特集ワイド:脈打つ沖縄「独立論」 小学校のすぐ隣…オスプレイの列 無視される抗議、日本に見切りを
毎日新聞 2012年11月01日 東京夕刊
「ヤマトンチューは割りばし使い」。沖縄のことわざで、本土の人は使い捨てにするのが常だから長くは付き合えないとの意味だという。日本という国への歴史的な不信感は米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備で、さらに膨れあがった。そして今、沖縄のことは沖縄自らが決めなければとの「独立・自立論」が広がりつつある。【戸田栄】
<沖縄人を人間扱いしていない><日本をあてにすべきではない>−−大田昌秀・元沖縄県知事(87)を、運営する那覇市の沖縄国際平和研究所に訪ねると、最近の地元紙にそんな内容の投書が増えたと指摘した。主婦らの投稿も多く、県民の意識が変わってきたと感じている。
「辺野古では基地建設に反対して、10年以上も地元のお年寄りが座り込みをしている。そこへオスプレイ配備、米兵の女性暴行事件でしょう。投書は怒りに満ちていて怖いくらいです。私は県民が米兵と直接に事を構えることを懸念している。そういう沖縄の現状を、本土の人は理解しようとしていますか?」
研究所1階を沖縄戦の資料館にし、平和が重要と訴え続ける大田元知事だけに表情は硬い。具体的に、県民の意識はどう変わっているのか。「『沖縄に自己決定権を取り戻さなければ』という考えが大きくなっているのです。独立や自立について、まだ県民が広く語り合う状況ではありませんが、そのうねりが押し寄せているのを感じます」
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沖縄県宜野湾市の嘉数高台(かかずたかだい)公園。オスプレイが配備された米軍普天間飛行場が一望できるこの場所へ、同市内で「沖縄独立研究所」を主宰する、比嘉康文(こうぶん)さん(70)が案内してくれた。東京ドーム約103個分という飛行場が、市街地の真ん中をどんと占拠している。
「日本人になろう、なろうとして崖を登るが、途中でいつも谷底へ突き落とされる。それが沖縄の歴史です」と、比嘉さんが飛行場をにらみつけながら語る。比嘉さんは米占領下の沖縄で育ち、琉球政府職員から地元紙記者に転じた。沖縄戦の他、ベトナム帰還兵が在沖米軍基地で日本人男性を射殺した、1972年のベンジャミン事件の報道などに取り組んだ。沖縄の戦後を見据えてきた末の結論だ。
嘉数高台は、米軍が「いまいましい丘」と呼んだほどの沖縄戦の激戦地だったという。比嘉さんが沈痛な面持ちで語る。
「多くの沖縄人が日本兵とともに、ここで戦って亡くなりました。その場所から見える光景が基地。沖縄の現在を象徴してはいませんか」