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2012年3月7日水曜日

5章 甲状腺がんとその他の甲状腺疾患

                                               
5.1チェルノブイリ地域


大事故の2周年追悼日にプラウダ(旧ソビエト共産党中央機関紙)で旧ソビエト保健省のE.チャソウは述べた。「本日、チェルノブイリ原発事故は被害地域住民の健康にはなんら影響しなかったと確信する」。

L.A.イリイ-ン教授らは事故3年後の19893月になって初めてモスクワで、地域汚染状況とそこから予想される健康被害について報告した135)。彼らの予測は次のとおりである。「9か所の高度汚染地域内の39地域に158000人(0~7歳)の小児が住んでおり、このうち90人が今後30年間に甲状腺がんを発症するであろう」。


この予測はそのあとの実情と比べるといかに現実離れしたものかがわかる。しかし今もなお彼は、放射能問題に決定権を有する国際機関(ICRPUNSCEAR)のロシア代表であり、チェルノブイリ健康被害の専門家の一人と考えられている。


19901月、ミュンヘン放射線生物学研究所所長のA.M.ケレラ-は、“赤十字社への報告(136)”を著した136)。その中で彼は述べている。『特に問題となるのは甲状腺機能障害に対する恐怖である。[中略] 現在、甲状腺機能検査がより広く行われるようになり、はるかに多くの機能異常が発見されており、放射線が原因といわれている。しかし、実際は、放射性ヨウ素で大量に被ばくしても病理的変化や機能異常は起きないと予測される。 [中略] 医療従事者と多くの医療機関は病気が増えたのは放射線に原因であるとしている。しかし、これは間違いで、状況を詳細に分析すると、この増加は次の3つの要因に帰するという結論に達した。 
1.生活状況が変化し栄養状態が悪化したため

2.極度の精神的不安状態に陥ったため
3.汚染地域で頻回かつ集中的に医学調査を行い、余分な疾病報告をしたため』 


チェルノブイリ事故の4年後、東ドイツの原子力安全と放射能防護室の放射線科医長であったD.アムトはS.プフルークバイルにあてて次のようにつづっている。「チェルノブイリ周辺の問題は放射線生物学的なものではなく、生活習慣の変化(ビタミン欠乏や生活区域の制限)による心身症的な気質によるものである」137)

この種の無知な専門家の見解がタイムリ-かつ効果的な医学的介入を妨げた;そして、ついにはチェルノブイリ周辺住民は散歩や野菜の摂取が十分でなかったのではないかと自らを責めるほかはなかった。

                           
旧ソ連外では、1990年秋にベルリンで、チェルノブイリ事故以降の甲状腺疾患の実情が初めて詳細に発表された138)。 ミンスクの医師マリア・アンクドヴィッチは放射線被ばくが甲状腺がんを引き起こすのみならず、それより多い頻度で甲状腺腫大や種々の自己免疫性甲状腺炎や甲状腺機能低下症をもたらすと報告した。甲状腺に被ばくした子どもではホルモンの分泌状態が変化するために、小児・思春期の子どもたちの機能障害や発達障害のリスクが増大している。神経内分泌制御が障害されると、下垂体や副腎皮質、膵臓、乳房、卵巣などの臓器でがんが増加する可能性もある。

彼女の報告によると、ベラル-シ南部の小児の約5%10グレイを超える放射線被ばくを受け、非管理地域の約20%の小児が1グレイの被ばくを受けた。特に注目すべきはベラル-シ出身の小児での甲状腺がんの増加である。甲状腺がんは通常老人に起こり、小児においては極めてまれな疾患である。1986年以前は、ベラル-シで年間新たに発症する頻度は0~2例だったが、1989年までに7例、1990年秋までに22例に上った。この時点で、過去の経験からみても、より重大で急速な雪崩的増加が近づきつつあることはすでに明白であった。この勇敢な医師の誠実な行動は彼女のその後のキャリアを著しく傷つけた(訳注:出世できなかった、あるいは左遷された)。


IAEA1991年の春に国際チェルノブイリ・プロジェクトの調査結果を報告した。この大規模な調査報告には、「検査を受けた小児[中略]は概して健康であった」と書かれている。また、「事故後、白血病や甲状腺がんが明らかに増加したというデ-タはない」とも述べられている139)。

ベラル-シの甲状腺がん症例のデ-タはすべて一か所にまとめられているため、電話一本で実際の数字を知ることが可能であったはずである。今日私たちがわかっていることは、


  チェルノブイリ地域の子どもから採取された組織標本は、アメリカのF.A.メットラ-教授(このプロジェクトを主導した科学者の一人)のデスクにあり、彼は報告書に書かれた内容が事実とは異なっていることを知っている140)。

  チェルノブイリ・プロジェクトに関わった科学者たちはベラル-シ保健省から出された一つの報告書を所持していた。この文書は、ホメリ(ゴメリ)の高濃度汚染地域の子どもたちのあいだで甲状腺疾患が有意に増加しており、このことに対してはっきりと注意を促したものであった141)。しかし、この報告は無視された。


19951120日~23日、WHOはジュネ-ブ(スイス)で国際会議を開催し、チェルノブイリ原発事故(および他の核関連施設での事故も含む)の健康被害について討論した。この会議で甲状腺疾患の研究結果が報告され、甲状腺がんの頻度が特に高度汚染地域の子どもで急激に増加しており、そのスピ-ドは予想をはるかに超えていた142)

WHOの専門家であるキ-ス・バヴェルストックによれば、事故からがんが増加するまでの時間が「驚くほど短かった」。しかも、発症したベラル-シの子どもたちではがんの増殖スピ-ドが予測以上に速く、そして全身に転移した143)

小児甲状腺がんがもっとも多く発生したのはホメリ地域であった。ここはチェルノブイリ事故でもっとも被害を受けた場所である。ベラル-シで甲状腺がんになった子どもの約50%はこの地域に集中していた。成人で最初に甲状腺がんが増えはじめたのもこの地域だった。同地域に住む0~18才の子どもで、1998年の1年間に新たに発症した患者数を調査したところ、13年前(チェルノブイリ事故以前)の58倍に達していた144)145)


       図3.ベラルーシにおける甲状腺がんの患者数」(1985年~2004年) 158)

甲状腺がんを発症した大多数の子どもは事故当時6才未満で、更にその半数以上は4才未満であった。ベラル-シでは0~14才の小児甲状腺がんの発症率は1995年がピ-クであった(図3)。小児甲状腺がんの増殖スピ-ドが速く他の臓器、特に肺への転移をきたしやすいことが明らかになった。このことは事故後早い時期に判明した。こうした症例はほとんどが甲状腺乳頭がんであった。

チェルノブイリの想像を超えた大惨事でウクライナでも甲状腺がんが増加した。事故後、11万人の子ども、4万人の成人の甲状腺から高濃度の放射性ヨ-ドが検出されたため、がん登録制度が設立された。1993年には418名の小児甲状腺がん患者が登録された。地域ごとの情報を照合すると、放射性ヨ-ド汚染との相関が明らかとなった146)


M.フジ-クらは、ベラル-シ、ウクライナ、ロシアの3カ国にまたがり広範囲に甲状腺がんを調査した147)。この報告は3カ国のがん登録制度をもとになされた。これらのデ-タから、事故当時幼児であった人々でがん発病率がもっとも高いことも明らかになった。事故以前(1982年~1986)に出生した子ども、および事故の時に出生あるいは2~3才の幼児であった子どもでは事故後(1987年~1991)に出生した子より甲状腺がんを発症する確率が高いことがわかった。

子どもで高い発病率を示したということは、乳幼児期は甲状腺の放射性ヨ-ドの発がん作用に対する感受性が高いことを強く示唆している。ベラル-シの子どもで甲状腺がんの悪性度が高いことは、その転移の速さから明らかである。TNM分類でステ-ジpT1(訳注:悪性腫瘍の病期分類に用いられる指標の1に分類される初期のがん-甲状腺の片葉のみに直径10mm以下の結節が1個-であっても、その43%が所属リンパ節に転移し、3%が他臓器へ転移した148)



Cs137の汚染マップ(1989年12月)


フジ-クらの報告によれば、ベラル-シ、ウクライナ、ロシア3カ国の12地域(下記)のほぼすべてがチェルノブイリ事故の影響を受け、0~14才の子どもでは事故後4~5年程度で甲状腺がんが有意に増加した149)。この12地域は、ウクライナのヴィ-ンヌィツャ, ジト-ムィル, チェルカ-スィ, チェルニ-ヒフ, キエフおよびキエフ市、ベラル-シのホメリ(ゴメリ)、マヒリョウ , ロシアのブリャンスク、クルスク、オリョ-ル、トゥ-ラである。もっとも増加率の高かったのはホメリ地域で、ブリャンスク、オリョ-ル、キエフ市、キエフ、チェルニ-ヒフ、マヒリョウ、ジト-ムィルの順に続く。
   
ミンスク保健省ヴァシリ・カザコフによれば、1992年にはベラル-シで小児甲状腺がんの発症率が世界平均よりも80倍も高くなったという150)。レングフェルダ-らによれば、2001年末までに、ベラル-シの子どもおよび青年だけですでに1,000例以上の甲状腺がんが確認されている151)2004年にオケアノフらが発表した論文には、ベラル-シで小児甲状腺がんの発症率は100倍に上昇したと述べられている152)

オケアノフらは成人でもまた、甲状腺がんの発症率が上昇したと指摘している。チェルノブイリ事故以前には、ベラル-シの成人では甲状腺がんは比較的まれな疾患であった。1990年-チェルノブイリ事故の4年後-から、甲状腺がんはいちじるしく増加し、世界でこれまでに観察されたもっとも高い発症率を記録した。1980年までの30年間で、成人甲状腺がんの年間発症率は10万人あたり1.24人であったが、1990年には1.96人、2000年には5.67人まで上昇した153)。パヴェル・ベスパルチェク (2007)は、原発事故の後ベラル-シだけで12,000人以上の人々が甲状腺がんを発症したと計算している154)


レングフェルダ-らは次のように指摘している。1986年に放射性ヨ-ドに被ばくした子どもは、時が経て思春期、そして成人期へと移行していく。すなわち、発がんのリスク-生涯消すことのできない-を抱えたまま、成人の群へ移行するということである。しかし、原発事故当時すでに成人であった群においても、発がんリスクの急激な上昇が認められている。実際、チェルノブイリ以降(1986年~1998)50~64才の群では甲状腺がん発症率はそれ以前(1973年1985)と比較して5倍に上昇している。64才以上の群であっても2.6倍も上昇している(5)。



5.チェルノブイリ事故前13年間と事故後13年間の甲状腺がんの比較:
   ホメリ地域(ベラル-シ)155)


年齢
1973年~1985年(事故前)
1986年~1998年(事故後)
増加倍率
018
7
407
58
1934
40
211
5.3
3549
54
326
6
5064
63
314
5
64
56
146
2.6
















ベラル-シだけで、2,000年までに成人甲状腺がんが累計3,000人以上も過剰発生している156)。ベラル-シにおける甲状腺がんの過剰発生は、チェルノブイリ事故以後、子ども、青年、成人全体で1万人以上となっている157)

放射線と甲状腺に関する国際シンポジウム(主催:欧州委員会、米国エネルギ-省、米国保健省の国立がん研究所)が19987月米国マサチュ-セッツ州ケンブリッジで開催された。


このシンポジウムでWHOの代表者はこれまでに発生した小児甲状腺がんの進行状況から、一つの予測を明らかにした。それは、原子炉の災害を受けたホメリ地域において、04歳の小児のおよそ三分の一がいずれ甲状腺がんを発症するだろうという予測である159)。その予測によれば、ホメリ地域のみで、大惨事が起きた当時04歳だった子どもたちの50,000人以上が甲状腺がんを発症することを意味している。もしこの予測を事故当時ホメリ地域に住んでいたすべての年代の人々(青少年や大人を含む)に当てはめるならば、甲状腺がんの被害は100,000人以上にも上るであろう160)

ホメリ地域において治療を受けている患者数もまた、この地域での甲状腺がんの広がりを印象づけている。レングフェルダ-らによれば、ホメリの甲状腺疾患センタ-では2002年までにすでに70,000名以上もの患者が甲状腺がんの積極的治療を受けている161)



5.2 ドイツ
ヘッセン州中部のディレンブルクにある医療、栄養、獣医学の国家検査機関の調査によれば、ヘッセン連邦政府の定期の早期診断検査(訳注:マススクリ-ニング)結果から、1986年のチェルノブイリの事故の後に、新生児の甲状腺機能低下症の発症率が増加していることがわかった162)。同年、ベルリンでも甲状腺疾患が増加しているとの報告があり、14名の小児が出生時に甲状腺機能低下を伴っていた。前年までの年平均は、わずか3人から4人、多くても7人であった。これは“KAVH”ベルリン自由大学の小児科が19877月に放射線テレックスジャ-ナルに報告したものである163)。なお、ドイツ全体では、甲状腺疾患に関する大規模調査を実施するために必要なデ-タは現時点では提供されていない。



5.3 他の国々

ミュンヘン大学放射線生物学研究所、ピルゼンのチェコNGO、チェコ共和国、ノイヘルベルグにある環境と健康のためのGSFリサ-チの合同調査で、チェコ共和国において成人の甲状腺がん患者が増えていると報告された164)。東ドイツやバイエルンと同様にチェコにおいてもチェルノブイリ放射性降下物の被害を受けていた。ドイツとは違い、チェコでは成人のがん患者の登録制度があるため、この研究は特に大規模に長期にわたって(全体で247万人)解析されている。


それによれば1975年以降、男女問わず甲状腺がんの発症率の増加傾向があった。しかしながら、チェルノブイリ事故後の1990年には、男女両方で甲状腺がんの発症割合が年間2.0%から4.6%とあきらかに増加した(95%信頼区間:1.24.1p=0.0003)。そして、1989年の早い段階から女性の方が男性よりも発症率が高かった(p=0.0005)。すべてまとめると、チェルノブイリ事故後の甲状腺がんはチェコだけで426症例もの過剰発症がみられた(95%信頼区間:187688)。事故から病気の大発生までの潜伏期間はわずか4年であったとのことがわかり、この年数に関してはチェルノブイリ周辺地域と同様であった。

また、ポ-ランド165)、北イングランド166)でも青少年や成人のあいだで、甲状腺がんの発症率が増えていることがわかった。

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