Joaillerie I LOVE LOUIS VUITTON♪

LOUIS VUITTONのVIPルームでの時間が大好きな人文研究者のブログ


テーマ:

3月11日に起きた東日本大震災から三ヶ月を経た6月11日。

いまや世界は原発についての議論に集中している。


地震、そして原発事故が起きた。被害は想像を絶する。


この先、ずっとずっと先、今現在生きている人間がいなくなった未来の世界を、

私たちは想像することができるだろうか。


現在でさえ、「今までの日常」ではない日常を送りながら、

現実に起きていることが何かを明確に見据えることも困難になり、

困惑した日々を過ごしている人も多いのではないかと思う。

これは自分自身の実感でもある。


そんな中、作家村上春樹氏が、11日に先駆けて

スペインのカタルーニャ国際賞授賞式でスピーチを行った。


村上春樹氏が「スピーチを行う」ということ事態、まさに異例のことであり、

映像で観た際には、全文でなかったものの、一言一言に聞き入った。


全文は次のURLで読むことができます。

さほど長くはないので、一読することをすすめます。


(前編)http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

(後編)http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040019000c.html



この中でも原発について触れた部分には、

日本にいるからこそ麻痺している感覚を

呼び覚ますもののひとつになると思う。

そして、やはり原爆にも言及してある。


私自身、たまたま震災の1週間前に広島の原爆ドームを訪れていたこともあり

(ブログでは 「HIROSHIMAを経験する-原爆ドーム-」→こちら ★ )、

表裏一体をなす両者のあり方について、私たちひとりひとりが受けとめて

考えてゆかなくてはならないことが述べてあるのではないかと感じた。

村上春樹氏によってその一例が示された、ということだ。


原爆と原発を同じ「核」として、もう一度認識すること。

これは村上春樹氏の言うように今までは「効率」の名のもとによって、

目をそらしてきたのではないか、と。

(因みに、“nuclear power plant”であるように、

原発は中国語でも「核電廠(核电站)」と表記。)


軍事として「核」は持たず、エネルギーとしては“nuclear”を有する日本。

そのことを願う願わないは別として生きてきた「私たち」。

そして、原発事故後もこの世界を生き続けるのも「私たち」だ。

(なお、ここでも「私たち」と言ったが、日本人だけではなく、

日本でともに生きてきた日本社会構成員としたい。)


この先も、はるか彼方にある未来に向けて人間が生き続けること。

これには何が必要なのだろうか。


村上春樹氏のスピーチの一部に戻ってみよう。


「人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。

それはいつまでも受け継がれていくものです。

我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。」


この部分と。

そして、スピーチのタイトルである「非現実的な夢想家として」。



私たちは、現実を見据えながらも、絶望せず、諦めず、

そして重い責任を背負いながらも、

それでもなお力強く生きてゆく。


「非現実的な夢想家として」。

あえてこのタイトルである意味に、そしてこの響きに

強く反応するのは私だけではないだろう。



今回は、あえてブログ記事にしました。



最後に、震災により亡くなられた方々に謹んで哀悼の念を表します。


Joaillerie

2011年6月11日記




Amebaおすすめキーワード