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2012-04-18

外村大『朝鮮人強制連行


朝鮮人強制連行 (岩波新書)

朝鮮人強制連行 (岩波新書)



 この本の帯には、「朝鮮人強制連行の歴史は、“朝鮮人のために日本人が覚えておくべき歴史”ではない」という著者の言葉が紹介されている。

 この本を読むまで私は、戦時中の朝鮮人強制連行について事実関係をよく知らなかったし、自分にとってこの問題が何を意味するのかを考える具体的なとっかかりがないように感じていた。もちろん、私がそのような「人権侵害」を強いた旧宗主国の子であるという事実は認識できる。だが、私がいま置かれている状況や自分が抱えている問題との具体的な接点が見えてこなければ、そこにはどうしても切実さが欠けてしまう。たとえば、「戦時中に強制連行されて過酷労働を強いられた朝鮮人がいる」という風に捉えるだけでは、過去の特殊で例外的な話として、われわれ自身の現実とは切り離して考えてしまいがちである。

 本書を読んでいくうちに、私がハッと気づかされたのは、そうではなくて、これは「日本行政当局や企業が戦時中に、なぜいかにして労働者を調達・動員したか」という、日本人を主体(当事者)とする「労務動員」あるいは「国民動員」の仕方の問題だということであり、今日の言葉でいえば、「人材派遣」の問題に通底するものがあるということだった。

 まず朝鮮人労務動員は日本の労働問題の一環として存在している。それゆえ、この問題をめぐる議論は、日本人労働者の労働条件や待遇――特に人手不足が目立っていた炭鉱等におけるそれ――のあり方について考える材料提供する。(p15)

 総力戦としての日中戦争が始まった時点で労働力不足が問題となっていたのは主に炭鉱であり、その原因は他産業よりも労働条件や待遇が劣る点にあった。そこにおける労働者充足のための方策は何も朝鮮人労働者を連れてくることに限定されていたわけではない。付け加えれば日本語が通じぬ未熟練労働者である朝鮮人労働者の導入は、個別企業や行政当局にとってメリットばかりというわけではなかった。

 したがって、戦時下の労働力不足という状況にあっても朝鮮人労働力の導入を行うか否かは無条件、必然的に採用されるべき政策とされていたわけではない。(p14)


 まず基本的な事柄を整理しておくと、歴史辞典では「朝鮮人強制連行」について、「それが行われた背景には日中戦争以降の日本人男子の出征による労働力不足があったこと、労働者の動員は日本政府が一九三九年以降敗戦まで毎年策定した計画に基づき行われたこと、暴力的な要員確保が行われたことなど」が説明されているという。

 「辞典によっては朝鮮人を日本軍の兵士や軍属、「従軍慰安婦」としたことも強制連行として説明しているケースもある」そうだが、著者は、朝鮮人強制連行という語が「政府計画に基づき本人の意志にかかわりなく労働者としての朝鮮人を動員したこと」を意味することは「共通の理解」となっているので、「ある種の幅をもつ概念」だという理由だけで、この語を使用してはいけないということにはならないと主張する。

 その上で、著者は、「もっと軍人や軍属としての動員、慰安婦についてまでカバーすることはできず、専ら政府決定の計画、正確な用語を用いれば労務動員計画(一九三九〜一九四一年度)と国民動員計画(一九四二〜一九四五年度、ただし一九四五年度は年度を通じた計画は立てられなかった)の枠のなかでの労働者としての動員(これを朝鮮人労務動員と呼ぶこととする)に焦点をしぼって史料を収集し考えてきた」という。《…朝鮮人強制連行と言った時に人びとが一般的にイメージする、戦時下に朝鮮から連れてこられた人びとの日本内地での炭鉱や土建工事現場での就労は、大概が労務動員計画・国民動員計画に基づいて行われたものだ。》(p8〜9)


 こうした労務動員・国民動員の計画や実態は、年度によっても違うし、日本内地と植民地朝鮮でも異なっているが、たとえば一九四四年度の段階で、「労務動員が相当な無理を伴うものになっていることは、関係企業や朝鮮総督府ばかりではなく日本内地の関係当局にも知られるようになっていた」という。

 植民地行政を管轄する内務省管理局は朝鮮の民情動向と地方行政の状況調査のためにこの年六月、職員を朝鮮に出張させている。翌月三一日提出された復命書には、労務動員の実情について、「徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である。/其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなる」と記されていた。これとともにこの復命書は民衆の労務動員忌避の背景やそれに関連して生じている深刻な問題を捉えて伝えていた。(p181)


 外村大(とのむらまさる)氏は、「戦時下の朝鮮人動員での強制性についての疑問や、朝鮮人の動員を特別視すべきでないという考え」から、「朝鮮人強制連行の語を妥当ではないとする人もいる」と言い、その論拠を次のように解説する。

 前者は要するに経済格差や朝鮮での生活の困難さから日本内地事業所への就労希望者は当時相当いたのであり、強制などなかったという認識に基づく。実際に動員計画に基づいて日本内地で働くようになった朝鮮人の証言のなかには自身が希望してやって来た事例があることは確かである。後者は戦時下の日本政府の計画に基づく動員は朝鮮人に限定されているわけではないという意見である。歴史的事実としてこれも否定できない。徴用されたり、勤労奉仕にかりだされて厳しい労働を強いられた日本人は相当に多い。しかも国民徴用令による徴用が早い段階から行われたのは朝鮮人ではなく日本人に対してであり、その適用を受けた者の数も日本人が朝鮮人を上回っている。(p3)


 しかし、考えてみればわかることだが、「自身が希望して日本内地で働くようになった朝鮮人がいる」ことは、「強制連行されて働かされた朝鮮人がいる」ことを否定するものではなく、十分両立しうる事実である。「勤労奉仕にかりだされて厳しい労働を強いられた日本人は相当に多い」ことについてもまた然り。

 「本人の意志に反し暴力的に朝鮮人を労働者として連れて来る行為が行われていたこと」は、「当事者の証言のみならず同時代の行政当局の史料によっても裏づけられる」。また、「動員を遂行するための制度や政策も日本人と同じではなかったし、暴力的な動員は日本人の間では少なくともそう頻繁に起こっていたわけではない」ことも史料から判断できる。

 その上で、外村氏は、「歴史研究者が十分説明してこなかった重要な問題、明らかにしてこなかった点があることも認めなければならない」として、以下のように述べる。

 …植民地朝鮮には日本内地への就労を希望する人びとは存在したし、実際に戦時中も望んで日本内地の労働現場を選択した朝鮮人はいるのである。ではなぜ、一方で無理やり朝鮮人を連れてくるようなことが行われたのであろうか? あるいは、そのような暴力的な動員は普遍的な現象ではなく、特別の時期、地域に起こった例外的な問題だったのではないかという推測を立てることも可能だろう。その場合には、では暴力的な動員を生じさせた要因が何だったのかといった疑問も付随してくる。

 また、より過酷な立場に置かれたとされる朝鮮人のほうが、むしろ日本人より徴用が遅く適用され、その数も少なかったということも理解しにくい話と言える。そもそも同じ日本帝国領域であった朝鮮で、どうして日本と異なる動員が行われたのかについての説明も不足している。朝鮮人に対する動員のあり方について、日本人へ適用する法令や制度、あるいは実態がどのように違うのかを詳細に論じた研究は見当たらないのである。(p4〜5)


 具体的な研究については本書を直接読んでいただきたいが、ポイントは、「労務動員」すなわち「合理的な労働力配置を関係者同意を取りつけて円滑に進める」ためには、各種の理論的準備や組織的なノウハウ必要なはずなのに、そうした準備やノウハウなしに「割当てられた数字を充たすことが至上目的とされ」たために、無理な暴力や強制が行われざるをえなかったというところにある。

 すなわち、人口全体についての統計、労働力の所在と状態、労働力需要についての調査・登録、大量の輸送を可能とする交通機関、教化宣伝を民衆に浸透させるマスメディアとその普及、それを受入れる能力をもつ、したがってある程度の近代教育を受けた民衆、国家の施策を地域社会職場で伝え、その遂行を補助する小集団のリーダーや官吏――動員のインフラと言うべきこれらのものは日中戦争開始の段階で朝鮮に備わっていなかったし、戦時下に整備されたわけでもない。日本内地に送出すべき労働者の数を算出する前提となるべき統計資料はなく、動員政策が始まってからの調査も十分とは言えず、住民管理は戸籍すら不正確な状態だった。(p231〜232)


 外村氏はまた、「労働力不足のためで増産を実現しなければならないという問題」を解決するためには、「労働者の生産意欲を高め、労働時間を適切に管理するなどして、生産性を向上することで労働力不足をカバーする政策」も選択肢としてはありえたはずなのに、そうした選択はとられなかったと指摘する。そこには、「朝鮮人という安く使える労働力が豊富だという認識、さらには無理やりにでも彼らを連れてきて働かせることが可能であるという条件が存在していた」。

 だが、こうした「犠牲システム」は何を意味するか。

 これは朝鮮人労働者を不利な条件で働かせることを当然とすることによって、日本人労働者の待遇も改善されないままとなったことを意味している。そのようにして、過酷で危険労働環境であることが知れ渡っていた炭鉱では、監獄部屋のごとき労務管理が再び増えた。そしてそこには日本人も就労していた。日本内地の炭鉱労働者全体では戦争末期でも日本人が七〇%を占めていたのである。

 結局のところ、マイノリティに不利な条件を押しつける国家や社会はマジョリティをも抑圧していた。そして、そのような状況をマジョリティが自覚し改善し得ずにいたことが、朝鮮人強制連行のようなマイノリティに対する加害の歴史をもたらしたのである。(p238)


 そしてこのことは、たんに過去の出来事なのではない。外村氏は、「それが意外に現代社会の直面する問題、具体的には外国人労働者の導入・活用、処遇といった問題とも類似性をもつものではないかと考えるようになった」という。

 意外に、というのは、これまでの朝鮮人労務動員にかかわる研究では外国人労働者問題との類似性を指摘したり、それを視野に入れて考察したりするものは見当たらなかったためである。これは朝鮮人労務動員が戦争という異常な事態の中で展開された悪辣な犯罪的行為であり、平時における国際的労働力移動とは異なるし、区別して論じるべきだという認識によっていると思われる。またそれが極度の労働力不足という切迫した状態の中で議論もないまま官民一体で強力に遂行されたというイメージで捉えられてきたことも影響しているだろう。(p13)

 だが現代の外国人労働者も戦時下の朝鮮人労務動員も、労働力不足を背景にホスト社会のマジョリティが忌避する職場で就労させるために導入された点では同じである。若年労働力の減少という事態も、今日は少子化、戦時下は軍事動員という事情の違いはあれ(戦時下においては平時に戻れば労働力不足は解消する見通しであった点も異なるが)、共通している。

 そして朝鮮人労働者の導入や彼らの処遇、社会統合をめぐっては、今日の外国人労働者に対して日本社会に存在するようなものと似通った議論が――公開的に言論を展開する機会が限定されていたこともあって量的には相当に少なかったにせよ――存在していたことが確認できる。(p13〜14)

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