純粋な"力"の塊だった。

千年の年月を経た鱗。

歴史を見つめた瞳。

吐息は岩を溶かし、翼は万里を駆ける。

何よりその爪は破壊の象徴。


ドラゴンである。










特徴的な爪と、紅の鱗からして<クリムゾーン>という種族に違いない。

人界においては<赤き災厄>と呼ばれ、一頭で国を脅かす事も造作無くやってのける者だ。


 しかし、その<赤き災厄>が、一人の女性の前で動けずにいた。

輝くほどの金髪から顔を出す耳は尖り、左右違う色の虹彩の中央には、獣のように瞳孔が細長く開いている。

おそらく、魔族なのであろう。

その身体は随分と大柄で、且つこれ以上無いほどに豊満だった。

しかも、その長躯を護るのは革のバンテージのみであり、乳房などは今にも零れてしまいそうだ。

竜への供物だろうか?


勿論、否。
彼女の持つ強烈無比な闘気とその闘気を結晶化させた様な大振りの剣がそれを否定する。

やがて、じりじりと互いに回り込み合う様に動き始める。

戦闘は開始された。













探り合うように回転の方向を何度か変え、沈黙の時間が絡みつく様に時間の感覚を奪ってゆく。

しかし、ほんの小さな石がクリムゾーンの足に当たり、

彼がそれに刹那気を奪われた瞬間に女戦士は流星の如く斬り掛かっていった。

予想をはるかに超える反応速度に竜は仰天するが、表に出すわけにもいかない。

翼を駆使して飛び退り、彼女が剣の制動に気をとられている内にそのまま空へ浮き上がる。

炎を出すのか歯をカチカチと鳴らしたかと思うと、虚空に三つの火球が生まれ出た。

炎の魔術、フレイムボルトの待機状態だ。

人間と違い呼吸する様に魔術を遣う竜族であっても、この様な癖は存在するようだ。

ねじれる様に炎は棒状に形を変え、女戦士に向かって飛翔した。

一本目はかわされ、地面に刺さった途端小さく火柱を上げる。

二本目は逆方向へ向かい、元の位置に戻る事を強要された。

しかし、一本目の引き起こした火柱のせいで挟まれた格好となり、

それを待っていたとばかりに三本目が襲い掛かった。

竜の魔力から考えて、当たれば只ではすまないだろうに、彼女は全く慌てる様子はない。

「ディスペル」ハスキーな声で初めて短く唱え、掌に魔法無効化領域を一時的に現出させる。

楕円球状の領域に触れたそばから矢は火のマナへと分解され、粉塵の如く空気に散逸していった。

掌底を突き込み、矢を消し去った女戦士は、こっちの番とばかりに剣を構え直して竜を振り仰いだ。

しかし、いない。

動物的直感で更に上を仰ぐ。

直感は的中し、そこに居たのは口に炎を溜めたドラゴンだった。

チャージが終わったのか、その中心部が一際輝いたかと思うと、微かに首を竦め、果たして火炎は放たれた。

避けても、拡がる炎から逃げられそうには無い。

今度こそこれまでかと思われた。

その時。

彼女は胸のバンテージを取り去り、鞭宜しく左手に携えた。

美しい乳房が惜しげもなく晒されるが、それに竜が反応するとも思われない。

炎が迫る。

何をする気か、彼女はその革紐を大きく振りかぶり、

「ハァッ!」気合と共に薙ぎ払い、炎を打ち払ってしまった。

「好し」と、薄く笑う女とは対照的に、勝利を確信していた竜は信じられない技を目の当たりにして、

しばしの呆然の後にその革紐の材質を思い当たることになる。

(我等の種族の革か!!)

しかも、焼跡一つつかないとなれば、彼よりも随分上級の竜の革と推測できる。

この女戦士が単独で倒したとは限らないが、倒した可能性を否定する材料もない。

逃げなければ。

知能が高くとも野生生物である彼は、本能に従い逃げようと羽ばたく。

が、「萎えよ!」その一喝で彼の翼は力を無くし、敢無く地に叩き付けられてしまった。

「これだけ念じて、翼だけか。

まあ距離もあったから妥当…か」

そう呟いて彼女は竜に近づいていった。

翼の付け根に無造作に手を当てると、みるみる力が抜けていく。

「グギァ、ガァァァッ!」

驚きながらも咄嗟に爪を振るい、女戦士を退かせる。

(知っている、知っているぞ、この技!)

「あら、楽に死ねたのに」

まだ戦える。戦う。

そう主張するように竜は女戦士と対峙した。

(この技は、夢魔……!!!)










本来であれば露払いにもしたくない様な、薄汚く、矮小で、姑息な種族。

そう認識する者に追い詰められている、現在の状況。

自然、彼の顔は険しい物となっていた。

「やっと戦う顔になったじゃない。

すましてちゃ、倒しがいが無いものね」

「グオォォォォォォ!!」

猛り吼えるが、しかし、さっきの吸精<ドレイン>で機能が完璧に失われた様で、

翼はへたりと体にまとわりつくだけになっている。

(許さん、許さんぞ…!!

夢魔の様な者に、竜が負けるわけにはいかぬ!!)

堅く牙を食い縛り、女戦士に飛び掛るが、

今まで無意識に翼を使って移動補助をしていた性か、意図したよりも動きが小さい。

女戦士は見切り、紙一重で避けると同時に拳を叩きこむ。

(予想以上に動けぬものだな)

今度はぎりぎり打点をずらし、

"死んだ部分"は前足の付け根の一部だけに留まったが、やはり多少動き辛さが増している。

(触れるだけでも吸い取られるか。しかし。)

打突の反動で飛び退る女戦士に向けて無理やり踏み込んだ。

無理な姿勢がたたって庇った足が悲鳴を上げるが、前足で蹴り付ける。

「グガ…ガァァァ!!」

一撃目は避けられ、二撃目は剣で捌かれた。

しかし、二撃目の衝撃で一瞬痺れたところを見逃さず、すかさず次の頭突きを繰り出した。

見事、命中。夢魔の戦士は吹き飛ばされてしまった。

しかし、手ごたえが浅いので致命打には繋がらない。

女戦士は痛みの表情を顔に刻むものの、上手い具合に着地し、吹き飛ばされた衝撃を殺す。

が、竜は既に動き始めており、追撃の踏み付けが迫る。

「ちぃっ!」

地を揺らすそれを再度横跳びにかわし、

(お行儀が悪くなったとたんに強いわね)と内心で毒づいた。

彼女の体に汗が伝う。

素早く竜革のバンデージを巻きつけ、剣を棄てた。

「ほら、来い来い」もう剣は使わず、吸精でカタをつけるつもりだろうか、

ファイティングポーズをとって挑発する。

言われずとも、とばかりに突進してくる竜をかわそうと横に飛ぶが、

彼は片足で急制動を掛けて体を回転させ、硬鞭の様に尻尾を振るった。

これはマズイ、と内語しながらも、すんでの所で仰け反ってかわす。

しかし、再び現れた竜の頭が彼女を襲った。

バチン、と、弾ける様に吹き飛ばされてしまった。

地面を二度ほど跳ね、ぐったりと転がる。

(よし…、よし!よしよしよし!)

竜は内心でストレートに歓喜する。

止めを刺そうと足を引きずりながら近づくと、女戦士は力なく横たわっていた。

(手こずらせおって)内心で毒づきつつ、前足を高く上げた。

「はい、アウト」

これまでにないほど強烈なドレインが彼の体を襲った。

いや、一瞬だけで体の自由は戻ったことから、今までとは異なる魔法だろうか?

何にせよ、先ほどのあの様子は巧妙な演技だったようだ。

彼女は体勢を立て直し、神速で竜の後ろに回りこんだ。

まんまと騙された事が口惜しい。

尻尾で払おうとするが、彼女は冷静にドレインを尻尾に叩き込み、

だらりと垂れ下がる尻尾を捕まえると、力任せに放り投げる。

焦燥に駆られた竜は、翼が動かなくなったことを忘れてしまっていた。

受身もとれず、仰向けに地に叩きつけられる。

巨大な体躯は、この場合はよりダメージを増大させる原因となっていた。

そして、彼女は再びすばやく近づき、首、右肩、左肩、腹、とテンポよく拳を叩き込み、

その真ん中に掌を重ねると、四点がリンクしたかの様に首より下の上半身が全て不能になり、

やがて心臓もその機能を止めた。

彼女の、完全勝利だ。

すると「仕留めたわね」と、後ろから、女性が話しかけてきた。

女戦士と同じように、肌も露な竜革の鎧を装備し大剣を装備していることから仲間とみえる。

「さ、爪を取りなさい」

と言って短刀を差し出し、渡し際に「さすがね」と賞賛の言葉を紡ぐ。

「ありがとう、結構強い奴だったし、いいモノにしあげなきゃ」

そう微笑んで応える彼女の頭には、その爪で作ったと思しき髪飾りが着けられていた。

「ああ、きつかった」とショーツの後部から飛び出したのは尻尾。

クリムゾーンはサキュバスとしか見抜いていなかったが、

彼女達は、それとは別次元の存在といって問題はない。

 
竜を屠り、竜を敬い、竜の爪を頭に戴く者。

サキュバスでありながら、長い闘争の中で夜でなくともドレインの技を履行できるようになった種族。

それが彼女ら、クロウヘッドと呼ばれる者たちである。









「一のねね様、二のねね様ぁ」

その声に二のねね様と呼ばれた彼女が振り向くと、同様の姿をした女性、あるいは少女が集まっている。

しかし、その髪飾りはこの二人と比べると随分と小さい。

何となく、期待する目をしている。

もちろん、彼女らの意味するところは分かっている。

「ああ、あなた達も欲しければあげるわよ。

一番大きなのを一対残せば、他はいいわ。」

やったあ、やったあ、と少女らがはしゃぐ。

「皆で狩ったのだから、ね。」





今度こそにこりと笑い、その代わり荷物もちよ、と悪戯っぽく言うと、

少しばかり不満げなえぇーという声が響き、竜の運搬にかかった。

周囲に散乱していた、多くの竜の骸が尻尾で以って引きずられていった。

「優しいのね、シルク」

重いぃぃぃと悲鳴を上げる沢山の妹たちを尻目に、

一のねね様ことビハリスは、妹にそう言った。

戦闘の興奮も治まり、二人の口調は随分柔らかくなっている。

「お姉ちゃん、その名前で呼ばないでよ、

私はもうダルガッハ・エルトリックよ」

唯一自らの幼名を呼ぶ姉に抗議しながら、少しばかり頬を染める。

「私にとってはいつまでもシルクはシルクよ」

と言うか、正直可愛くないのよ、

という理由で未だにダルガッハと呼ぼうとしないのは彼女だけの秘密である。

「もぉ、ミルク姉さんったら」

と対抗して呼んでみるが、微塵も反応しない。

魂の名に近いから、と言うだけでなく、

彼女らの社会では単純に幼名を呼ぶのは軽んじている事に当たるのだが、

まったくビハリス…ミルクはそんな事を気にする様子はない。

むしろ、嬉しそう。

理由は言わずもがなである。

シルクは、やれやれと嘆息し、空を仰ぐと、夕日は早くも退場し、夜の帳を下ろしつつあった。

「日が短くなったわね」

「あら、もうそんな季節なのね」

ミルクは迫る行事に思いを巡らせ始め、

「ねね様〜限界〜」

そんな切迫した声に、シルクは妹達を手伝ってやりに駆けていった。

なんとものどかな光景であった。

そして、村へ帰って祝いの宴を開き、今位しか食べられない竜の生き肝を堪能し、

勝利の美酒をイッキさせられ、酔い覚ましに皆で水浴びして、

ようやく一息つくと、もうすっかり深夜の時刻に達していた。

やはり、幾分気分というか心地がいい。

精神が、開放される。

このノリで、と、いよいよ爪を髪飾りに加工するさぎょうに取り掛かった。

大剣を振り回し、単独で竜に勝つ彼女だが、意外なほど手先は器用だ。

あるがままの形を残したいと考えて何も小細工は加えず、

髪に固定するための金具を取り付け、表面を保護するために特性の樹脂を塗った。

このままではぴかぴかすぎて逆に格好悪いので、

再び違う薬液で以って樹皮を酸化させてわざと色むらを描き出した。

後は、髪に付けるだけだ。

なんとなく全身合わせて具合を見ようと思い立ち、両手にそれを持って姿見の所まで向かった。

星の光が彼女を照らす。

地上で言えば星月夜と言ったところだろうか、そもそも月はないのだが。

外に面した姿見に身を写し、おもむろに爪の髪飾りを髪に挿し、金具を留めた。

「うん、良い。良いし、立派。」

他人には今一つ分かり難い口調だが、それだけ気に入った証拠だ。

様々な角度で髪飾りと頭の具合を確かめ、今までの中では間違いなく最高のものであることを確認した。

その時。

「ん?」

鏡の表面が波打ったように見えた。

「何だろう」顔を近づけた瞬間、吸い込まれるように鏡によろめき、

ぶつかる事無く鏡にもぐりこんでいった。

「ええ、えええ!?」

逃げ出ようと足掻くが、そもそも踏ん張り場所が分からない。

やがて、全身中に飲み込まれ、トプンと小さく波紋を立てて見えなくなってしまった。

宴に疲れた一人の姉と多くの妹は、ただいま夢の中だった。






>>続く



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