ここのところ、多くの人に出会って、あっという間に意気投合して、深い話もでき、研究者だけの世界にいた私にとっては、また世界が広がって嬉しい。
ただ、その代わり、皮肉なことに相当な疲れを感じていたらしく、ここ1ヶ月以上、疲れから来る頭痛を感じてはいた。でも、信頼できる人たちと話している時はいつでもそうだけれど、頭痛すらどうでもよいのだ。
昨夜から、サッカーワールドカップの決勝トーナメント、日本対パラグアイ戦を最後まで観戦し、さまざまな想いとともに、自然と涙した。
まさに、「記憶するための涙」だった。
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早朝から朝食時に、珍しくTVを観ていて、清々しい朝を感じていた。
その後、Twitterやネットニュースで、韓国俳優パク・ヨンハ氏の死を知った。
自殺であったとのこと、現時点では、末期癌のお父様の看護をされて、その後の自殺であったとか。
胸が締め付けられた。
私の両親もそれぞれ立て続きに大手術を受け、執刀医からも覚悟をなさいますように、と言われていた。
特に母の癌に関しては、絶望的だった。早期発見とはいえ、あまりにも悪質な癌。
手術時間も予定よりかかり、祈るような気持ちで、個室の病室から、雪の舞う空を眺めていた。
母の癌がわかったのは、父親から「あの影の大きさ、医者の話では覚悟がいるぞ」と珍しく声を震わせた電話だった。その瞬間、目の前が真っ白になり、すぐさま泣き崩れた。あんなに大声で泣いたことは記憶にないほど。
もし、私自身にまだ生きている時間があるのならば、それら全てを母に捧げたい、と感じた。
母の手術は奇跡的に成功。ただ、再発の恐れもあるため、今現在も定期検診は欠かせない。
手術後の母は点滴だけの生活で、水さえも含めず、声が乾き、苦しい日々が続いた。
私は、早朝から夜まで、つきっきりで、何度も氷水をいただいて、それを母の口に運び、うがいをさせる。
あとは、冷たいタオルで体を冷やす。
それとは反対に冷たくなって、骨のようになった母の足を、血が回るようにずっとマッサージをする。
その皮膚は、もういつ剥がれてもおかしくないほどだったから、母を壊さないように、そっとさすり続けた。
それがよいのか、母がやっと眠る。
その顔を見て、「この唯一の顔、私の母の顔」と何度も目で確認し、記憶に刻んだ。
決して泣かなかった。
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現在、母に命があることは、それだけですべて。
父もそう。生きていてくれることだけで私は嬉しい。
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ところが、いつからか自分の体に無関心になっていった。
自分の命をいつでも親に捧げると誓っていたはずなのに、健康な体でいなくてはいけないのに。
今日、サッカー観戦後の、朝のニュースに、夜の中継から「想起」する感情があって、清々しかった。
でもその後に、パク・ヨンハ氏の自殺。それも看護疲れか、という報道。
誰かの涙や誰かの死に、過敏に反応してしまう自分がいて。
そこで、やっと自らがひどい頭痛であることに気がついた。
今は、少なからず憂鬱である。
この憂鬱ですら、つきつめて考える癖があるので、また疲れるわけだけれども。
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他人のことなどどうでもよい、それどころか他人に嫌がらせをして気分を晴らすということで喜びを感じる人間がいる。これらは何なのか、理解できないし、理解する必要もない。
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それでも、そうした醜悪な者たちに、本気の怒りを感じた時には、一切の容赦をしない自分がいることは解っている。
一切、容赦しない。赦すことはない。
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今日飲んだ鎮痛剤が効く頃、他のことへ関心を流す方向へコントロールしてみようと考えている。
その頃には、この記事はどうでもよくなっているかもしれない。
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Joaillerie