主治医に言われるように、なるべく体重を増やそうとしていた秋冬。
でも、このごろ、また痩せ始めて。
春夏は痩せるのは仕方ない。
だから、秋冬になるべく食べて、体力を温存していたのですが、食欲もまた以前のようになってきたし、これでは、また痩せてしまいますね。
一日で、あまり食事のことを考えずに仕事に集中していると、食べることを忘れてしまいます。
これは、大学院生の頃からの習慣で仕方ないのですが。
研究は没頭すると、確実に食べることと、眠ることを放置します。
この集中力は必要とはいえ、カラダは疲労困憊ですよね。
でも、研究者は皆そうかと。頭の中は年中無休終日営業ですから。
昨年は、近所の内科に何度行ったことか。点滴でも、白いご飯1杯分の栄養素だけだそうで、時間の無駄でした。でも、食べないわけですから、点滴でも打つしかない、という。
幼少時から、持病の気管支喘息の発作で緊急入院した際、いつも点滴の針が腕に刺さっていました。
腕だけでなく、打つところを手の甲に移したこともあって。手の甲は痛いんですよね。あざもできちゃうし。
私は、幼少時からピアノを弾いていたので、手の甲だけは嫌だと言っていたのを憶えています。あざも嫌だし、感覚も変化するのですよ。
医者の親族のうち、ある叔父が、「遺伝子はわかっているから」と冗談を言いながら、「Joaillerieちゃんの喘息は、叔父さんが絶対治してあげるからね!」とさまざまな検査をして、晴れて喘息は治まりました。
ただ、気管支炎はもともとなので、現在でも外気が冷たいところは苦手です。
叔父がいてくれてよかった、と思いました。
この叔父もそうですが、私の父の政治家の家系の中でも、稀な存在です。
つまり、人間味ある温かい人です。
先月に両親と一緒にしばらく過ごして、「お正月よりも、元気になった!」と両親が嬉しそうに言っていました。
確かに単独行動もするようになったし、実感はあったので、このまま春を迎えたいですね。
恒例のLOUIS VUITTONのコレクション・プレヴュー(ショー&受注会)
に行った際、プレタは相変わらずフランスサイズ34&XS(日本の5号)でも大きかったけれど、前よりは立体的なカラダになったかと。担当さんは、「まだまだお痩せになっています!」と言っていました。身長が158センチしかないので、フランスサイズ34でも大きいのは仕方ないですね。
これから、また忙しくなるので、体力が必要。痩せている場合ではないのです。筋力もつけないといけないし。
よく30代以降は痩せにくくなる、つまり代謝の影響でそうなるわけですが、私の場合、現在の方が代謝がいいかも。よって、痩せます。昨年5月頃は、実は38キロでした。158センチ、38キロは痩せ過ぎ!
かつて、ニコール・リッチーが、身長150センチ台で、38キロくらいだった頃があったと思いますが、あんな感じです。身長のある人が2、3キロ痩せるのは大きなことではないけれど、158センチで痩せると、体が一気に細くなります。
お気に入りのLOUIS VUITTON
のプレタや
PRADAのプレタがきれいに着ていられるように、太らないといけません。
痩せることがすべてではない。ということです。「キレイなカラダ」ってどのようなイメージでしょうか。
さまざまな要素で構成されたイメージだけれど、その中で、「痩せていること」はそれほどいいことでもないと思います。適度な筋肉、さらには女性なら丸みがあってもいいかと。
例えば、仕事がモデルなら、痩せている体をキープするのも仕事のうち、という認識かもしれません。
それでも表情に現れますね。
私の兄が仕事で、たまに撮影にも立ち会いますが、やはり無理して痩せているモデル(結構、雑誌等で活躍していたモデル)は、肌がかさかさしているだけでなく、何より表情が死んでいた、と言っていました。その後、そのモデルの写真に修正をかけるので、ホクロですら取れちゃいますから、表情も明るくできるのですよね。モデルの仕事も大変でしょう。
先日のLOUIS VUITTONのコレクション・プレヴュー
でも、毎回登場するモデルがいますが、肌や脚にさまざまな疲れを感じさせてしまうモデルもいました。それは夫や担当さんとも話していました。
今度、海外の研究仲間で、私の姉のような存在の女性研究者が来日予定です。「Joaillerieはまた痩せたね」と添付写真を見て、メールに書いてあったりするので、他の皆もそう思っているんでしょう。指導教官にも、「またお痩せになって!」とよく言われました。
とにかく、元気な姿を見せないと!そのお姉さまは、40代でもハイヒール、ミニスカート。そして、そこそこしっかりした体つきです。あのパワーって素敵だと思っています。
「キラキラしていること」。このような表現は曖昧ながらも、的確でもあると感じています。