天皇制について

 天皇制について、少し書く。おまえは天皇制をどう考えているのかと問われているような気もするので。
 この答えは、非常に簡単だ。天皇制は、制度としては、日本国憲法で規定されている。それ以上でも、それ以下でもない。九条のように解釈改憲はされていないのだから。
 なので、天皇制反対とかは、まったく無意味だと考える。天皇制反対とは、ようするに現行憲法反対ということだし、それなら、改憲するしかないだろう。この問題は解釈改憲でどうなるというものでもあるまい。
 話はこれで尽きている。
 なのに、なぜ天皇制が未だに憲法を超越してイデオロギー的な問題になるのか私には理解不能。憲法を愚弄するんじゃねーという思いがするばかりだ。
 日本国民が憲法を改正し、現行のような立憲君主制の国家ではない、共和制の国家にするというなら、同胞国民の多数の意見に私は従いたいと思う。おまえは共和制移行に賛成するのかと問われるなら、私は弱い反対意見を持つ、というだけだ。それはイデオロギーではない。むしろ、皇室への敬意からだ。
 皇室に敬意を持つかと言われれば、持つ。これは歳を取るにつれてそう思うようになった。端的な話、日本人の象徴としての人間像を考えるに、それなりの品性というものをもっていてもらいたい。あの情味の薄い小泉なんか大嫌いだ。下品だすらと思う。日本人たるもの、対外的には品性をもってもらいたい。マックス・ヴェーバーも品性というのを大切にしたが、日本人は1200年からの歴史を持つのだから、その国民国家の歴史・伝統の品性というものを体現した人間が必要だ。それこそ皇室である。その点で、今の天皇家は十分に評価できると思う。なお、日本の歴史はせいぜい1200年である。この点については、昭和天皇も言及していたことだ。歴史学的に見ても推古朝以前に天皇家の歴史を遡及することは無理だ。日本列島に存在した古代人いたが、国家以前の列島居住民は「日本人」ではない。
 国家神道についてはどう思うかと言えば、これは、明治時代にでっちあげた国家宗教でもあり、国家とは分離すべきだと思う。日本は弱いライシテの原則を持つべきだ(それは移民に国を開くためにも)。靖国の問題は複雑だが、原則として国家が介入すべきではない。対外的にも別途の慰霊の施設があってほしいと思う。もっとも、私が見る限り、現行の靖国神社自体になにが問題があるのか皆目わからない。さっさと、慰霊施設を造れ、内閣と思う。
 天皇の戦争責任問題については、すでに歴史上既決だと考える。歴史のIFとしてあれでよかったのかと問われれば、天皇は戦犯以外の何者でもありえないと思う。先日書いた洪思翊の処刑の論理で行けば、戦犯を免れるものではない。昭和天皇ご自身もそう考えておられたと思う。今上天皇も

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2004/03/11



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