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国の原子力政策の基本を決めてきた原子力委員会の見直し作業が始まった。学者を中心とした有識者会議が年内に結論をまとめる。半世紀にわたり原発推進の中心[記事全文]
会計検査院の決算検査報告は、官僚機構の病と、それを見すごし、むしろ一緒になって権益の保持を図ってきた政治の貧困を映しだす。たとえばこんな具合だ。高[記事全文]
国の原子力政策の基本を決めてきた原子力委員会の見直し作業が始まった。
学者を中心とした有識者会議が年内に結論をまとめる。
半世紀にわたり原発推進の中心となってきた組織だ。日本が脱原発を進めていくうえで、原子力委は廃止すべきだという意見もある。
ただ、原子力委は核不拡散も重要な任務としてきた。全廃して、経済産業省や外務省といった関係省庁だけに委ねると、ときの政治状況や役所の思惑に左右されかねない。
原子力規制委員会に統合するアイデアもあるが、規制委は核テロ対策を含む原発の安全性や事故対応に特化している。
ここは、脱原発という方針のもと、広い視野に立って意見を述べる第三者機関として、つくり直すべきではないか。
新組織が担うべきもっとも重要な課題は、プルトニウムの管理と使用済み核燃料の新たな処分策の検討だ。
野田政権は、脱原発を掲げながら使用済み燃料の再処理を続けるとしたため、米国の不信をかった。使用済み燃料から取り出したプルトニウムを利用する先がなくなるのに、どう処分しようと考えているのか、十分に説明できなかったためだ。
日本は、脱原発を進めつつ、核不拡散にはこれまで以上に協力し、責任を果たしていくことを、国際社会に示さなければならない。
それには、再処理―核燃料サイクル事業から撤退する道筋を早く描く必要がある。
新組織は、プルトニウムや放射性廃棄物の処分方法について選択肢や手順を示し、関連する技術や人材の確保でも対策を講じるべきだ。
国際原子力機関(IAEA)との連携や、日米原子力協定の改定作業にも関わる。新組織のなかに、外国の専門家による助言組織を常設すれば、「日本への期待」をより反映する国際性の高い組織になる。
問題は、透明性を確保しながら中立的で専門的な主張ができる運営態勢をどうつくるかだ。
原子力委にも首相への勧告権があるが、1956年の発足以来、一度も発動されていない。なにより電力会社や原子炉メーカーへの依存度が高く、「原子力ムラ」に偏重した運営のあり方が問題になっていた。
必要なデータや情報を官庁や事業者から自由に集められる権限をもたせる。事務局に専門性の高い職員を配置する。実効性ある組織づくりに向け、議論を重ねてもらいたい。
会計検査院の決算検査報告は、官僚機構の病と、それを見すごし、むしろ一緒になって権益の保持を図ってきた政治の貧困を映しだす。
たとえばこんな具合だ。
高速増殖原型炉もんじゅにこれまで投じられた費用は、公表額より700億円以上多い9980億円と認定された。
日本原子力研究開発機構が人件費や固定資産税を計上せず、実際より小さく見せていたためだ。エネルギー政策が多くのごまかしのうえに成りたつ現実が、また明らかになった。
防衛装備品をめぐっては、防衛省の監査が企業とのなれ合いになっている様子や、カタログの値段の何倍もの金額で取引している例などが報告された。
この分野は業者が限られ、競争によるチェックが働かない。だからこそ精査が求められるのに、実態はその逆で、癒着の構造は変わっていない。
公共事業の効果をよく見せるために、便益を過大に見積もる背信行為も、ひきつづき複数の省庁で見つかった。
多岐にわたる指摘を予算編成や国会審議にいかし、おかしな制度や運用を着実に、かつスピード感をもって改めていかなければならない。
こんな税金の使い方をしていたら、早晩、国は立ちゆかなくなる――。そうした危機感をもって是正するのが、政と官の使命ではないのか。
一方で、検査結果があらぬ方向に利用されないよう、気をつけなければならない。
生活保護をうけている人が資格をとるのを助けるため国費を投じたが、約3千人が仕事に就いていないとの報告があった。
1億円余がむだになったと読めなくもない。だが問題にすべきは就労支援の薄さで、事業の縮小が解決の道ではない。生活保護たたきの風潮のなか、判断を誤らないようにしたい。
震災からの復興事業や、原発事故にともなう損害賠償のあり方にも、来年から本格的な検査のメスが入る。正確さや効率を追求するのはもちろんだが、なにより「本当に被災者のためになっているか」という視点からの監視を望みたい。
最近は、検査院と各省庁とが見解をぶつけ合い、対立する場面もよく見られる。そのこと自体、決して悪いことではない。
事前に話をつけて落着点を探るやり方では、問題が見えなくなる恐れがある。公の場で議論することで、税や政策を考える材料が国民の前に提供される。それは、民主主義を鍛え、強くすることにつながるだろう。