復路:9月16日(日)
→天王寺 :関空紀州路快速
天王寺 →伊丹空港 :空港バス
伊丹空港 →羽田空港 :JAL124便(J)
羽田空港 →浜松町 :区間快速モノレール
浜松町 →東京 :京浜東北線
東京 →八O子 :中央線快速八O子行き
運賃:¥210+¥590+¥500+¥460
小生の単身赴任生活は間もなく終わりを告げる。
2003年10月から9年間。流石に長かった。その間、小学生だった子供達は、それぞれ大学生、高校生に成長した。そして、祖母が亡くなった。母が手術を受けた。
家族との絆を維持するための帰省旅行。後、一往復で完結する。
一方、東京宅を引き払う準備も着々と進んでいる。
部屋の大半は、廃棄処分予定の荷物と引っ越しのダウンボールで埋め尽くされており、只でさえ狭い部屋は立錐の余地も無い。
この3連休で、ある程度目鼻を付けるため、日曜日の昼下がりに帰京して、翌月曜日まで、集中して作業を行うことにしている。
今回の移動では、貯まっている
JALのマイルを消化するために、JALの特典航空券を使う。JALのリストラにより昼間の関空〜羽田便は全廃されているため、関空/紀州路快速で天王寺まで出て、天王寺から空港バスで伊丹へと向かうことになる。
連休の中日にも関わらず、予想に反して空港バスは混んでおり、相席となった。
阪神高速からは、日本一の高さとなる、
あべのハルカスの工事が進んでいる様子が目に付いた。なぜ、天王寺に?という疑問が無くもないが、ともあれ、地盤沈下著しい関西の起爆剤となってもらいたいと願う。
特に事故など無かったが、自然渋滞により、普段よりやや時間を要し、30分掛かって伊丹空港に到着する。時刻は15時丁度。
早速JGCカウンターに駆け込んで、元々、JAL138便で予約している特典航空券の前便変更とクラスJアップグレードを依頼する。
とりあえず、16時30分のJAL126便への変更とアップグレードは叶った。合わせて、15時30分発のJAL124便の空席待ちを入れて貰う。
思えば、単身赴任当初は、航空機など数える程しか乗った事が無く、航空券の購入方法すら良く分かっていなかった小生であったが、気がつくと、年間50回以上も搭乗する身になっていた。
JAL124便の合格発表は15時10分頃からなので、急いで、保安検査場を抜けて、3Fのサクララウンジへ入室する。
試供品のゼリーが置いてあることを目敏く発見して、2つばかり頂戴し、睡眠薬を半を服用した。
そして、階段を下りて、空席待ちカウンターへと急ぐ。
15時10分発表と言っても、実際には、15時15分過ぎになる場合が多いので慌てなくても良いのだが、万一、発表時に不在であれば、合格していても権利を失ってしまう。
カテSの方が2名居たものだから、また、不合格かと予想していたが、3席空席が出たので、辛うじて合格した。
翼はJAL124便伊丹発羽田行きである。
機材を見て、びっくり。てっきりB777と思っていたが、B767が充当されていた。クラスJの席数も限られているにもかかわらず、よくぞ合格したものである。
出発後、睡眠薬が良く利いて、直ちに爆睡開始し、飛行中の記憶は全く無い。
着陸のショックで目覚めるもタキシング中に再び眠ってしまい、到着後のベルト解放サインで漸く目覚める。
睡眠薬の量がやや多かった様である。後遺症でふらつきながら、到着口を抜ける。
ニコチンを補給するために、カードラウンジ南で休憩することにした。予想外に混んではいたが、ジュースを飲みながら、ここで小一時間過ごす。
その後、区間快速モノレールに乗車して浜松町経由で東京駅に出る。
そこから
中央線快速に乗車して八O子まで。
赴任当初は、次から次へとやってくる
大阪環状線ライクなオレンジ色の電車の行き先がまちまちで、どれに乗ればよいのか全く分からなかったのが嘘のように思えた。
八O子到着後は、例によってファンくるのモニターで、
ステーキハウスブロンコビリーを訪問し、50%オフでステーキを頂いた。
何度もこのブログで紹介しているが、
ファンくるとは、お店の覆面モニターになって調査・報告する事で、代金をポイント(キャッシュ)バックしてくれるシステムのこと。
ある時からは、ファンくるを利用して、月に1回は八O子のブロンコビリーを訪問して、
ステーキというよりよりは、実の所、サラダバーで単身赴任生活の野菜不足生活を補ってきた。
お陰で?、この9年間、大した病気には掛からずに済んだのは幸いだった。
八O子の郊外にあるこのお店を訪れることは、もう無いかも知れない。と思うと感慨深い。なお、単身赴任生活の強い味方だったファンくるは、これからは、通勤圏内にある大阪の店舗を中心に活用していきたいと思う。
ファンくるの登録は、こちらのバナーから。もちろん登録料や会費は一切かからない。
結局、東京宅到着は、20時30分頃になった。
作業はまだまだ残っている。移動で疲れている体に鞭打って、片づけと引っ越し準備に追われた三連休の一日であった。