あることがきっかけとなって、このブログを始めたことは何度も記してきました。
そのことが私の中できちんと完結、もしくは終焉と思えれば、このブログを休止、または別の形へと変容するだろうとも。
現在、このたった今(こう記した時点ですでに過去)も、大きく深く息をして、自分自身が生きていることを確認しています。
もしかしたら、このことは'fin'―終焉―を迎え、またこの語にこめられた反対の意味、つまり「始まり」を感じているのではないかと。新たな始まり。
'fin'は'infini'(無限)でもある。
おそらく、すべては閉じられないものであるのではないかと。
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ブログの今後についてはすでに模索してきました。
そのことで、多くの皆さまから激励の言葉をいただき、当初の自分の決断とはまた違った別の仕方を想定するようになっているのも事実です。
ただ、
それでもなお、
この穏やかな春の日に、私に少しだけ考える時間をください。
私は私自身に「思考する時間」を与えようと思います。
もうしばらく待ってください。
このブログの'fin'/'infini'の意味を考えたいのです。
これは独白のようで、宛先のない彼方への手紙でもあります。
Joaillerie