通院日。
処方は変わらず。
来月まで続く学会シーズン。所属学会には全て出席する予定(ただし、バッティングあり)。
定期的な研究会、ワークショップは体調を見ながら調整してください、とは主治医の診断。
人と会うことを通じて、以前のように一人でも行動するようにしているのだけれど、送迎の車がないとだめ。飛行機や新幹線なら、まだ大丈夫だけれど、人が大勢いるような交通機関はだめ。
他にもいろいろと。。。
とりあえず、目の前にある仕事、研究活動を黙々と続けることには変わりはなく、後はいろいろと繋がってゆく人たちとともに、そこで考えるべきものがあれば、私は「論文」という作品を生み出すだけ。研究者としてはまずはそれというのがこの世界の現状だから。
多くは語らない。
私の問題だし、関わる人たちとの大切な問題だから。
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最近、Twitterやブログを通じて、実際に会って話す機会が増えた。
そこで、やはり話題になるのは、ネット上の「害虫」って相変わらず多いね、ということ。
中には、実害もあったり、裁判になったり、警察沙汰になったり、それらを聞いていると、「害虫」はどこまで行っても「害虫」でしかないことを感じる。
だから、それらと言語(例えば、日本語であっても)も思考も共有することは一切ない。
する必要性もない。
「害虫」もこちらと関わらなければよいだけのこと。
こんなにシンプルなことすら解らないのだから悲惨としか言いようがない。
だけれど、決して同情などしない。
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現実の世界で関わる人たちとの信頼関係は私の財産。
大学院時代、博士後期課程では最高学年でありながら年齢が最年少だった。
最年少、しかも成績トップ。。。ただそれだけせいなのか、妬まれたり、陰湿な嫌がらせがあった。あまにりも卑劣なそれらの人間に対して、時には研究会の席で「正々堂々としたらどうか。」と直接言ったことがある。すると、おろおろとして黙るそれらがいるだけで、軽蔑しか感じなかった。
だから、常に淡々と、黙々と過ごすことが多かった。
そんな中でも、ふと接点があり、驚くような出会いがあって、分野や領域を超えて繋がる関係を得ることができた。今でも続いている。
それゆえに「多領域だ」と言われるようだけれど、私としてはどうでもよい。
気になることを片っ端から勉強して、自分の中で思考を巡らせ、構築するのが好きだ。それだけだから。私は学問の醍醐味はここにあると感じている。
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世界は多面的で、正義でも幾重にも解釈されるほど揺らぎのあるこの世界に、ただ何かだけに執着するのは私の好むところではない。
私が揺るぎないと感じているものは「命」だけ。
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自分が理解されたいとか、存在を知って欲しいとか、そうした欲望は多くの人が持つのかも知れない。
そのために人に嫌がらせまでして自己の存在を主張するものもいるようだ。しかし、そんなものは軽く流されるし相手にされない。そんなことは皆知っているはず。
無駄な時間は過ごさない。
「日常は容赦ない」。
多くの人に出会うきっかけになったこのブログ。
そして、実験的に始めたTwitter。
特にTwitterは即時性があるから、その時々の各々の行動、考えが表れる。
意外と人柄がわかるというもの。
私の場合、ただ単にやってみただけ、という興味本位だから、売り込みや連絡ツールとは思っていない。大事なことは相変わらず、電話やEメール、そして実際に会うこと。ここに絞っている。
今、この記事を綴っている時間は深夜。
ちょうど携帯にメールが来た。
実際に会った人から今度に繋がるメッセージが届く。
ここにふと生々しさを感じる。
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今、ここで、この瞬間を大事にする。
刹那的なものを大切にしたい。
いくら綴っても終わらない散漫な内容。。。
だけれども、たまには何となく感じていることを書いてみるのもよいかもしれない。
論文とはまた別の位相、この場所だからこそ。
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