You
wii be …
第2話
―極々普通の少年。
それがシンジに対する初対面の印象。同じ年頃の男の子と接する機会など無かったから良く分かんない。特に目立つタイプじゃないのは確かよね。なのに意外とはっきり物を言うの。私に。それにミサトにもね。ちょっと驚いたわ。普通の女の子として私を見てくれる人って、加持さんだけだったから。
司令の息子ってダケでパイロットに選出された、云わば親の七光り。そう思ってたの。でもちょっと違うみたい。シンジはエヴァに乗る事に対して消極的。なんで? 選ばれた人間なのよ? 経緯はともかくさ。
オモシロクナイ。ううん、寧ろ不愉快だと感じていた。でも、落ち着いて目を閉じて周囲の物事を感じ取ってみる…そうすると色々な事が見えてくるから。
シンジは父親と上手くいっていない。それは私の目にも明らかよ…ぼんやり考えていたコト。ミサトと話をした時にそう確信したの。
―私に似ている。
シンジのお父さんは生きている。私のママはこの世にはいない。けれど、側にいるのに冷淡な態度を取られる…私はママを失ってる…比べても意味が無いし、答えはでない。だけど、どういう気持ちなんだろう? 実の親に優しくされないというのは。
「ねえ、ミサト。シンジって碇司令の実の息子よね?」
「そうだけど、今更なんで?」
「じゃあさ、なんでシンジはここに住んでるの? 親がいるなら一緒に住むんじゃないの? 普通」
リビングのテーブルの向かい側で溜まっていた新聞を読んでいたミサト。彼女は顔を上げてアスカの方に向き直る。真剣に話を聞こうとする態度だ。それが少し嬉しい。
「それぞれ事情ってモンがあるのよね。んー私からあまり詳しく話すのもちょっち、アレだけどさ」
目線を横に逸らせ、何か思案している様子のミサト。彼女にしては珍しい態度。だからミサトに視線をぶつけたまま答えを待つ。
「四年ぶり」
「…なにが?」
「司令とシンジ君が会ったのって」
ここに来るまでシンジは親戚の家に預けられていた事。それはアスカの耳にも入っていた。誰から聞いたのか忘れたけれど。噂を聞きかじっただけだったかもしれない。
「私から言えるのはここまで。ま、察してあげて」
複雑な表情。ミサトは寂しそうで、それでいて何かに想いを這わせている…誰かとシンジを重ねている。そんな感じ。これ以上話を続ける気にはなれない。触れてはいけない部分…ミサトの。そしてシンジの。そう感じてアスカは黙って自室に戻った。
(憂鬱…だわ)
見知らぬ男の子と会う約束をしてしまった。同じクラスの友人、洞木ヒカリ―彼女はシンジや加持とは別の意味で極普通のクラスメートとしてアスカを扱う。もしかしたら、クラス委員長として転校生…しかも海外からの。そんなアスカに対する気遣いで、仲良くしてくれているのかもしれない。それでも、時には厳しく、そしていつも朗らかな雰囲気を纏っているヒカリ。嫌いになれる筈もなくて。
そんなヒカリに懇願された。彼女の姉の同級生だとかいう男の子が自分に会いたがっている…そういう話。
「ごめん、アスカ」
彼女は申し訳なさそうに自分の前で顔の前に両手を合わせ、目を閉じる。
「無理にとは言わないけれど…」
チラっと薄目を開けて自分を恐る恐る見るヒカリ。その仕草に彼女の気遣いを感じて、思わず首を縦に振ってしまった。
「ホント? ごめんね。その、アスカこういうの苦手だよね…」
得意ではない。それに話した事も、会った事もない人間と云わばデート…そんな風に出掛けるのは。
でも、ヒカリの困った表情を見ているとなんだか断れなくて。こんな風に頼み事をする彼女も初めてだった。
「行くだけなら、良いわよ」
「変な人ではないのは保証する。でも、会って話が合わなかったらそれはそれで良いからね」
「あー、うん…」
ヒカリは無理強いするタイプではない。そんな彼女が持ち掛けてきた話。姉妹関係は兄弟のいないアスカには分からないが、ヒカリもたぶん、姉に懇願されたのだろう。なら、いつも一緒にいてくれる心優しき友人。彼女の願い事の1つくらい、叶えてあげたくもなる。
「ありがとう、アスカ」
こんな感じの経緯で、明日はその男の子と会う事になった。でも、その日が近付くにつれ、憂鬱にっていったのは事実だ…それは。
シンジ。彼がこの事を知ったらどう思うだろう? どんな反応をするのだろう…。
気付くと目で追っていた。自分に対して結構な物言いをするヤツ。そんな彼を気にし始めたのはいつだったか覚えていない。近くにいる男子を意識する。小中学生なら良くある事。隣の席の子を好きになってしまう…そういう感じ。
(…好き?)
自分の考えに反応してしまう。アスカはグタグタと寝転んでいたベッドの上で、思わず強く枕に抱き付く。
―自分が? シンジを?
近くにいる男の子。
同じクラスの男の子。
一緒にエヴァに乗る男の子…云わば同僚。
身近な存在。そういった男子に心惹かれる…そんな陳腐で安っぽい行為。自分がそんな安易な心理操作の罠に堕ちる…ありえない。
アリエナイ…そう思っていたのに。
なのに見事引っ掛かった…。
(どうしよう…)
悶々とした眠れない夜。明け方にやっと眠りにつけたのは良いけれど、溜め息だらけの今日が始まってしまう。寝不足で重い体を引きずるようにアスカは洗面所へ向かった。
「どうだった? 映画」
「え? あ、うん…」
…どんな内容だっけ?
目の前にあるアイスティーに慌てて口を付ける。氷が溶けかけた、薄い味のアールグレイ。
「あまり好みじゃ無かったかな?」
向かい側の席に座る男の子は困ったようにアスカを見て、少し寂しそうに笑う。
(悪かったな…)
断るべきだった。まるで相手の事が目に入らない。悪い人ではなさそう。寧ろ、アスカと会えて嬉しい…そういった態度を崩す事なく、惜しげなく前面に表している。それが逆に申し訳なくなる。
今朝の事…シンジにこの男の子と出掛ける事を言った。その時のシンジ。それが頭から離れない。映画を観ていた最中も、今も。
「何処か行くの? アスカ」
玄関先でシンジに見付かりドキッとした。
「ま、まあね」
「洞木さんと?」
何でもない事のように言うシンジ。それが少し癪に触る。
(こっちはアンタの事で寝不足なのに)
ちょっとした意地悪心。男の子と約束してると言ったらどんな顔をするだろう…そんな風に思って、アスカは無謀な賭けを試みる。
―悔しかった。
自分のワガママなのは良く分かっていても。シンジの目に映る自分。それは可愛げない、勝ち気で傲慢な女の子…きっと。素直になれない。だから自分が悪いのは分かっている。でも悔しい。
「違うわ。男の子と」
「え?」
「ま、デートってトコね」
「そうなんだ。誰と?」
「誰だって良いじゃない」
「でも、アスカは加持さんが好きなんじゃないの?」
「だったらなんだって言うの? バカシンジに関係あんの?」
「…無いけど。気をつけてね。それと、夕飯どうする? ミサトさんは多分済ませてくると思うし」
同級生の結婚式。ミサトはそれに出席している。
(ほら、やっぱり)
もしかしたら引き留めてくれるかもしれない。そんな淡い期待…無惨に打ち砕かれ、アスカは悲しい反面イライラした。加持に憧れているのは本当。だけど、違う。シンジとは違う…それが伝わらない。伝えようともしない自分。分かっている…悪いのは…。
「言われなくたって気をつけるわよっ!」
欲しかった言葉をくれない。予想はしていた事だけれど、どうしようもなく腹ただしく、情けない。
この怒りはシンジに対してでは無く、自分自身に向けられている。それが事実。でも、それを認める事ができなくて。
(…バカ)
「惣流さん」
(…バカシンジ)
「惣流さん?」
「え、あっ…」
そうだ。今デート中。今朝の会話を思い出してつい、ぼーっとしてしまった。
「ごめん。なんだっけ?」
男の子は苦笑している。かなり前からアスカに話題を振っていたのかもしれない。
「君の事、見掛けて一目で好きになっちゃってさ」
「……」
なんと答えれば良いか答えに困り、アスカは黙って俯く。
「洞木の妹と同じ学校って聞いて、頼んじゃったけど」
彼は俯くアスカを見ながら続ける。
「心ここに在らず…だね」
「…ごめん」
「良いよ。一回会えただけでも嬉しかったよ。洞木に強引に頼んだ甲斐があったかな」
そう言いなから、彼は伝票を手に立ち上がる。
「今日はありがとう」
「あの、本当にごめんなさい…」
「良いって。惣流さんに会えただけで満足だから」
店を出ていく前に彼は振り向いて軽くアスカに向かって手を挙げる。
(…最低よね、私)
「“もしもし? 碇君。アスカいるかな? 携帯繋がらないの”」
ヒカリからの電話を受けてシンジはアスカの部屋に目をやる。帰って来てから不機嫌そうに大きな足音をたてながら、無言でリビングを横切り、自室に閉じ籠ったまま出てこない。
少し迷ったが、ヒカリにちょっと待ってと断り、保留ボタンを押してアスカの部屋に向かって声を駆けた。
「アスカ、洞木さんから電話だけど」
「…コンビニ行ってるとでも言って」
何を言っても無駄だろう。シンジは再び受話器を手にし、ヒカリに事情を話す。
「“そうなんだ。伝言頼んでも良いかな”」
「“うん”」
「“今日は無理なお願いしてごめんねって、伝えてくれるかな”」
「“え…う、うん”」
「“ありがとう。ホントごめんって言っておいてね”」
心から申し訳なさそうなヒカリの声が耳に残った。
(…女の子って、アスカって何を考えているんだろう)
全く分からない。ヒカリの頼みで仕方なくしたくもない行動に出る。アスカらしくない。自分の言う事には反発してばかりなのに。
シンジには理解不可能。それも仕方がない。中学生男子に微妙な女心を分かれというのは無理難題。それに、同じ年頃の平均より、下回る。そういった事象には疎い。それはシンジも自覚している事だから。
良く考えてみると、アスカはどうも自分だけに反発する。
(…何故なんだろう)
ソファに深く座り、そんな事を思っているとアスカの部屋のドアが開く。少し遠慮がちに。シンジがそちらに視線を向けると、先程と同様、不機嫌そうなアスカが顔を覗かせる。先程と同様―けれど、違う点が一つある。涙の跡…綺麗な青い瞳は曇り、頬には水滴が伝っていたであろう痕跡が残っていた。
「…ミサトは?」
「遅くなるって、電話が…」
「…あ、そ」
不機嫌“そう”だった表情が完全に不機嫌に変わっていく。
(加持さんと一緒だからかな…)
シンジと違い、勘の良いアスカは悟っただろう。電話を受けた時、ミサトの声と共に加持や、二人の友人であるリツコの話し声も聞こえてきた。アスカの勘は正しい。
「ヒカリはなんか言ってた?」
少し気まずそうにシンジに聞く。内面の動揺を彼が察知する筈も無く、ヒカリに言われたままに答えた。
「洞木さんの頼みなら断らないんだね。アスカは」
思わず口をついて出てしまった言葉。自分の言った言葉…それにシンジは驚く。意識的では無いにしろ、皮肉めいたニュアンス…それにアスカは反応する。
「なによ、それ。どういう意味?」
「だってアスカは僕が何言っても…」
言いかけて止める。アスカの怒りという表情…それが徐々に増していく。
「もういいわよ。アンタなんか、ホント…ホントに…」
「あ、アスカ…?」
目の前でしゃがみこんで、泣き崩れるアスカ。誇りと自信に満ちたそれを全て捨て去り、シンジの目を気にかける事無く、両手で顔を覆い嗚咽を漏らす。指の間から次々と溢れ出る涙が、彼女の頬から床へ伝い落ちていく。
「ごめん、僕…変な事言って」
「…イラナイ」
「え?」
「言葉なんて欲しくない」
(…どうすれば良いんだろう)
加持なら。いや、自分が加持くらいの大人だったら。好きな女の子が目の前で泣いているなら…
シンジは咄嗟にアスカの肩に手を置こうとして躊躇する。
(僕に慰められたら…)
傷を深めるのではないだろうか。自分にこの様な醜態…アスカにとっては。それを見られる事自体が彼女には屈辱的だろう。きっと。
それに、アスカが求めているのは自分では無い…悲しい事に。シンジは差し出した手を止める。その手は虚しく宙を漂う。
「……て」
「え…? 何?」
「抱きしめて」
「アスカ?」
「女の子が泣いてんのよっ!それくらいできないの?」
宙を漂っていた右手をもう一度伸ばす。小刻みに震える体。その姿はいつもより小さく、子供の様に感じる。
(……違うよ)
「アスカの好きなのは加持さん…だよね」
抱きしめたいと思った。でも、勢いだけでそうしてしまうのができない。自分を想っていてくれている訳では無いから。本当はアスカの涙が止まるまでずっと、ずっと、何時間でもそうしていたいのに。
―できないよ。僕には。
「…バカっ! アンタなんか、アンタなんか、本当に大キライ!」
「アスカっ! ちが…」
立ち上がり、涙で溢れる瞳がシンジを睨みつける。暫くアスカはその場を動かなかった。言葉や態度とは裏腹に、語気は弱々しい。シンジを見る青い瞳。その奥底にあるモノ。それが何を訴えているのかシンジには分からなかった。
「大キライ…」
しゃくり上げながら自室に向かうアスカをシンジは止める事ができず、閉じられたドアを見つめる事…それだけしか、成す術が無かった。