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「“環境ホルモン騒動”を検証する Part 2」

対談の様子

3. 環境ホルモンという「井戸」

小出
環境問題について、社会全体がまあまあ少し落ち着いてきたら、今度はプロの研究者の中で、環境ホルモンのリスクとは、結局、何であったのかを見定める議論が出てくるわけです。
安井
この間題提起に伴って、環境ホルモンを深く探求し、「井戸」を掘っていくという環境ホルモンのプロが、そこに生まれたんです。環境学の一番危ない点、特にこの手の毒性学の一番危ないところは、世の中が「それは安全だよ」という認識になった瞬間に、この「井戸」が消えること。研究分野そのものがなくなってしまうことなのです。地球観測や分類学、昆虫学のような学問は、言ってみれば、世の中の人が何を考えているとかは全く関係なく存在し得るんだけど、環境ホルモン問題というのは実はそうではないんですね。だから世の中というものが作った穴、研究対象であり、従って、世の中が関心を失った瞬間にここも閉じてしまうという「井戸」だったんです。
小出
社会の要請があって成り立つ、という現業的な面が強いということでしょうか?
安井
プロにとっては「問題ない」という結論を出した途端にその「井戸」が閉まるという構造を持っているわけです。「大丈夫です」といった瞬間に、その「井戸」が閉じちゃうんです。だから研究領域を失いたくなければ、結論が例えば問題ない、リスクはないという方向に出そうになっても、この研究のプロは「大丈夫です」「リスクはありません」とは言えないんです。そういう構造を持っている学問分野なんですね。

4. 学問分野で求められるスタンス

小出
環境ホルモン問題のリスクや本質を、科学の面からどう冷静に伝えたら良いのか、この大事な課題は騒ぎの後から議論になってきましたけれども、安井先生はそのテーマに早い時期から、積極的に取り組んでこられていましたね。
安井
私自身は若いころから材料科学の分野の仕事をずっとやっていて、あるところで突然やめたんです。学問の一般領域は、細く掘り下げていく。その狭い専門分野から足を洗って、相場観を持って判断できる広い研究領域に逃げようと、環境分野に入ってしまったのです。いつまでたってもそれだけが勝負。しかし、周りが見えるようなやつは偉くならないんです、大体(笑)。ある意味、学問の構造上抱えるしょうがない話です。
小出
これまでそういった俯瞰的に科学や世界を見る人材は極めて少なかった。ただ、現在はこうした領域越境が自在にできる研究者が、とても必要な時期に入っていますね。それは、この環境化学物質問題の領域だけではなくて、あらゆる領域で、全体を見て、しかも少し先のグランドデザインを考える、という作業がどうしても欠かせなくなっていますね。
安井
そうですね。いくつかの分野は、多分そういう発想を持たないとやれない。今、エコバランスの国際会議をやっている人がいますけれど、ああいう人たちは若干、それができる。それ以外は環境分野で広く視野を持てる人というのは、なかなか育たないですね。これは学問の構造的欠陥ですね。
小出
自然科学というのは、これまで誰も知らなかった新しい地平を開いて初めてそれが論文になるのであって、そういうパイオニアワークがサイエンスのエッセンスでもあります。一方、環境ホルモンの観測など、じっくりと何年も観測しながらそのリスクを明らかにしてゆくような研究に関しては、なかなか科学の論文にはなりにくく、新しい知の地平を開いたとは評価されにくい。これは、地球科学の観測分野などでも言えることです。例えば気象学の中に観測現業があるように、環境の分野でも化学物質管理を「現業」として認識し、パイオニアワークを目指すサイエンスとは一線を画して、現業としての努力を認める、エキスパートとして評価する、という社会体制を作らなければならないと思います。
安井
こういう領域の人たちはみんなそういう考え方です。それを一体どうやって養成するか。そんなに大人数は要らないんです。毎年1人か2人か、エキスパートをどこかで誰か育てれば良いので、環境省はそのぐらいお金を出してほしいですね(笑)。