また大切な、かけがえのない存在を心の奥で知った。
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私は生まれつき身体が蒲柳の質。
気管支炎から喘息になって、何度も救急病院に運ばれた。
ある日、同じ時間に救急病院に運ばれた男の子がいて、次の朝、目覚めると、いなかったの。
「あの子は…」と両親に聞いたら、「退院したよ」と。
それから日が経ち、その男の子はその日に亡くなったことを知った。
「誰かが選ばれて生きているのではない。誰が死んでもおかしくない。」と瞬時に感じ、記憶に刻んだ日になった。
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そう、誰もが生きているのが当たり前なのではない。
死は、誰にも訪れるもの。
いつ、どこで、どのように、「生から死」に、または「生と死」に分かれるかはわからない。
しかし、存在は永遠である。
たとえ、誰かが亡くなっても、その不在で存在を知ることができる。
これは前にも私が書いた言葉。
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今、私に生きていて欲しいと願う人たちが、たくさんいてくれることに感謝しています。
「一人」ではあっても、「独り」ではない。
それをまた感じさせてくれる人と出会った。
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私はその人にも、生きて欲しい。
生きた状態で存在して欲しい。
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かけがえのない存在のあなたへ。
いつもありがとう。
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Joaillerie