MARIの恋日記

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避難所生活をしてから2日後に、また大きな地震が起きました。
津波が来ると言われ、体育館は騒然としました。

そこで冷静にみんなを誘導したのは、お父さん達でした。子ども達をまず二階のギャラリーに上げ、その後は大人達、寝たきりの老人はステージの上に運びました。
体育館は避難所として建てられたもので、津波でも外は2メートルの水かさがあってもしみる程度しかならなかった頑丈なものでした。全員を高い所に避難させてから、お父さんたちは扉を閉め、シーツで取っ手をぐるぐる巻きにして両端をぎっちり引っ張っていました。みんなを守ろうとするお父さんたちの熱い思いが伝わってきました。
ギャラリーに私は登っていたのですが、みんなは怖がり手摺りに掴まっていたので、私は手摺から離れるように叫びました。何百人の人たちが体重をかけて手摺りが壊れたらと思ったからです。どのくらいの負荷に耐えられるのか分からないし。


どのくらいの時間が経ったのかは忘れましたが、誤報とわかり安堵しました。



水もないので、顔も洗えないし、女の人はお化粧もとれ、みんなスッピン状態でした。
避難してきたばかりは、まだお化粧も残っていたのですが、段々とれてきて、みんなで誰が誰だか分からなくなるんじゃない?と冗談を言って笑っていました。
女性にとって化粧水ひとつないのは大変でした。私は春休みに妹の子ども2人とうちの子供4人を連れて叔母の家に行きました。そこで二週間ぶりにお風呂に入りました。そしてすぐドラッグストアに行き化粧品一式を買いました(笑)
自分のいつも使ってるのとは違うメーカーだったのですが、とりあえずホッとしました。



服もぜんぜん無いので下着を買ったり、通販で買ったりしてなんとか叔母の家では普通の暮らしが出来ました。
子供たちは、温かいご飯に飢えていたので、お代わりをたくさんして胃袋を満たしていました。



妹の子供の長男(甥)は心的ストレス障害になっていたようでイライラがとてもひどかったのです。食料を探していて、死体をたくさん見ていたのです。毎晩怖い夢を見てとても辛そうにしていました。
今はそんなこともなく、高校生になりサッカーで活躍しています。



子供たちの心もどんなにショックを受け、傷ついたのか・・・。
私達大人より感受性の強い子供達の心は計り知れないものがありますね。



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