だいたい日付が変わると同時に新しい記事をUPしていますが、この記事の後に、LOUIS VUITTON記事になります。お楽しみに。
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この記事は、私自身にとっては別に書く必要性は感じていません。
しかしなぜ書くのかというと、「なう」においても、執拗に私をフォローしている者がいるからです。
放置していますが、それでも独り言を言っている様子。
おそらく某掲示板での私への呼び名でもって、独り言を。
かわいそうですね。この者も。
自分の人生の毎分毎秒を、もっと他の世界に目を向ければよいのに、と。
しかし、各自価値観が違うので、これを言ったところでどうしようもないでしょう。
私は、その者と一切共有するような価値観はない。
関わりたくもない。
これはブログを通じて何度も「応答(すでに勝手に呼びかけてくるのだから)」しているはず。
私の信条としては、「呼びかけ(これが正当性を欠こうとも)」には「応答」する。
「」がついているには意味があります。
この「」の意味は哲学的なものがこめられているので、解る人には解る。ですから説明しません。
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誰もが日々生きています。
それぞれいろいろあるでしょう。
しかし、少なくとも、私はそれぞれが健やかで、幸せであってほしいと思ってきました。
こういう想いも関係なく、ただ人のブログを執拗に読み、誹謗中傷し、名誉毀損に相当することも、さらには個人情報を漏洩する。しかも罪の意識はない。こうした者があまりにも多いことに辟易としています。
絶望的ですね。
以前にも書いたことがあります。
*「悪意」丸出しの悪意。
*「悪意のない」悪意=鈍感さ。
両者は違う位相にあるもので比較するものでもないけれど、ひとつ言えることは、
どちらも嫌悪の対象でしかないということ。
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しかし、素朴に感じるのだけれど、なぜ嫌なブログを読むのか。人を恨み、憎むのか。直接関わったこともない、今後も関わることのない者に対して、そこまで執拗なのか。
そのブロガーに対して悪意を抱くというのなら、即読むのをやめればよいだけ。
精神衛生上、それが早い話かと。
何をもって毎日の貴重な「生きる」時間を費やそうとしているのか。
それは私が心配する必要もないことだろうけれど、ただ、素朴におかしな話だと思う。
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以前、とある方からのメールに、「自分の原動力、エネルギーとなるものが、人を恨み妬むことから得る人間がいるというのは信じられませんが、いるものですね。」とありました。
同感です。
そういう者が「いる」ことは把握しました。
しかし、理解する必要はない。
それだけ。
世の中には、自分への嫌がらせ、邪魔をする輩を徹底して押しつぶし、消そうとする人もいるかと。
私にしてみれば、それは無駄でしかない。その者と同じような時間を費やす必要性を感じない。
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こちらの価値観を押しつける気もないし、そもそもこの記事も冒頭で述べたように、書く必要もない。ただ、私のスタンスとして、「応答」したまで。
他に何も接点はない。
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明日(日付が変わったから今日)は、お互い楽しみにしていた出会いがあります。事前にメールしたりして、そのやりとりでも楽しかったり。
その友人との時間を穏やかに、かつ楽しく過ごそうと思っています。
生々しくお互いを感じる人間同士ならば、実りある時間を創り出すことができます。
私はそういう時間を大切にするし、人と人との新たな関係を築くのが好きです。
信頼関係はお互いを思いやることから始まります。
非常にシンプルな話。
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Joaillerie
今日の佳き日を気持ちよく過ごすために。