毎日新聞 2012年11月01日 東京夕刊
04年に米軍ヘリが校舎に激突した沖縄国際大を訪ねた後、飛行場と隣り合わせにある小学校へ行った。小学生が無邪気に遊ぶ校庭の向こうに、墜落の危険性が高いとされるオスプレイが並んでいる。教員が憤る。
「誰だって、子どもをこういう場所で学ばせるわけにはいかないと思うはずです。いつまでこんな状況が続くのか。悲しいことに、子どもたちは慣らされ、少々の物音には動じなくなっていますが……」。校内には「青い空を返せ」との大見出しを打った地元紙を掲示している。子どもたちはこの学校で、何を思って過ごしているのだろう。
車で30分ほど行った所にある、うるま市の宮森小学校も訪ねた。59年に米戦闘機が墜落して炎上、周辺住民を含む死者17人、重軽傷者210人を出す惨事となった。今も学校は住宅密集地の中にあり、墜落があれば同様の事態を招く恐れがある。
校内にひっそりと立つ「仲よし地蔵」。素朴な方形の塔に紫と白の花が供えられ、犠牲者の霊を慰めていた。比嘉さんは手を合わせた後、「日本政府は、このひどい現実を半世紀以上も放置している。沖縄人の意識に独立志向が脈打つのは当然のことです」と言葉に力を込めた。
比嘉さんとともに沖縄独立を訴える、沖縄靖国参拝違憲訴訟の原告団長を務めた彫刻家、金城実さん(73)の読谷村のアトリエへ行く。壁面には「琉球の独立を!」と大書したビラを張っている。集会で参加者に配っているものだ。
<そろそろ日本に見切りをつけ、独立を目指そう。私たちの頭ごしに日米間で『密約』し、『合意』し、あらゆる沖縄の負担を『誠意ある約束』として、私たちに押しつけようとしている>。ビラの文面に怒りがにじむ。金城さんは「日米政府に抗議を繰り返しても解決にならない。沖縄住民が決断する時です」と大きな声で語った。
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別稿のように、琉球独立論は72年の日本復帰前から沖縄の知識人の間で議論されてきた。だが米占領下の圧政から民主主義国に生まれ変わった日本への期待は大きかった。那覇市の沖縄県立博物館で開催中の復帰40年展を見学すると、復帰運動の写真とともに「日の丸は『抵抗・自由のシンボル』として意識されるようになった」との説明がある。復帰の結末が期待と正反対であることに、本土側は赤面せざるを得ないだろう。
復帰後、独立論は再燃しては下火になる。映画「GAMA 月桃の花」の音楽などで知られる那覇市在住のミュージシャン、海勢頭豊(うみせどゆたか)さん(69)が当時を述懐する。「沖縄戦の教訓は、平和は何より大切だということです。平和憲法を掲げる日本を信じたい気持ちが沖縄にはあったのですね」