前記事の続き。
広島にまた訪れて。
広島についてすぐに車で向かった先は。
原爆ドーム(Atomic Bomb Dome)。
世界遺産でも負の遺産と呼ばれることは周知のとおり。
もとは「広島県物産陳列館」として開館、後に「広島県産業奨励館」と称されたこの瀟洒な建物は、広島市ではすでに観光名所のひとつだった。
しかし、1945年8月6日、コードネーム「Little Boy」の原子爆弾投下により、爆心地からわずかに離れた先のこの建物は、原子爆弾の強力な熱線と衝撃波を受けほぼ全壊。建物の構造上、奇跡的にその一部をとどめた。ただし、この中にいた人々がどうなったかは記すまでもない。
原爆ドームは、Negative World Heritageとして、今も存在する。
“NO MORE HIROSHIMA,NO MORE NAGASAKI ”を心の中で唱えないわけにはゆかない。
原爆ドームをぐるりと一周した。写真を掲載するので、私の視線と思考を辿ってほしい。
外壁は崩れ、ただれた皮膚のようだ。
何とか修復された骨組みが見える。
この廃墟。世界遺産でも景観等守られることのない
Negative World Heritage。
初日の橋からの光景では、原爆ドームの背後にビルが建つ。遠くから見ると、廃墟はますます廃墟化して忘却されてしまいそうな感覚にとらわれる。だからこそ、しっかりと刻む。目で見て、カメラに収め、また目で見て、この繰り返しとともに記憶に焼き付けた。このことは、かつて修学旅行で来た時から、前回の広島訪問、今回と続けていることでもある。
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そして、原爆ドームから振り返って目を向けると。
直線上に原爆死没者慰霊碑がある。
初日の写真。奥に原爆死没者慰霊碑。
そして、「平和の灯」がこの日も炎を揺らしていた。
黙祷。
道を渡ると、そこには「原爆の子の像」。夥しい折り鶴が平和のシンボルとして捧げられている。折り鶴は現地に赴かなくとも郵送できる。こちらを参照。 ★
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再び原爆ドームに戻ろう。
横には、爆死者の遺体で埋め尽くされた元安川が流れている。今では遊覧船もあるほどに澄んだ川になっている。太陽光を浴びて水面が輝くのをただただ眺めた。
高校の美術室に、被爆者が行列をなして歩く画が掲げてあった。横切る度にそれを見る。美術の先生の意思を感じた。
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この日は快晴。雲ひとつなく、どこまでも青空が広がって。
そして原爆ドーム。この対比は胸をしめつけられる思いがした。
ちょうど、祖母の誕生日だった3月4日、祖母に広島に行くことは告げ、ここであまにも多くの、ひとり、ひとりの犠牲者がいたこと、この世代の人々が各地で生き抜いたからこそ、今の自分があるのだと感じて、祖母を思った。
自分だけの命ではない。当然のことなのに、日常では「勘違い」をする。
その都度、ふと気づけばよいのだ。
尊い命を刻み、かつての「HIROSHIMA」という経験(地名ではない)を、私たちも、この先の人間も“経験する”ことができるはず。
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私にとって、広島に行くことは「HIROSHIMA」を経験することだ。何度でも。
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続く。
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