« [書評]チョコレートの帝国(ジョエル・G・ブレナー) | トップページ | [書評]ムツゴロウ4部作 »

2012.11.01

家族を規定したのが「なるちゃん憲法」

 先日家族史関連の与太話を書いたおり、古代や中世にも家族はあったみたいな反論を貰うかなとは予想していた。だって奈良時代に戸籍があるじゃないのとか、貴族や名家には父母がいるではないかみたいな。古代の戸籍についてはその実態を調べてもらえば問題の所在がわかるだろうからそれはさておき、古代や中世でも父母と暮らして云々というあたりはちょっと補足というか与太話の延長をしてみたい。
 単純な話、古代や中世の「母」が子供を育てていたかということだ。いうまでもなく、乳母(めのと)が育てていた。母乳を与える女がやってきて育てるのである。女性が母乳を出せるのは実の子を産んだ期間に限られることからわかるように、乳母は自分の赤ん坊も一緒につれてくることがある。するとどうなるかだが、乳兄弟というのができる。また、乳母は女ではあるがそのまわりの世話役の男なんかも付いてくることもある。
 こういう貴族や名家に乳母をほいほいと手配できるシステムがあったということのほうが重要な意味がある。氏族的な社会のなかに育児の機能が分化していたわけである。
 このシステムのバリエーションが、里親・里子であろう。乳母が屋敷に入るのではなく、子供の育児がアウトソーシングされるわけである。この場合、むしろ里親・里子のほうが「家族」のような様相を示すだろうが、親権はない。
 古代や中世で、子供が屋敷で同居していたとしても、そこに乳母的な育児のシステムが不可分に組み込まれている。それは家族なのか、というと、それを前近代の家族と定義しようというくらいの意味合いしかない。育児をしない「母」でも生物学的に母だから母だとかという話もできないわけではない。
 むしろ女性の権力の問題として乳母は面白い。日本の場合、古代から、女系的な家制度のためか娘に相続権があるが、これが武士の社会になると財の相続者である女の権力に対して、乳母が権力を持つようなことがある。むしろ、武士の権力のシステムは乳母の権力の随伴現象ではないだろうか。それはさておきと。
 この乳母のシステムだがよく知られているように、明治以降も富裕な階級では残った。なかでも面白いのが天皇家である。
 大正天皇は明治天皇の典侍・柳原愛子(なるこ)が産んだ子である。大正天皇、つまり明宮(はるのみや)こと、はるちゃんは、生まれるとさっさと里子に出された。
 その後、6歳で御所に戻され、明治天皇の皇后・美子(はるこ)の養子となる。長じて天皇(大正)となる、はるちゃんは幼いころ、自分の母親は美子だと思っていたらしい。家族幻想のようなものだろうか。後に実母ではないと知らされて悩んだのだろう。47歳で死ぬとき、実母・柳原愛子の手を握っていた。おかあさーん。
 はるちゃんが天皇(大正)となり、結婚したのは18歳。嫁は15歳の九条節子(さだこ)だった。彼は側室(後宮)を置かなかった。その息子さん、昭和天皇こと裕仁(ひろひと)、ひろちゃんは、普通にさだこの子であった。
 ひろちゃんも長じて父を真似てか、側室を置かなかった。家族幻想がようやく天皇家にまで達したということだろうか。問題は、天皇家の後宮制度がいつ、誰が廃止したかである。たまに気になって調べるのだが、概ね、戦中自室にダーウィンとリンカーンの肖像を置いていたダーウィニストにしてモダニストだったひろちゃん、そのころは天皇(昭和)だったが、その意志だったようだ。
 このひろちゃんも生まれたときは里子に出されている。その子の今上、明仁(あきひと)ことあきちゃんはどうか。
 里子には出されなかったようだ。このあたりも父の信念ではあったようだ。
 が、あきちゃんが育ったのは別宅・東宮仮御所である。後の、あきちゃん心情を察するに孤独な少年期でもあったようで、自身が結婚して、ちゃんと母子手帳も受け取って、子供、徳仁(なるひと)こと、なるちゃんが生まれたときは、自分の家族の元で母子ともに過ごしたいと思った。ようやく庶民の家族幻想が天皇家にまで達したのである。

cover
ナルちゃん憲法
皇后美智子さまが伝える
愛情あふれる育児宝典
 それで1960年9月22日に起草されたのが、「なるちゃん憲法」である。なるちゃんが生まれたのは1960年2月23日なので、7か月も遅れたがその間はどうだったかというと、母・美智子さんが自分で育てていた。が、日米修好百周年記念でホワイトハウスに招待を受け、そろそろ仕事復帰ということもあって、子供を預けることになった。そのおり、母親として自分は我が子をこう育てますということを成文化したのが「なるちゃん憲法」である。
 憲法というのは西洋史においては国家権力を規制するためのものだが、日本では「十七条憲法」のように一種の徳目であり、「なるちゃん憲法」も日本の伝統に由来するため、法的手順を必要としない。
 なるちゃんが生まれたのは、マーブルチョコレートが発売された1961年の前年。私より3歳下である。高度成長期に田舎から都会に引き出された労働者が家庭を営み、兎小屋と呼ばれる家で子どもを二人産んで家族を形成した時代である。あきちゃんも天皇となってからは、精一杯、時代も象徴することになった。
 天皇は日本国家の象徴でもあるが、ふーん、そうだよねと国民が是認しているから象徴たりえている。国民の家族の象徴でもあるからだ。
 その後、長じたなるちゃんの家庭が象徴しているものも、まさに現在の国民の家庭の姿に思える。
 
 

|

« [書評]チョコレートの帝国(ジョエル・G・ブレナー) | トップページ | [書評]ムツゴロウ4部作 »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

なるちゃんのところにずっと子供が生まれなくて養子を取ったら、世の中の家族感がまた変わったのにね。残念。
でももしかしたら、弟ふみちゃんの子供ひさちゃんを養子に取れば、あるいは・・・(与太話が続く)
ところで。
なるちゃんが生まれたのは1960年。マーブルチョコレートが発売になったのはその翌年1961年。ですよね?

投稿: m_s | 2012.11.01 14:50

m_sさんへ。ご指摘ありがとうございます。勘違いでした。訂正しました。

投稿: finalvent | 2012.11.01 15:11

 核家族ケースも大家族ケースも独身(通い婚)ケースもいずれもあるかないかで言えばあったでしょうけど、どこもかしこも皆同じとは成らなかったんじゃないでしょうか?

 例えば自転車の乗り方やマナーですけど…「乗り方」は全国ほぼ共通で特殊な乗り方をする人は大道芸人の類ですが、公共のマナーについてはそれなりに地域差があるでしょう。繁華街と地方の寒村では違いますし。

 婚姻するしない・形態も同じように地域格差や経済格差が激しかっただけでは? あるない・どこから、では裁断できないと思いますよ。

投稿: のらねこ | 2012.11.01 19:30

専門の方が「時代と状況を混ぜ込みすぎ」との指摘をしたうえで、あまりはっきりとした言い方をされていませんが、当方は素人なので、背負うべき看板も名誉もありません.ゆえに勝手に、話を始めます。

時代を室町から戦国に限定しますが、この時代で乳母ではなく、実母が育てた人物、そしてほぼその子供を含めて家族関係がわかっている人物としてどんな人がいるでしょうか?
個人的な興味からいうと、
蓮如(浄土真宗第八代門主)
千宗易(千利休)
が思いつきます。

その他、織田家・豊臣の家臣団の状況をよく考えてみるに(これまで大河ドラマで出てきた人物をみるに)、
前田利家の子供は全てまつの手で育てられていますし、
山内一豊の妻は娘と養子の世話は自分で行っています。

又、乳兄弟の例として有名なのは、源義家と鎌田義清、また時代が下って家康が井伊家の幼主を育てる(当時、井伊家は全滅して幼主だけが残っていた)際には、乳母ではなく、小姓として近くに使えさせ、阿弥衆を育児に使っています。

これは何を意味するのかというと、乳兄弟というのはいわゆる腹心中の腹臣としてそばに仕える人物たちですが、それでも家臣なわけです。

これより下の新興階級、例えば(前田家、山内家)織田家の家臣だとか、堺の町衆(千家)では母親が子供を育てています。これらは手紙や供養の記録が残っているのではっきりわかります。

それやこれや、相続の問題など、いいたいことは多々あれど、それは又の機会に。

投稿: F.Nakajima | 2012.11.01 19:49

 のらねこさんへ。
 地域差については先のエントリーでも留保してあるのですが、重要なのは、「育児が共同体の機能である」というとき、「家族」とはどういうモデルになるのか?という問題設定です。現代の日本人が「家族」として理解している「夫婦に子どもが単位となって世帯で住む」とするとそれがありえたか?
 これがありえたとした場合、その「家族」はどのように共同体の中に組み入れられたのか?
 ここで留意したいのは、共同体は被統治者として権力の構図に置かれているのですが、この権力のシステムそれ自体には「育児が共同体の機能である」ということが組み入れていたわけです。そのことは、先の「家族」の共同体への組み入れは矛盾するでしょう、ということです。
 もちろん、例外事例はありえるでしょう。しかし、モデル的には、「育児が共同体の機能である」ことが解体されて「家族」が発生するということです。

投稿: finalvent | 2012.11.01 20:01

 「地域の子供はみんな(特定の育児システムに組み込まれる)の子供」から「私の子は私の子」に「到る」って見方ですね。

 私は、経済力・(あくまで自立的な)政治権力・文化の観点からめいめい勝手にやってるだけで、総体的に見た最大多数が変遷して「到ったように見える」という観点です。なので「あるない・どこから、では裁断できないのでは?」という言い回しをしました。「発生」という言葉に引っ掛かってるのかもしれませんね。

 犬でも猫でも自分の産んだ子は自分で育てますし、F.Nakajimaさんの例にもあるように新興武士階級は実母の養育が目立ちます。とするなら、むしろ地下(じげ・総体的に見た最大多数)は、実母養育派の方が多かったのではないでしょうか?

 (あくまで自立的な)政治・経済力以上の統治性ある政治経済力を持っている階層の人なら弁当翁さんの見解でむしろ合ってると思うんですね。そこから降りて地域民自体が養われるの人であるなら、仰せご尤も。

 ある程度の経済力…決してそこまで豪富でもなく中小自営業の社長さんか勤め人レベルの人らであるなら、自前養育を最重視しているようなきらいもあります。それが前提に無いと江戸期の寺子屋制度などの教育熱も上がらないですよ。最初から育児システムがあって産んだらそこに宛がうだけみたいな質では月謝払って通う式の教育制度は生まれそうにないです。江戸期以前に寺子屋はありませんけど、寺子屋「的なもの」なら萌芽もあったでしょうね。専門家じゃないからよく知りませんけど。

 いわゆる遊びの場としての若衆制度(薩摩が有名ですね)やその名残としての芸能人稼業・アイドル商売なんかもあることですし。最初に育児システムありきの育ち方・育て方は、そういう界隈のシステムなんじゃないですかね? 近年で言うなら黎明期の漫画・ゲーム(it)・演劇や音楽などのサブカルチャー業界も同じようなもんですね。一休さんと愉快な仲間たちみたいなのは、富裕であるがゆえのサロンでなく、むしろ今あるネット界隈的な地下の遊びですよ。そこから出てきた茶人が朝鮮の飯茶碗を見立てて(行く末千利休が)侘び寂を生み出したのが、その証左のように思います。

投稿: のらねこ | 2012.11.01 21:08

>ここで留意したいのは、共同体は被統治者として権力の構図に置かれているのですが、この権力のシステムそれ自体には「育児が共同体の機能である」ということが組み入れていたわけです。そのことは、先の「家族」の共同体への組み入れは矛盾するでしょう、ということです。


そういう問題であるのなら、司馬遼太郎が盛んに言っていましたが、江戸時代の近世村落というものは、一つの村が共同体として存在し、若者は10才前後に達すると「若衆」として彼らだけで生活します。そして20才前後に村のうちの誰かを妻として迎えるわけです。どうやって決めるかはもちろん「夜這い」の例もあるし、村の名主や親の話し合いによっても決まるわけです。

但し、親子の情と村落共同体が対立するわけでもありません。「若衆」に入る前の育児の第一の責任者は名主ではなく、やはり「親」でしたし、親が子に対して愛情を注ぐことは別に妨げられることでもありませんし、それによって村落共同体の掟の変更や例外を認めさせた事例がないこともありません。

つまり江戸近世の村落の子供は、象やクジラのように他の子も分け隔てなく「コロニーの子供」として育てられるわけはありません。と言えば極端すぎる例でしょうが、逆にfinalventさんが抱いているイメージがちょっと判らないのですが。

投稿: F.Nakajima | 2012.11.01 22:49

先のエントリにコメントしたものです。レスポンスいただきありがとうございます。
貴エントリはかなり大きい問題提起を含んでいると思いまして、だからこそ、とりあえず不勉強な私ですが自分なりの材料をぶつけてみたいと思いました。
先の貴エントリでは戦国時代の分国法を根拠に、「財」であった農民には、家族がなかったと言われたのですが、それではじゃあどういう形態のコミュニティかというのが今ひとつイメージされませんでした。
もしかしたら、「群婚」のようなものをイメージされているのかもしれませんが、そのようなものは実際にはなさそうだということで、以下説明です。
奈良時代の戸籍については、ひとつの例示でして、文化人類学の知見では、核家族(一夫一婦の婚姻を単位とする家族)が人類普遍の家族形態であることがわかってきました。
その根拠として、
(1)250以上の民族をサンプル調査した結果、ほとんどの民族が核家族を中心とする家族形態をとっている(ただし、一夫多妻制などをとる民族はあります)
(2)生物としての人間を見ると、人間の新生児は未熟な状態で生まれる(首がすわっていないなど)。これは営巣動物の特徴であり、営巣とつがい結合には、強い関連性があることがわかっている。
(3)オネイダコミューン(アメリカ)やキブツ村落(イスラエル)で、原始共産制の実験がなされ、すべての私有が禁じられた。すなわち「異性の私有」である結婚も禁止された。しかし、このような社会実験は長続きせず、すべて失敗に終わっている。
(詳しくは木山氏の著書をご参照ください)

投稿: choe1990 | 2012.11.01 23:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/657/56017954

この記事へのトラックバック一覧です: 家族を規定したのが「なるちゃん憲法」:

« [書評]チョコレートの帝国(ジョエル・G・ブレナー) | トップページ | [書評]ムツゴロウ4部作 »