HIROSHIMA(広島)の続き。「思考」に関しての前の記事は、こちら。★
(牡蠣のお食事については、こちら。★ )
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最終日早朝、前日にスタッフからお知らせしてもらっていた情報をもとに、目を覚まして。
前の記事にあるこの写真を見れば、もうわかるかと。
「明日は7時10分頃から、見られるかもしれません。(ラージルーム)オーシャンビューのお客様は特に美しく見られると思います。」との連絡でした。
そう、日の出です。
すでにその気配が。雲の色が陽光に染まっていきます。
そして…。
太陽がその姿を現しました。
すべては明るくなって、温度も急激に上がります。
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しかし、この写真を撮影する私の「視界」は、この光によって、目がくらむような感覚に。
太陽を直視する困難さを感じて。
また思考の始まり。
この日の出。この陽光によって、またもや視界を、「視力」を奪われる。
想起するのは、かつての原爆における閃光。全てのものを瞬時に包み、破壊を宣告した閃光。
今でも「ピカ」と呼ばれる、その閃光は、通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線だったという。人々の目を覆い視力を奪うだけではない、凄まじい破壊力をもって、生命を奪うものだった。そして広島市街地はほぼ消尽した。
この広島の日の出は、「ヒロシマ」という呼称となって語られる経験に思いを巡らせた。
私の目の前にあるこの日の出の、まばゆい光は、暖かく、喜びすら感じるものだった。
しかし、一方で、あまりにも眩しく、目を閉じたくなるほどに、強烈な光だった。
かつて「ヒロシマ」を経験した人たちの「経験を経験する」という事態が起きていた。
太陽の光ではまだぬるいのだけど、しかし目を覆うものとしては、日の出のあの強い光は、
何かを呼び覚ますものとなり得た。
戦争を経験していない親の元に生まれた、ずっとずっと後の世代のわたしたち。
それでも、「ヒロシマという経験に関わること」はできることを感じていた。
この「明るい部屋」で。
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いったんホテルの朝食をいただきに行き、ゆっくりと瀬戸内の味覚を味わって。
こちらでも牡蠣をいただきました。
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またお部屋に戻って。
先ほどの「視力を奪った」日光はすでにやわらぎ、穏やかな海を背景に部屋で写真撮影。
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HIROSHIMA(広島)滞在の最終日、私はある場所へ向かいました。
それは後ほど。