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【プロ野球】村田修一、独占手記 新天地の1年を振り返る2012年11月4日 紙面から 不動のサードとして日本一に貢献した巨人の村田修一内野手(31)が本紙に独占手記を寄せた。今季「優勝を争えるチームでプレーしたい」と9年間在籍したDeNAからフリーエージェント(FA)権を行使して巨人入り。移籍1年目で悲願の日本一に輝いた村田が、新天地での波瀾(はらん)万丈の1年を率直につづった。 昨年、横浜スタジアムで中日に胴上げを許しました。他のチームが優勝していくのは9年間見てきたけど、目の前での胴上げは経験がなかった。正直、あの輪の中に入りたいと思いました。僕には将来、指導者になりたいという夢もある。そのために勝てる野球を経験したいというのもあった。1つの球団しか知らないと、殻に閉じこもってしまうところもあるかもしれないですから。 望んでいた戦いとはいえ、初めてのポストシーズンはこれ以上ない緊張感がありました。自分が打った打たない以前に勝つことが第一。そういう野球はかなり久しぶり。やってるときは胃に穴が開くかってぐらいで、疲れも半端なかった。まだ4、5回なのに1試合終わったのかな、ぐらいの疲労感でしたね。 野球の難しさを感じた1年でもありました。優勝を決めた後、ヒットが出なかった。ホッとし過ぎたのか、なんか打てないなというのが続いて「30何打席無安打」とか記事が出始めて…。調子悪くなってきたんじゃないかと思い始めた。 そんなとき、長野と坂本と実松が「ちょっと行きますか」と誘ってくれた。長野の知ってる店でしゃぶしゃぶを食べながら「大丈夫ッスよ、勝ってるんだから。村田さんが来て助けられている部分たくさんあるし。数字だけじゃ語れないですよ」って励ましてもらった。最後は笑いながら「そのうち、ヒット出ますよ」とか言われて…。他人事か! と思いましたけど。そういう後輩や仲間がいて、ホントに助けられた。 家族の存在も支えになりました。土日に東京ドームで試合があるときは必ず見に来て、そのまま家族でホテルに宿泊。それが週末の家族行事みたいになってますね。2人の息子たちに良い姿を見せてあげたいという気持ちが強くて「今日も勝ったね! 明日も勝ってね!」と言われると頑張ろうという気持ちにさせられる。帰宅してから「なんで打って足に当たったらファウルなの?」「自打球って?」とか難しいことを聞いてきて困るときもありますが…。 日本一になって、新たな目標もできた。このチームで主軸としてもっと良い成績を残し、自分の立場を確立していくということ。ファンから「辞めろ〜」ってヤジられる時もあるけど、まだ辞めたくない。肩も肘もひざもまったく問題ない。正直、ハートは大分痛いですけど。ただもっと打てると思うし、もっと打たなきゃいけないと自分でも思っている。でもその前にしたいのは家族で温泉に行くこと。例年この時期に箱根に行くんですが、息子が「パパ温泉行けないね」って言うので、「まだ勝ってるから行けない。終わったらな」と言ってある。これで最高の形で、ゆっくり温泉に浸かれますよ。 (読売巨人軍内野手) ▼村田修一(むらた・しゅういち) 1980(昭和55)年12月28日、福岡県篠栗町生まれの31歳。177センチ、92キロ。右投げ右打ち。東福岡高時代は投手として春夏連続甲子園出場。日大で内野手に転向し、2003年に自由枠で横浜に入団。1年目から25本塁打を放ち、07、08年に2年連続本塁打王。11年オフにフリーエージェント(FA)権を行使し、巨人に移籍。 PR情報
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