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放送日 平成11年5月28日・6月4日
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はじめに | |||||||||||||||||||||||||||||
主宰の古くからの友人、インドネシア国王 ハムンク・ブォーノ10世から「鉄人の料理を披露してもらいたい」という手紙が届いた。主宰はすぐさま2人の鉄人を手配。その二人とは・・・・
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晩餐会まであと6日 | |||||||||||||||||||||||||||||
【インドネシア到着】 | |||||||||||||||||||||||||||||
日本からジャカルタを経由して7時間後、無事ジョジュジャカルタ空港に降り立った鉄人。そこには国王の側近中の側近であるスハルディ侍従長であった。そして滑走路に横付けされた高級車に乗り込み、一路王宮へ。 王宮クラトンは、いにしえの繁栄を残しながらもジャワの伝統が息づく「ジャワ建築の最高傑作」である。そしてクラトンは民衆と神の中間に位置しているとされているのである。 クラトンでは不在の国王に代わり、ヘマス王妃が鉄人歓迎の祝宴をもようしてくれた。 |
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【インドネシア宮廷料理を食す】 | |||||||||||||||||||||||||||||
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【今回の披露の間とは】 | |||||||||||||||||||||||||||||
鉄人が料理を振る舞う場所は、王宮の一番奥にある、最も重要な儀式に使われる「美しい」という意味のマニスの間であった。道場六三郎は「日本の宮廷料理調に、汚れ物は見せないようにしなければならない」とマニスの間を見て語った。 | |||||||||||||||||||||||||||||
【王妃の願い】 | |||||||||||||||||||||||||||||
「寝る間を惜しんで働いている王に、ぜひとも美味しい料理で元気付けてほしい」と王妃はその胸の内を2人の鉄人に語った。 | |||||||||||||||||||||||||||||
晩餐会まであと5日 | |||||||||||||||||||||||||||||
鉄人に用意された宿舎は、ハイアットリージェンシー・ジョグジャカルタ。王もゴルフで度々利用するという最高級ホテルである。 | |||||||||||||||||||||||||||||
【侍従長突然の訪問】 | |||||||||||||||||||||||||||||
寛ぐ2人の鉄人に、スハルディ侍従長が突然に訪問。侍従長から発せられた言葉とは
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【テレビ出演】 | |||||||||||||||||||||||||||||
総選挙のため混沌としている首都ジャカルタ。インドネシア最大の民放、インドネシア・ラジャワリ放送に到着した2人の鉄人は、早速番組の打ち合わせ・・・・はあまりなく、いきなり本番に突入して行く。 今回のリクエストは「インドネシアの主婦でも作れる日本料理」である。鉄人も緊張、初めて外国人料理人を迎える番組スタッフも緊張する中、番組の収録は始まった。しかし気付けに日本酒を飲んだ道場六三郎はかなりご機嫌な状態。「中年女性のアイドル、道場六三郎」と自分で言う始末。果たして収録はうまく行くのだろうか? しかし始まってしまえば鉄人の独壇場であった。道場六三郎のお品書きから始まり、多くの工夫がされた「ジャワ風ちらし寿司」は見事な出来栄えであった。 |
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晩餐会まであと3日 | |||||||||||||||||||||||||||||
ジョグジャカルタに戻った2人は、人々の生活レベルでの食材を探すことにした(それにしてもベシャでの二人は窮屈そうだ)。 ジョグジャカルタ中央市場で、クーラーも氷もないところに並べられている魚を見て、魚介類は日本から空輸することに決定したが、その他中央市場にある食材を買いあさった二人。 そしてクラトンに戻った二人は、王の好みを知り尽くしている料理長に面会。その料理長とは何と若き女性であった。そこで二人は
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晩餐会前日 | |||||||||||||||||||||||||||||
【道場六三郎は奥地へ】 | |||||||||||||||||||||||||||||
お気に入りのスプラッティニ料理長を伴って、道場六三郎はジャワの奥地へ。しかし壮絶なスコールが道場を出迎えた。そして走ること3時間で、ジャスン村に到着したが、ここで2時間も足止めを食ってしまう。 ようやく現地の村人達と作業を開始(しかし道場六三郎は見ているだけ)。王様に献上する時に限って、一番高いヤシの木を切り倒すという風習に法り、村一番の巨木が倒され、ヤシの花を手に入れた道場は早速味見。さらにヤシの木の先端も味見し、道場六三郎は何かを閃いた。 |
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【森本正治はジャワで漁師になる】 | |||||||||||||||||||||||||||||
一方バリに向かった森本正治は、道場六三郎が出発する前、早朝からバリの海岸に立っていた。しかし森本を待っていた漁船は、手漕ぎの小さな船。「大丈夫か?これ」と心配そうな森本ではあったが、沖にはちゃんと立派な漁船が待っていて、森本一安心。 バリでも大物釣りで有名な名人達が結集し、希望に胸を膨らませる森本正治であったが、結果は無残にもボウズ。森本正治は「バリの最高の魚を市場で買って帰ります」と一言。そしてジンバラン市場で森本はシマアジをはじめとする8匹を確保した。 |
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【道場六三郎のお品書き】 | |||||||||||||||||||||||||||||
「王様に捧げる御献立」と題した道場六三郎のお品書きは全部で9品。縁起がいいとされる9という数字をここで道場は使った。 | |||||||||||||||||||||||||||||
【スハルディ侍従長またも登場】 | |||||||||||||||||||||||||||||
献立も決まって、下拵えに入ろうかというところで、またもスハルディ侍従長が登場。二人の鉄人をマリオボロ通りの屋台に連れ出した。ジャワの庶民の味を学んで欲しいと言う侍従長の勧めだったが、森本正治はここに日本酒を持ち込んでいた。日本でも有名な久保田をスハルディ侍従長は初体験(日本酒自体も初体験だったが)。サムアップでご機嫌の侍従長。そして侍従長はかつて日本兵から習ったという「海行かば」を日本語で披露。 ここで森本正治はかつでアメリカはハーレムでやった寿司を、ジャワでもやろうと言い出した。スハルディ侍従長と仲良くなった道場六三郎はイヤがるも、森本はホテルにいるスタッフに電話をかけて材料を調達。メインの食材はウナギ。それを見た道場はようやく腰を上げた。 |
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【ジャワの屋台でうな丼作り】 | |||||||||||||||||||||||||||||
まず包丁を握ったのは森本。森本はうな丼を作り始めた。道場は磯辺焼きを作り始めるが、鉄板がジャワにはないため、餅を素揚げしてガドガドという甘いピーナッツソースで和えて出来上がり。ジャワ風磯辺焼きが好評だった道場はすっかりご機嫌。「私たち兄弟」と日本語で客寄せまで行う。 森本正治のうな丼は、素揚げしたうなぎにうなぎのタレに似たABCソースをかけた。このうな丼にはスハルディ侍従長もサムアップ。屋台は大繁盛であった。 ホテルに戻った二人は、翌朝まで料理の最終準備を行った。王のため、王妃のために気力を振り絞る二人。そして翌日、鉄人の衣装に着替えた二人の目には微塵の疲れもなく、いよいよ晩餐会となる宮殿クラトンへと乗り込んだ。 |
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いよいよ晩餐会 | |||||||||||||||||||||||||||||
【ハムンク・ブォーノ10世見参】 | |||||||||||||||||||||||||||||
王宮クラトンはいつになく重苦しい雰囲気。全ての視線が二人の鉄人に集中しているかのようである。 そして国王ハムンク・ブォーノ10世が王妃を伴って現れた。アジア一のグルメと言われる王を鉄人は満足させることができるのか?マニスの間全体が二人の動きを見守っていた。 |
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【そして晩餐会は始まった】 | |||||||||||||||||||||||||||||
ここまでは道場六三郎、絶好調である。しかし・・・・
ここで道場六三郎はしゃぶしゃぶを諦め、「次の料理出そう」と指示を出した。
王からは「最後の一品まで美味しかった。お二人は最高です」と最高の賛辞を贈った。マニスの間を包んだ拍手は、二人の勝利の証であった。 そして王は二人を謁見の間に通した。そこで道場六三郎は王の前で習字を始めた。道場は「鮮」という言葉を記し、王様に鮮やかな気持ちで今の情勢を乗り切って欲しいと訴えた。 二人の鉄人の料理は、混乱を極めたインドネシアの未来に何らかの光を当てたのかも知れない。
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