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「“環境ホルモン騒動”を検証する Part 1」
科学者の立場から科学と社会との接点を解きほぐし、環境問題へのわかりやすい「物差し」を提示し続ける安井至氏と、科学担当の新聞記者として環境化学物質問題を追跡する小出重幸氏が、90年代末に大きな社会現象となった、いわゆる環境ホルモン騒動を検証し、評価します。
目次
- 安井 至 プロフィール
- 1945年東京生まれ。国連大学副学長。東京大学名誉教授。東京大学工学部卒業。東京大学生産技術研究所教授、東京大学国際・産学共同研究センターセンター長を経て、平成15年12月に国際連合大学副学長着任。平成17年6月から東京大学名誉教授。総合科学技術会議環境部会化学物質イニシャティブ座長など、政府系委員会の委員など多数。専門分野は環境科学。著書は「環境と健康 誤解・常識・非常識」丸善(2002)、「続環境と健康」丸善(2003)、「リサイクル 回るカラクリ止まるワケ」日本評論社(2003)。
- 小出 重幸 プロフィール
- 1951年東京生まれ。読売新聞社編集委員。お茶の水女子大学非常勤講師。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。北海道大学理学部高分子学科卒。76年に読売新聞社入社。社会部、生活情報部、科学部などを経て、05年6月から現職。地球環境、医療、医学、原子力、基礎科学などを担当。主な著作に、「夢は必ずかなう 物語 素顔のビル・ゲイツ」(中央公論新社)「いのちと心」(共著 読売新聞社)、「ドキュメント・もんじゅ事故」(共著 ミオシン出版)、「環境ホルモン 何がどこまでわかったか」(共著 講談社)、「日本の科学者最前線」(共著 中央公論新社)、「ノーベル賞10人の日本人」(同)、「地球と生きる 緑の化学」(同)など。
1.“環境ホルモン騒動”の発端
- 小出
- 1998年に「環境ホルモン」「ダイオキシン」をめぐる大きな騒動がありました。一体何があったのか、当時のメディアの状況から、振り返ってみたいと思います。
- 98年の1月に、環境省は『化学物質と環境』という、化学物質が日本のどこで、どのくらい測定されているか、年間のデータを集めた同省の調査報告書を公表しました。俗称「黒本」と呼んでいましたが、この中でダイオキシンの測定場所が増加していること、それから環境ホルモンではないかと指摘されていた物質「ビスフェノールA」の汚染が確認されたことが注目され、ニュース紙面での環境ホルモン報道合戦が始まったわけです。
- 報道が過熱した背景には、伏線がありました。北欧のバルト海でポリ塩化ビフェニール(PCB)など、塩素系有機化合物の汚染が進んでいる問題が、BBCの番組や、この番組を紹介したNHK教育テレビの「サイエンスアイ」などで、前年までに紹介されていました。また、環境ホルモン問題を告発した米国の研究者、シーア・コルボーンの著作『奪われし未来』がベストセラーとなっていました。こうした情報によって、関心ある消費者、ジャーナリストたちは、化学物質の環境、健康影響に対して不安感を持っていた。そこにニュースとして環境ホルモン報道が始まり、TV番組や雑誌報道が出てきたために、騒動になったのです。
- 新聞の記事は、同年1月から急速に増え、半年間増え続けます。当時、データベースで記事検索を行い、『毎日』、『産経』、『朝日』、『日経』、『読売』の5紙の合計記事件数を調べました。記事は98年の6月、7月あたりをめがけて急に上がっていって、その後は急速に減少します。日本化学工業協会は、その後も引き続き記事数のデータをまとめていますが、これによると、98年の3月、4月、5月あたりは月間の報道件数800件となっています。
- この環境ホルモン騒動の時にはさまざまな混乱が見られましたが、安井先生は、どんな印象をお持ちになりましたか。
- 安井
- 私も『奪われし未来』が出版され、新しい毒性を示されたときには、はっきり言って驚きました。
- この毒性が本当であったら大変だと思いました。それまで、毒性学にはいくつかの分野があり、たとえば、こんな物質やこんな微生物には、このような毒性がある――という分類の中で把握して考えていればよかったのです。ところが、「あれ? こんな毒性もあるのか」と、まったく新しい分類を突きつけられたように感じました。ですから、新しい毒性の情報が伝えられたとき、この領域にも、かなり注意していかなければならないだろうと思いました。同時に、指摘が本当かどうかに関してもフォローしなければならないと感じたのです、当時の自分のホームページ(市民のための環境学ガイド)なんかを見ても、「新しい毒性の提案があった」、というような内容が書いてあります。
- もっとも今になってあの本(『奪われし未来』)をよく読むと、科学的な報告というより、サイエンティフィック・フィクションのひとつとして書かれているような面があります。人類に対してある何か決定的な被害があった、という事実をもとに、被害の内容からスタートしてその是非を論じる方法論とは、ちょっと違うのですね。結局この問題は、野生生物を中心とする環境の話であったわけです。あの当時議論された環境ホルモン問題の中で、ヒトに対して影響が確認されたものは人工の女性ホルモン剤しかない、ということでした。
- それは女性ホルモン剤「DES(ジエチルスチルベストロール)」という薬で、その投与によってがんが発生したという事実は確かにあった。けれども、これは環境ホルモンではないのですね。DESを服用した妊婦から生まれた女児に膣がんが生じたという報告がある。こちらは医療の臨床現場で人為的に投与された薬ですから、これを環境中の内分泌かく乱化学物質と同じ問題だという形で取り上げるのは、いかがなものか、という疑問がわきあがりました。
- しかし当時は、そういう毒性が本当にあるならば、それは全く新しい毒性の提案になるわけで、それだけに「これはひょっとしたらやばいかもしれない」と、みんな、まず慎重に評価、吟味してみよう、というスタンスに立ったわけです。
- 小出
- そういう面では、環境ホルモンの影響や毒性というのは、これまでみんながウォッチングしてきた科学の世界、技術的な知識のすき間から飛び出してきた、という印象だったのでしょうか?
- 安井
- そうですね。あんまり意識してなかったところから問題提起があった、という意味で、その意義を認めるべきだと受け止めたのだと思います。
- 小出
- 当時、私たちが取材したサイエンティストは、新しい毒性に対して、皆まず真摯に向き合おうとしていました。つまり環境ホルモンについては、まず事実を詰めなきゃいけない。これまではあまり研究費もかけられない領域だった。だからあまり関心も集まらなかった。しかし毒性学や疫学、化学工学、生態学など、さまざまな視点から、環境ホルモンについてきちんとアプローチしなきゃいけないという意識が、いろんな方々から起こりました。この点、サイエンスを担う人たちが見せたこの対応は、ポジティブな評価ができると思います。