「独島は韓国領」ピタゴラスの定理でも証明

「鬱陵島の海抜130m地点から独島は見えない」、川上健三氏の主張に数学を用いて反論
日本の領土紛争は帝国主義の産物…歴史的文献を土台に侵奪の真実を示す

【新刊】チョン・テマン著『独島の真実』(朝鮮ニュースプレス)

【新刊】孫崎享著、ヤン・ギホ訳『日本の領土紛争』(メディチ社)

 前者が「日本の憶測とうそ」を暴いた本だとするなら、後者は「日本の無知と誤解」を教える本だ。前者の著者は、国税庁を2009年に名誉退職した後、独島問題にのめり込んだ韓国人。後者の著者は、外交官を経て09年に防衛大の教授を定年退官し、領土紛争の解決策探しに乗り出した日本人。意外にも、2人の声は同じ所に向けられている。領土問題に関する限り、現在の日本は「何か錯覚している」と戒めている。

■ピタゴラスの定理まで動員して論証

 チョン・テマン氏の執筆動機は「易地思之(相手の立場で考える、の意)」だった。日本が独島(日本名:竹島)を「日本領」だと言い張るのには、それだけの理由があるのではないか。しかし5年を費やした末、チョン氏は「牽強付会(道理に合わないことを無理にこじつけること)」だと結論付けた。根拠は三つある。第一に「独島は朝鮮領」だと公式に確認した太政官指令が挙げられる。明治政府が日本全国で地籍事業を展開した際、鬱陵島・独島をめぐって悩んだことがあった。内務省は長考の末、両島はいずれも日本の領土ではないという結論を出した。当時、最高の国家機関だった太政官も、内務省の決定に従い島根県に下達した。1877年に出た文書のタイトルは「日本海内竹島外一島ヲ版図外ト定ム」だった。

 にもかかわらず、日本は1905年、島根県の告示を出した。「無主地」独島を自国に編入するという内容で、28年前の太政官指令に反するものだった。その後表に出ることのなかった太政官指令は、1987年に京都大学教授によって見つけ出された。この件について外務省は、今も沈黙を守っている。

 光復(日本の植民地支配からの解放)後に締結された独島関連の3条約も検証の対象となっている。島根県に不法に編入されていた独島は、光復と共に回復された。しかし1951年のサンフランシスコ平和条約が禍根となった。そのころ、米ソ冷戦に伴って、米国の対日政策は「包容」へと急旋回し、敗戦国日本の領土が条約であいまいに処理された。平和条約第2条には「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある。どこにも独島のことは書かれていない。これを根拠に、日本は独島が「放棄対象」ではなかったと主張している。しかし著者は、「済州島、巨文島及び鬱陵島」という一文は約3000ある付属島しょの例示にすぎず、韓国・日本・連合国の関連公文書を参照すると独島は韓国領と解釈される、ということを綿密に論証した。

 出色なのは、数学を動員した最終章だ。「鬱陵島の海抜130メートルの地点から見下ろしても、独島は見えない」という川上建三氏の主張に反論するため、三角関数やピタゴラスの定理まで動員した。結論は「鬱陵島からは、海抜86メートル以上で独島が目に入るが、隠岐からは106キロ以上船で沖に出なければ独島が見えない」。確かに「1冊で見る独島紛争完全征服」だといえる。

全炳根(チョン・ビョングン)記者
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