Joaillerie I LOVE LOUIS VUITTON♪

LOUIS VUITTONのVIPルームでの時間が大好きな人文研究者のブログ


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水曜。

先日、医者に行った日。

私は主治医にどうしても聞きたいことがあった。



それは、










「治るでしょうか」









ということ。


主治医は表情を変えず、そっと言った。








「いえ…

おそらく、この状態でしょう」






「…」





私はすでに答えはわかっていた。

ただ、主治医は、「当面は…」と付け加えていたけれども。


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幼少時からの持病。

そこにさらに加わった病気。

それらについて、何ら問う必要はなかったけれど、あえて問うた。



付き添いをしてくれる夫が、「なぜ、あんなこと聞いたの」と後からぽつりと言った。

ずっと私を守ってくれる夫に対して、私は酷いことをしたのかもしれない。

だけど、かつての記憶がそうさせた。



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幼少時からかかっていた、当時の主治医が、最初に放った言葉。

それは、「治してあげるからね」だった。

私はその言葉に違和感を覚えた。7歳だった。



「治す」…「治す」とは、何を意味するのか。「直す」という意味でもよいのか。

いずれにせよ、何かしら「元々いた場所」があって、そこに連れ戻すということならば、今の私はどこにいるのか、と。



当時の主治医の言葉は、子どもの私を悩ませた。

悩んだのは字義的な意味ではない。



私はどこにいるのか。

私は生まれてから変わらず、今もここで、息をしていて、脈があり、生々しい身体がある。

どこかに行ってしまった記憶もない。


では、いったいどこへ戻らなくてはいけないというのだろう。

「なおされた(治された、直された)」場所は、本当に「元の私」がいた場所なのか。

そもそも「元の私」とは誰か。


私は、子どもの頃から幾度となく、この考えを頭の中に巡らしては、混乱し、気が遠くなるような、眩暈のするような、耳が聞こえなくなるような…そんな感覚にとらわれた。


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私はその「治してあげるからね」の言葉を聞いた瞬間、「もう医者には来たくない」と思った。だけど、私の命そのものを守りたいという親の気持ちに応えるために、医者に通っていた。医者に行くのは、親が私に生きて存在していてほしいと願う気持ちに応答したかったからだった。


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そして、毎回、医者から解放された後は、親に送ってもらって、学校という空間に飛び出していった。



痩せ細り、点滴後のふらつく体でも、私は学校が好きで、先生や友人達と会うのが好きで、あと、やはり勉強が好きで、元気に飛び出していった。学級委員も、生徒会長を引き受けたのも、自分は何をする人間なのか、何ができるのかをとことんやってみたいと思ったからだった。


勉強が好き、と書いたけれど、それはたまたま対象が「勉強」であっただけで、スポーツであっても、音楽であっても、何でもよかったと思っている。


大切なのは、人間が何かに向かい合う際の、その真摯な姿だ。


私は常に真剣だった。

勉強も、ピアノも、珠算も、絵画も、華道も何もかも。


また、これらに没頭する時間は、持病の苦しみ、苦悩から解放される時間だった。


親も、私の勉強に関わる全てのこと――文学、芸術、建築…ファッション――何でも自由にさせてくれた。大切な空間、時間を与えてくれた。それが今も土台となっていて、親には本当に感謝している。


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…そして、先日の水曜。

私はかつての主治医が言った「治してあげる」を、今度は自分から「治るでしょうか」と問うた。

すると、現在の主治医は上のように答えた。



私はすでに知っていた。

この状態が継続すること。


そして、私は、ここ/どこかに自分が確実に存在しているということを再確認したのだ。


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でも、夫は悲しい表情をしていた。


それで思い出したのは、結婚を決めた頃。

私はまだ大学院生で、結婚式はしなかった。というより、興味がなかった。


ちょうど、大学4年生の頃から、大学院生時代にかけて、腎臓を痛めたりしたせいか、浮腫んだ体と疲労感でぐったりとしていた。大学院時代に博士論文は書いたものの、納得がいかない。その繰り返しだった。

そして、大学院博士後期課程の最終年に結婚をした。

夫は、私の命を守りたかったそうだ。


それから…ある年、夫は結婚式をひそかに計画していてくれた。

全てがサプライズの連続で、当日の親しい人たちだけで過ごす時間は本当に心温まるものになった。


結婚式も、結婚それ自体にも、興味を示さなかった私に、夫は思いもかけない「歓び」を贈ってくれた。何よりも、夫は私に人間の生々しい温かさ、優しさを思い出させてくれた。


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…この持病とは長い付き合い。

換言すれば、すでに「私の一部」だ。


おかしなことだけど、それを受け容れるために生きてきた。


だからといって持病に愛着などない。

「私の一部」であることを知っているだけだ。


そのことで、私はここ/どこかに確実に存在しているということがわかればいい。

そうなれば、私も他者も、生々しい存在であることを実感するから。

この感覚に繋がることができる。

このことだけは、持病を克服する時がやって来ても、決して忘れない。

夫は、私にさまざまな感覚をもたらしてくれる。

周りの人たちもそうだ。


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私はいつかこの持病を克服するだろう。

その時に、今でも目の前に広がる、闇(奇妙なことにそれは「白い闇」なのだが)、この闇は鮮やかな色彩をもった世界に変容するだろう。

もしかしたら、その鮮やかさに、却って幻滅をするかもしれない。

なぜなら、他者を意に介さない人間達もくっきりと見えるだろうから。

「白い闇」の中にいても、そうした人間の気配をしっかりと感じるから。


私は決して忘れない。

私の「一部」でありながら、外部または他者である持病を克服しても、存在という生々しさを忘れない。


それが大切なことだと信じている。


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そもそも、このブログの記事をUPするつもりなど、昨夜まではなかった。

ただ、文章として、ここに保存しておくだけにしようと思っていた。


だけど、私はこうしてブログにて独白することで、自分の存在を確かめ、多くの人の存在を実感できる。

他者は他者である。

自分の延長でない他者。

それを無視するのではなく、存在を実感すること。

そうした感覚が、少しでも多くの人に伝わるのならば、たとえ解釈がさまざまであろうと、私は構わない。


自分、そして他者の存在を無視することは、ひとつの暴力であり、抹消する行為だ。

私はそれを最大に嫌悪する。


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このブログの文章を、どう批判しようが、それは自由だ。

「何も伝わらない」という伝達になるかもしれない。

それでも構わない。


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私の一部であって、同時に他者であるものを人間は抱えている。

私は、プロフィールに、好きな映画は『存在の耐えられない軽さ』だと記した。

内容も当然だが、この邦題はいつも心に響く。


私は存在する。他者も存在する。

それだけは生々しく感じるべきだ。


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