「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の成立今こそ |
最初の提出から
十年、今度こそ
四月二十一日、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案提出」提出十周年記念集会が、午後三時から参院議員会館で開催された。
二〇〇〇年四月十日、日本軍「慰安婦」として性的被害を強制された女性たちの尊厳と名誉が著しく害された事実に謝罪し、彼女らの名誉の回復をはかるための法案「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律(案)」が本岡昭次、江田五月、輿石東、竹村泰子、千葉景子、円より子の各議員(民主党)を発議者として参院議長に提出されてから十年が経過した。同法案は、二〇〇一年以後、民主、共産、社民三党の共同提案として二〇〇八年まで八回にわたり提出されたが、いずれも「審議未了」で廃案になっている。
同法案は「政府は、できるだけ速やかに、かつ、確実に、戦時における性的強制により戦時性的強制被害者の尊厳と名誉が害された事実について謝罪の意を表し及びその名誉等の回復に資するために必要な措置を講ずるものとする」(第三条)、「前項の措置には、戦時性的強制被害者に対する金銭の支給を含むものとする」(第三条の2)としており、明確に政府の責任において謝罪と名誉回復、補償を実施するものとなっている。
十年後の今日、民主党主導の鳩山政権の下でなんとしても同法案を成立させるために、この日の集会が準備された。また同日午前十一時半からは韓国で続けられている日本軍「戦時性的強制被害者」の水曜集会に連帯する意をこめて、参院議員会館前での「スタンディング」が一時間にわたって行われた。
もはや沈黙で
は許されない
藤田一枝衆院議員(民主党)と有光健さんの司会で行なわれた集会では、最初に岡崎トミ子参院議員(民主党)が経過報告。
本岡昭次さん、竹村泰子さん(いずれも当時の社会党参院議員)によって日本軍「性的強制被害者」問題について最初の国会質問が行われたのは一九九〇年六月だった。しかし当時の政府側答弁は「民間業者が軍とともに連れ歩いた」「実情の調査はできかねる」というものだった。しかし一九九一年八月に韓国で元軍隊「慰安婦」が初めて名乗り出て、同年十二月には東京地裁に被害補償を求めて提訴、一九九三年八月には河野官房長官が「お詫びと反省の気持ち」を表明した。フィリピン、オランダ、台湾、中国の被害者からも提訴が相次いだ。一九九五年七月には「女性のためのアジア平和国民基金」が発足したが、謝罪でも補償でもない同基金に対しては、韓国をはじめ被害当事者からの批判が巻き起こった。
一九九六年二月には、「個人補償・公式謝罪を求める」国連人権委員会のクマラスワミ報告が出され、同三月にはILO専門委員会年次報告で「慰安婦」はILO二九号条約違反であるとして日本政府に「適切な措置」を求める勧告を行った。こうした中で、一九九六年八月には「戦時性的強制被害者問題調査会設置法案」も参院に提出されたが、審議未了廃案となった。
一九九九年九月、参院決算委員会の答弁で野中官房長官が「新たな立法措置をとることが憲法上の問題を生じせしめることはない」と答弁。ここでようやく謝罪と補償のための法案を提出する突破口が切り開かれたのである。
今年三月の海南島戦時性暴力被害訴訟が上告棄却で原告敗訴となり、十件の「慰安婦」訴訟はすべて敗訴で終結した。その一方、二〇〇七年の安倍首相による「狭義の意味での『慰安婦』強制連行はなかった」という発言が国際的な批判を呼び起こし、米国下院本会議決議(2007年7月)を皮切りに、オランダ議会、カナダ下院、欧州議会、フィリピン下院外交委員会で「慰安婦」問題の早期解決を求める決議が上がっている。ILOや国連自由権規約人権委員会、女性差別撤廃委員会などでも日本政府に「謝罪」を求める決議・勧告が次々に出されている。
日本の各自治体でも、二〇〇八年三月の兵庫県宝塚市を皮切りに、今年四月十日までに二十一の自治体で意見書が決議されている。もはや沈黙ですますことは許されないのだ。鳩山政権の下で国会でも岡崎トミ子議員を代表に「戦後補償を考える議員連盟」が発足し、法案成立のための一層の努力が求められている。
国連日本代表を
「仕分け」せよ
次に一九九〇年当時から戦時性暴力被害者問題の解決に先頭に立って尽力してきた本岡昭次・元参院副議長があいさつ。今年七十九歳になる本岡さんは、「せっかく政権交代したのに何もならないような事態が続いて胃が痛くなる」と鳩山政権に苦言を呈した上で、問題解決のために二つの点を提起した。
第一に、戦後補償についての国の方針は「サンフランシスコ講和条約によって国の責任はもう終わった」というものだ。これを変えさせることができるかどうか。民主党政権がこれまでの国の方針を引き継ぐのか、それとも変えるのか。そのことが問われている。
第二に国連主義を取るのかどうか、ということだ。国連の人権委員会などの決議・勧告を守るのかどうか、ということだ。「慰安婦」問題は、今日の女性への冒涜・人権侵害に直結しており過去の話ではない。日本政府は「法的拘束力はない」として決議や勧告を無視してきた。鳩山政権が国連主義を標榜するのであれば、国連の勧告・決議を尊重しなければならない。
さらに国連に送られている各国の人物は、その国の「顔」と見られている。政権が交代すればそれを反映する人物に代わるのが当然だ。国連の日本代表を「仕分け」せよ。
このように語った本岡さんに大きな拍手が送られた。
一歩もひけな
い重要な課題
次にこの日の集会のために韓国の「ナヌムの家」からやってきた戦時性的強制被害者の姜日出(カン・イルチュル)さんが発言した。姜さんは一九二八年に朝鮮慶尚南道尚州郡に生まれ、十六歳の時に自宅から中国へ連行され、二年間にわたり長春、牡丹江などの「慰安所」で性暴力被害にあった。解放後も祖国に戻れず、中国の吉林省で暮らしてきたが、二〇〇〇年四月にようやく韓国に帰国、国籍も回復し「ナヌムの家」に住んでいる。
姜さんは、時に涙を抑えながら自分の厳しい体験を切々と訴えた(発言要旨・別掲)。
出席した国会議員からは、民主党の石毛えい子衆院議員、稲見哲男衆院議員、円より子参院議員、今野東参院議員、小林千代美衆院議員、神本美恵子参院議員、辻恵衆院議員、水岡俊一参院議員、斎藤つよし衆院議員、そして共産党の紙智子参院議員、無所属の糸数慶子参院議員が、法案成立への強い思いを語った。
ながらく支援活動に尽力してきた人々からは荒井信一さん(日本の戦争責任資料センター)、蓮見幸恵さん(「慰安婦」問題の立法解決を求める会副代表)、戸塚悦朗さん(前龍谷大法科大学院教授)、高橋喜久江さん(売買春問題ととりくむ会)、しのだ江里子さん(札幌市議)が、政権交代を機に何としても私たち日本人の責任として立法化を実現しようとの決意が語られた。
「外国人参政権法案」に対して極右派の民主党政権批判が強まる中で、逆流を押し返し、日本軍「慰安婦」=戦時性的暴力被害者への謝罪と補償を実現していくことは、まさに一歩もひけない重要な課題である。 (K)
姜日出(カン・イルチュル)さんの報告
力を合わせて問題解決を
私の心の中に涙があふれています。私は解放を迎えた後に中国から韓国に戻ろうとしました。しかしもう三八度線を越えることができず、やっと二〇〇〇年になって故郷の尚州に帰ることができました。しかしその時にはすでに父母はなく、十二人いた兄弟姉妹の中で生き残っていたのは姉だけでした。
二〇〇〇年の十二月に東京で開かれた女性国際戦犯法廷に参加しました。その時、日本軍の軍人だったおじいさんが慰安所に行ったことを認める証言をしてくれたのが嬉しかった。なかなか誰にも言えなかったことを語ってくれた元軍人の方にもう一度会いたいと思っています。
自民党の人たちは私たちに何にもしてくれませんでした。全世界から私たちのために声が上げられているのに、日本が何もしないのはおかしいと思います。日本が後悔しないためにも力を合わせてこの問題を解決してほしい。それは日本と韓国が良い関係を作っていくためにも必要です。
鳩山さんが総理になった時はとても嬉しかった。しかしなかなか答が出ません。日本の中には差別が強く残っています。竹島は日本のものだと言う人も多い。その人たちはもう一度戦争をしたいのでしょうか。私たちはお金がほしいのではありません。同じアジアの国として、戦争に反対するという強い思いから語っているのです。
ここにいらっしゃる民主党の議員には、ぜひ頑張ってほしい。韓国に帰ったら私の友人たちに、もう少しがんばればなんとかなると話したいのです。(発言要旨:文責・編集部)
成田プロジェクト第二回
環境破壊・採算無視の地元押しつけを赤裸々に報告
四月十七日、成田プロジェクト(「いま成田空港で何が起きているのか」プロジェクト)は、文京シビックセンターで「 地方空港はなぜ増えつづけてきたのか―静岡空港、新石垣空港から考える―」というテーマの第2回航空・連続セミナーを行った。講師は、桜井建男さん(空港はいらない静岡県民の会事務局長)、生島 融さん(八重山・白保の海を守る会事務局長)。
地方自治体管理の空港58のうち、53の空港が着陸料では必要経費が賄えないという状態に追い込まれている。いずれの空港建設のプロセスで、事前に多くの批判・反対の声があったにもかかわらず、それを無視してきた。「日本航空」の破綻の原因として採算無視の国際・国内路線就航、放漫経営などが挙げられているが、国内線からの撤退が実行されていけば、さらに立ち行かなくなる空港が続出する。98番目に開港した「静岡空港」、長年の反対運動の歴史をもつ「新石垣空港」の話を聞きながら、豊かな自然を破壊して空港をつくってきた側面から、そして航空行政の矛盾を解く側面から論議を深めた。(Y)
桜井建男さんの報告―静岡空港
事業推進の構図は
成田と同じだ
一昨年から静岡空港をめぐって立ち木問題が全国ニュースとなり、昨年、現職の知事が辞職に追い込まれた。〇九年六月の開港が無理なので暫定開港せざるをえないという状況が生まれた。どたんばにきて強行突破してきた公共事業の正体が現れた。
北九州空港、神戸空港、中部国際空港など開港してから利用者が増えたところはどこもない。空港特別整備会計に依拠して「需要がある、将来性がある、経済合理性がある」ということで自治体と国土交通省が旗ふり役になってかさ上げ需要予測の元に建設を推進してきた。そういう公共事業が全国に押しつけられてきた。その結果を象徴するのが、空港事業の大赤字だ。
静岡空港は、二十年前に計画された時、計画案が県議会で審議されたことがない。示されたこともない。これを作りますよ、予算を付けますよという議会決議があっただけだ。そうやってスタートした。
その意味では成田空港が閣議決定で突然決められていったことと同じような構造にある。静岡空港も天下り構造だった。永田町・霞ヶ関で決まって下りてきた。地元は関係ない。引っ張り込まれたという話だ。それで右往左往したのが地元経済界であり、県議会の推進派であって、住民、県民は置き去りのまま計画が進められた。
国交省の外郭団体で二倍、三倍、十倍の水増しの需要予測を出したことをやむをえないと発言した理事長のことを東京新聞、中日新聞が暴露した。一週間後、川勝知事は、「需要予測は間違っていた、過大であった」と表明した。つまり、できレースでずーっと来たということだ。静岡空港は、下方修正を繰り返してきたが、それにも関わらず空港建設が進められてきた。
天下り公共事業の
責任をとらせる!
しかし問題は、こういう公共事業をやってきて、その責任を誰がとるのか、誰が責任を取らせるのかというところにきている。やりっ放しで、生かすも殺すも、地元の皆さん次第ですよという国の投げやりな、無責任な行政の結果を、そのまま我々は受け入れることはできない。客観的に地方空港は、地方自治体だけで維持できる状況には全くない。国も地方も財政はパンクしている。地方空港は、大整理時代に直面している。ヨーロッパでは百キロ圏内の地方と地方を結ぶような路線は廃止し、空港も廃港にして、新たな社会システム、公共システムに転換していくモーダルシフト(鉄道・船舶輸送転換)への流れになりつつある。ジッェト機は、最大のCO2を排出し続けておたり、エコロジー時代の流れに逆行していることは間違いない。
静岡空港の収支の見通しは、年間の収入は二億円足らずで、支出が県はまだ公表していないけれど、十一億円だと言っている。しかし、我々の試算によると十五億円前後、これに空港建設のために借り入れた借金の返済が年間二十億円。そうすると年間三十五億円前後の支出が確実に見込まれる。これは採算というものではない。採算を度外視すれば、後は墓穴を掘って自滅の道を歩むだけだ。成田、羽田だけではなくて、関西三空港の問題も暗礁に乗り上げて足の引っ張り合いを行っている。内部の矛盾だけが広がっている。
四月四日に十五回目の総会をやったが、そこでは「きっぱり廃港か、さもなくば自滅の道か」と宣言した。今年から来年にかけて静岡空港は、単に利用する客が減っていくだけではなくて、無理矢理、後を引き継いだFDAが飛行機を飛ばしていけば、とんでもない事態が起きかねない。
いずれにしても結果責任を問う、地方空港を一刻でも早く整理し、廃港に追い込むという切り口を一緒に考えていかなくてはならない。そういう局面に私たちは立たされている。
生島融さんの報告―新石垣空港
政官財ゆ着が明白な
環境破壊を強行
新石垣空港反対運動に関わって二十七年目になります。関わった時は、すでに空港設置許可を当時の運輸大臣は出していた(一九八二年)。最初の案は、二千五百メートル滑走路で突然決まって、地元の人達は反対運動を取り組んだ。成田空港反対運動とほとんど変わらない経緯だった。私は三里塚闘争に関わっていたから、それはあまりにもおかしいということで関わった。
一九七九年七月、白保海上案が決まった。二ヶ月前、革新系の市長が住民の有力者を呼びだして「滑走路建設が決まった」と突然言い出した。地元の間でも色々と話し合いが行われたが、反対派は阻止委員会を作った。(一九七九年十二月)
石垣島で反対だったのは、白保の人達だけだった。しかも白保の中でも賛成派と反対派と別れていた。だから親兄弟、親戚、友人の間で軋轢が生まれた。石垣では、老人会、組合、メディアなどが推進派の七十団体で推進協議会を作った。反対派は四面楚歌に追い込まれていった。
埋立許可は、当時の建設大臣の許可が必要だった。埋立をするためには環境アセスメントをとらなければならなかった。おざなりな調査だった。反対運動は、全国各地に支援グループが作られ盛り上がっていった。当時の環境庁が青サンゴに影響があると指摘せざるをえなかったが、五百メートルカットするということで認めてしまった。
自然破壊、安全無視
の空港はいらない
その後、空港建設計画は紆余曲折し、カラ岳陸上案となった。この案は、これまでと同様にずさんな環境比較を行いつつ、最初からカラ岳陸上案ありきの選定であった。@地下川からの赤土流出Aコウモリなど希少種保護Bビオトープ破壊(生物の住息環境)について深刻な環境問題が存在していた。安全面についても@集水域となるカルスト台地の弱層A空洞の位置を特定できないB地下水が流れているため土壌を流してしまう│などの問題があった。このように環境破壊、安全軽視のまま設置許可を出してしまった実態が明らかになっていった。
事業認定取消訴訟(二〇〇六年六月提訴)では、すでに十九回の口頭弁論が行われているが、これらの安全性、アセス調査のずさんなやり方を争点にしながら追及している。東京地裁の現地調査も実現し、裁判所は、慎重審理を行っていると言える。二月に結審だったが、国側は突如、意見書を提出するということで八月まで結審が延びた。積極反論は、非常に異例であり、危機感の現れだ。
今後の公共事業の進め方との関係で環境アセス法をどのように解釈し、運用するのかということでも注目されている裁判だ。日弁連の環境保全委員会の弁護士も意見書を書いてくれた。
その一方で強制収用委員会(二月十日)は、公開審理一回で終了してしまった。反対地権者は、関西、東京にも存在しているから各地で公開審理を開催してくれと要求したが無視だ。また、現地の反対運動は、厳しい状況が続いている。二十人の共有者は、反対運動を拡大していくことができないほど、地域的圧力、親戚間の軋轢の中に追い込まれている。
「なぜ地方空港は増えたのか」について。やはり政・官・財の癒着が空港乱開発を押し進めた。具体的には、@地方の公共事業依存の経済A政治家が事業を誘導し、票につなげるB空港設置の必要性を厳しく適正に判断するべき官が天下り先の確保にあった。航空局所管の公益法人・独立行政法人は、二十八団体も存在し、ここにかなりたくさんの官僚が天下り、「仕事」を作っているのが実態だ。さらに空港本体が赤字なのに駐車料金等によって空港ビル経営が黒字であり、収奪している事実も明らかになっている。このような構造を支えてきたのが空港整備特別会計だ。この財政によって空港をどんどん造ってきた。自然破壊、安全無視の空港はいらない。
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