日常の信頼の積み重ねが、政治の信頼と信託へとつながり、選挙戦での血眼になっての支援依頼、投票依頼などは全く必要なくなる

3回続けて、コメントへの返信という形での記事とさせていただきます。

baylisさんから極めて貴重な、創価学会の政治への向き合い方についての池田名誉会長の指針を紹介いただきました。

baylisさんのコメント

ありがたいことです。

そこで、baylisさんへの返信を兼ねて、私の思うところを記事とさせていただきました。

コメントというより、私の主張が多い文章になってしまったこと、ご容赦ください。

baylisさん

ごぶさたしております。

政治と社会への向き合い方についての池田名誉会長の指導を示したいただいたことに深く感謝いたします。

極めて重要な指導ばかりで、大変勉強かつ参考となります。

社会と遊離せず、社会に開かれた政治支援活動を一貫して訴えてこられた名誉会長の指導を改めて確認すると、現在の政治支援活動が、直接的な支援依頼、投票依頼に大きく傾斜してしまっていることを実感せざるをえません。

確かに政治を決定づけるものは選挙にほかならないので、そこに力を注ぐことは当然すぎることです。

しかし、問題は、選挙にほぼ総力を使い果たしてしまい、本来であれば、その選挙の評価軸であるはずの、日常の政治活動に全く無関心だということです。

「創価学会は政治団体ではないから、日常の政治活動をするものではない」という反論は通用しません。

これまで創価学会が主張してきたように、宗教団体の政治参加は一切問題ないことは明らかだからです。

私たち創価学会員は、世間でよく言われる“集票マシーン”などではないはずです。

しかし、現状の創価学会の政治支援の在り方は、この批判を果たして退けられるでしょうか。

もう一度、確認しますが、創価学会の政治支援の取り組みは選挙活動に偏重しており、日常の政治活動には全くといっていいほどに力を注がれることはありません。

政治において、最も重要なことは、日常における活動を通して、社会から信頼を獲得することにほかなりません。

その日常の信頼の積み重ねが、政治の信頼と信託へとつながっていくのではないかと私は考えます。

結果、選挙戦での血眼になっての支援依頼、投票依頼などは全く必要なくなるのです。

ところが、その最も重要なプロセスがぽっかりと抜け落ち、選挙の時だけにとってつけたような知識を人に訴えても、自らがかかわってこない政治活動の話は当然ながら相手には説得力をもって響くことはありません。

言うまでもなく、政治は人の生き方を左右する極めて重要な存在です。

その政治が今、瀕死の状態にあります。

この死に体の状態にある政治をどう蘇生させ、いかに一人ひとりの人生の幸福に寄与するための存在へと高めていくかは、公明党議員だけが考え、行動すればいいというものでは決してありません。

私たち創価学会員、一人ひとりが真正面から向き合っていくことが大切なのです。

どうやって?

対話です。

難しいことではありません。

創価学会の原点である座談、つまり対話をしていくのです。

会員同士で、徹して対話を重ねていくことです。

政治はどうあるべきか。

どんな政治家が望ましいか。

政治の質を高めていくために私たちは何ができるか。

等々…。

どうでしょうか。

そういう根本的な問いかけが、私たちの間でできているでしょうか。

真摯でかつ本音による自由闊達な対話が、私たちで積み上げられているでしょうか。

ぜひ考えてみていただきたいのです。

baylisさんに紹介いただいた名誉会長のインタビュー、「私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。 宗教は人間と人間との心の連帯です。もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。 あくまでも人間です。 人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます」が意味するものとは何なのでしょうか。

この意味するところを求めていくための対話から始めていく必要がありそうです。

創価学会の活動に地域貢献、社会貢献が加わることによって広宣流布は大いに進む

きのうに続いて、いただいたコメントに対する私の思いを記事という形でまとめました。

INDIGOさんからのコメント

以下がINDIGOさんへの私のコメントとなります。

INDIGO様

コメントをありがとうございます。

創価学会の活動に、地域貢献、社会貢献が加わることによって、広宣流布は大いに進むことになるということを信念としてきた私としては、INDIGOさんの取り組みには心からの共感を覚えます。

私が社会貢献の取り組みを始めたのは学生部の部長時代でした。

環境問題が叫ばれ始めていたころのことです。

私は独自の判断で、部でごみ拾いや空き缶集めなどの活動を部員とともに進めていきました。

メンバーたちの充実感には格別なものがあったことは間違いありません。

しかし、幹部からは徹底的に叱られ、「折伏の成果もあげられずに、ごみ拾いとはなんだ、二度とやるな」と。

折伏の成果があがっていなかったのは事実なので、ぐうの音も出ず、社会貢献の取り組みはたった3か月で終了しました。

しかし、いつか必ず、学会が社会貢献に取り組むことになるとの確信は深まるばかりでした。

残念ながら、その確信はいまだに現実のものになってはいませんが、INDIGOさんの取り組みをうかがうことで、会としてではなく、会員が自らの判断でそれを始めているということに感動を覚えるのです。

まだ小さなともしびかもしれませんが、そうした取り組みはいつか大きな広がりをもって、広宣流布を力強く推し進めることになると思っています。

私も組織とは別の角度で、社会貢献の取り組みに日々努力しています。

そのことによって、本尊流布も新聞啓蒙も、投票依頼も、何一つできるわけではありません。

しかし、私の取り組みに少なからずの方々が共感を寄せてくれていることを実感できています。

それぞれ、全く違う地域での、違う取り組みではありますが、その目指すところは共通です。

そうした社会貢献の取り組みに一人でも多くの学会員さんが自らの考えで始めてくれるようになることを祈りながら、私自身の課題に向き合っていきたいと思っています。

創価学会の社会貢献は、地域の信頼と絆を深め、実際に地域をよくしていくという二重三重の大きな成果をもたらす

Diversity記事「ジレンマを伴う苦悩と忍耐と熟慮の中でこそ、良心の内発的な働きは鍛え上げられる」に以下のようなコメントをいただきました。

INDIGOさんからのコメント

コメント欄に返信しようかと思いましたが、一人でも多くの方々にコメントを読んでいただきたいという思いから、記事として掲示させていただきます。

以下がINDIGOさんへの私のコメントとなります。

INDIGO様

ご丁寧なコメントをありがとうございます。

素晴らしい活動の取り組みに心から敬意を表させていただきます。

地域に根付く、社会に信頼を、とは創価学会の指導では何度も繰り返し叫ばれてきました。

ところが、叫ばれる一方で、それを日常の学会活動の中で実践していこうという機運はほとんどありません。

なぜなのでしょうか。

私が思うに、地域貢献、社会貢献の活動に、組織としての評価軸が一切ないことが主な要因でしょう。

むしろ、日常の学会活動ではない社会貢献活動を、成果につながらないとして、退ける向きも少なくありません。

創価学会の社会貢献は、地域の信頼と絆を深め、実際に地域をよくしていくという二重三重の大きな成果をもたらす可能性があります。

さらにいえば、その社会貢献による地域の信頼は、公明党への信頼へとつながっていくものです。

これら一連の流れは、はたして無理のあることでしょうか。

破天荒な取り組みでしょうか。

だれもそんなことを思う人はいないはずです。

にもかかわらず、なぜ、創価学会は積極的な社会貢献の活動を主軸にしようとしないのか、私には不思議に思えてなりません。

ただ、創価学会の方針転換を手をこまぬいて待っていたところで、それはそれで受け身の在り方になってしまいますから、INDIGOさんのように、自らの考えで、判断で、行動で、社会貢献活動へと乗り出すことこそ、最も必要であり、結果的に創価学会への信頼を高めることにつながるであろうことは間違いありません。

このことに一人でも多くの創価学会員さんが気づき、社会貢献活動のやりがい、楽しさ、醍醐味を感じてくれる方が増えることを私は願っています。