Newspapers yellow

今回はいつもと毛色が違いますが、ネイチャー誌のWEBサイトに掲載された「悪いマスコミ」という記事をご紹介します。
山中伸弥教授のノーベル賞受賞に伴って大々的に報道された森口尚史氏の偽の供述をめぐる報道をもとに、日本の科学報道の弱さを痛烈に批判しています。

日本人にとって耳の痛い内容ではありますが、 確かに日本の報道は色々と問題点も見られますね。
批判を受けることで少しでも報道の質が高まればと思います。

一部を意味が取れる程度にざっくりと訳してあります。
訳出の誤り等が見つかりましたら、コメント欄に指摘いただけると幸いです。

"Bad press"
http://www.nature.com/news/bad-press-1.11679
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「悪いマスコミ」
日本のメディアは詐欺の片棒を担いでいる
2012.10.31

山中伸弥教授のノーベル賞が森口尚史氏の嘘によって汚されたのは恥ずべきことである。、森口氏は山中教授の尊敬すべきiPS細胞の技術を心臓疾患を持つ患者の治療に用いたという話をでっちあげた東京大学の科学者だ。

このような話を大きく報じる原因となった報道の質のお粗末さは、日本やその他の地域での科学報道において稀なことではない。森口氏の「偉業」を示した読売新聞の報道は非常に残念なものだった。しかし他紙も、日経新聞もだが、森口氏の20年以上にわたる未確認の話を追認した。難解な自然科学研究があることを考えると、科学報道は手ごわいものだろう。だからジャーナリストが専門家に質問するためのいくつかの実用的な手順が既にある。

まず、公表された文献にあたることだ。全ての科学者は自分たちの成果を公表している。もしそうしていなかったら赤信号だ。発表論文を見れば研究者の所属組織がわかるので、もし疑わしい点がなかったら、ある科学者が実際にどこで研究し、そこでどんな評価を受けているか(読売新聞は大恥を書く前にハーバード大に一本メールすべきだった)簡単にわかる。論文には同時に共著者や共同研究者名も(彼らに著者がちゃんと論文に記載されているような研究をちゃんとしていたかどうか確認すると話が簡単になる)、資金提供者名も(彼らにリソースがちゃんと提供されていたかどうかを確認すると話が簡単になる)、そして利害の対立宣言(訳注:"declarations of conflicts of interest" 日本語でなんと言うかご存知の方はご教示ください)についても記されている(潜在的なバイアスを明らかにする)。

最も大切なのは、ジャーナリストは他の研究者と――問題の研究者と共同研究しなかった研究者と――その研究の意義と実現可能性について話すことだ。そのような研究者は大抵、発表論文の中の参考文献リストから見つかる。もし見当たらなかったら――適切な参考文献がない論文は危険信号だ――インターネットで探すと見つかる。しかしながら、北米やヨーロッパでは特にそうだが、研究者たちは大抵クズな論文を締め出すことに情熱を燃やしている。もしそれがクズだと思われるなら、研究者たちはそう教えてくれるだろう。

もちろん、森口氏は彼の最新研究はまだ公表されていないと言っただろう。これは更なる疑問を引き起こす。ではどうしてマスコミに最初に公表するのだろう?一部の研究者にはそうする理由があるが、森口氏はそうではない。彼の研究や過去の論文について精査する必要が出てくる。彼の経歴からは――インターネットで確認できるが――彼がほとんどこの分野において革命的な大発見をできるようなキャリアの持ち主であると読み取れない。なぜ彼は、実在しないiPS細胞研究所で勤務していたと主張していたのだろうか?

そして、なぜ彼は異例の、なじみの無い技術を医院で用いたのだろうか?彼がネイチャーからこう質問されると、事態はさらに悪くなった。なぜ、たとえば、彼は最新の研究の共同研究者名を言わなかったのだろう?こういった突っ込みはさらに胡散臭い供述を生み出した。

人はさまざまな場面で、ウソでその場を切り抜けようとするが、日本では明らかにされていない文化的要因があるようだ。日本人の科学者たちはほかの研究者に対してあまり批判的ではない。これは自分のキャリアに傷をつけたくない内部告発者を危うくする。そして日本人のジャーナリストは紳士的すぎてつっこんだ質問ができていないが、これはおそらく「先生」という響きにある輝かしいイメージに萎縮しているのだろう。たぶん英語力の自信のなさか、あるいは時差の問題のためか、彼らは海外の研究者に問い合わせもしない。

最近の日本にはびこる病がさらにこの状況を悪化させる。iPS細胞マニアだ。山中教授の先進的な成果への興奮により、メディアが新しいiPS細胞の物語をその話の真偽にかかわらずいち早く得ようと押し寄せた。iPS細胞技術への偏執的な情熱が火に油を注いだ。多くのニュースが、iPS細胞研究が日本がおそらく負けているだろう国際的な医学競争にアドバンテージをもたらすと解説していた。こういった恐怖症が、2009年に日本のiPS細胞研究が危機に陥ったことを嘆いていた森口氏を突き動かしたように思う。そして森口氏に研究を続けさせていただろうアメリカの「柔軟な」認定システムを想像していた読売の記者も。

全てが実に馬鹿げている。iPS細胞技術に関する素晴らしい成果は――ノーベル賞に値するほどの――世界中の全ての科学者が容易に利用できる。もし日本が山中氏の偉業を誇りに思うなら、世界中の全ての成果を同様に賞賛するべきだ。そしてもしジャーナリストがある新しい発見について如何にそれが重要かを理解したいなら、国際的な視野から検証するべきだ。